系図作り
父親が自転車で走り回っている間、ワタルは今日との友人たちと会っていた。
「これは上京区役所へ行ってもらわんと、全部は出まへんな。」
北区役所の職員が言った。父が生まれてから死ぬまでの「全ての」戸籍謄本が家庭裁判所と銀行から要求されていることは先に述べた。父は京都市上京区で生まれ、途中で北区に移り、本籍を変更していた。そのため、昔の戸籍謄本を上げるには、上京区役所へ行かねばならないのだ。これはある程度予測していたこと。北区役所の職員に、上京区役所の場所を教えてもらい、自転車を漕いで、今出川新町の上京区役所に向かう。
どうして、「生まれてから死ぬまでの戸籍謄本」などという面倒臭い物が要求されるかというと、それは「隠し子」がいないことを証明するためだ。父の法定相続人は、継母と姉と僕の三人ということになっている。しかし、家庭裁判所や銀行は「本当にそうなのか」と言うことを疑い、それを「生まれてから死ぬまでの戸籍謄本」により証明せよというのだ。
上京区役所で父の「生れてから転出するまでの戸籍謄本」をもらうのに一時間近くかかった。僕は、待合室のベンチの上で、選抜高校野球の中継を見て待っていた。名前が呼ばれて、四種類、八通のコピーが手渡された。父が最初に戸籍に登場するのは大正九年。その戸籍の原本が作られたのは明治初年だ。和紙に毛筆で書かれており、よくそんなものが保存されており、たった一時間やそこらで発見できたものだと思う。
「大変でした?」
と職員に聞く。
「ええ、結構。」
と彼は言った。
「コンピューターに入れてデータベース化してしまえば、一秒で検索できるのに。」
僕はそう思いながら上京区役所を後にした。
僕は四通の戸籍謄本を数日かけて詳細に読んで系図を作った。そして、明治維新以来、自分の先祖にどんな人が存在したのかを知った。これはなかなか楽しい作業だった。幸い僕は書道をやっていたので、毛筆で書いた字を読むことはそれほど困難ではなかった。
その日の夕方は町内会回り。町会長さんの家と、向こう三軒両隣を訪れ、父の死と、葬儀を内輪で済ませたことを告げる。
「お母さん、ここの家は行かんでええの?」
「そこは空家やん。最近、年寄りが死んで、どんどん空家が増えてるねん。」
と母。
父の死去の挨拶状を作る。友人に出すためだ。継母が考えた文面をPCに入力する。
「何枚印刷すればええの?」
「五枚でええけど、念のためにもう一枚刷っとこか。」
「えっ、たった五人だけ?」
「享年九十二歳」で亡くなった父。友人は皆殆ど亡くなっているのだ。