葬儀の後で

 

出棺前、皆で父に最後の別れを告げる。

 

告別式の当日。僕は「一応」昨夜から泊まっていることになっているので、余り遅くなるものまずいと思い、七時半には家を出る。自転車で葬儀場の前に着くと、義母、つまりマユミの母がタクシーから降りてくるところだった。

「おはようございます。それにしてもずいぶんお早いじゃないですか。」

義母は、金沢から五時半発の一番列車でかけつけたという。ご苦労様。

告別式は十時から。それまでも、参列者への挨拶と、スタッフとの打ち合わせで結構忙しい。サンドイッチとコーヒーが届く。トモコが知り合いの喫茶店のマスターに頼んでおいてくれたとのこと。重ね重ね気の利く女性である。

告別式のプログラムは基本的に通夜と変わらない。お住職の読経があり、順番に焼香を済ませる。唯一の違いは、最初に弔電の披露があることくらいか。親族以外では、継母の俳句会の友人達数人と、僕の友人のトモコとイズミが出席してくれた。

読経と焼香が終わったとき、Fさんが僕に言った。

「モトヒロ、お前挨拶せえ。」

「ちょっと、葬儀委員長。そんなんプログラムにないやん。いきなり言われても。何で何時も僕にばっかり振るの?」

決まり文句は昨日使ってしまった。ここはアドリブで切り抜けるしかない。僕は、父の棺の中に入れるために置いてある、父がリハビリの際に書いた「習字」の紙の中から一枚を取り出した。それは「再会」と書かれたものだった。僕はその紙を見せながら、

「父からメッセージです。父は皆様と『再会』することを願って頑張ってまいりましたが、力尽きて亡くなりました。父のその心を汲んでいただければ幸いに存じます。」

と述べた。アドリブもいいところ。冷や汗もの。ところが後で、息子のワタルは、

「パパのあの言葉が、一番僕の胸に染みた。」

と言ってくれた。世の中、分からないもの。

四台の車に分乗して東山の斎場、つまり火葬場に向かったのは全部で十人。出棺の際の挨拶は継母がやってくれた。山へ向かう途中、道路の両側の柳の若芽が清々しい。

斎場での様子は先に述べた通りだ。火葬を終え、午後二時ごろに再び葬儀場に戻る。別室に父の写真、位牌、骨壷を安置して、「繰上げ初七日」の法要が営まれた。その後、皆で会食する。これも和やかな雰囲気のものだった。

三時過ぎ、お開きとなり、福岡に戻る姉夫婦と別れ、金沢に戻る義母をタクシーに乗せる。父の家に戻り、玄関の間のベッドを動かし、祭壇を置く場所を作る。間もなく訪れた葬儀屋のスタッフにより祭壇が手早く築かれ、遺骨と位牌が安置された。結構忙しい、ちょっと目の回るような二日間だった。不思議に悲しみは感じなかった。

妻の祖母が二年前に亡くなったとき、

「とにかく葬儀の済むまでは目が回るほど忙しくて、悲しみを感じている暇がなかった。」

と義母が語っていたのを思い出した。