死んだのにおめでとう
繰上げ初七日が終わった会食の席で、真ん中が「葬儀委員長」Fさん。
「カワイくん、うちの実家のある滋賀県では、九十歳以上の人が死なはったときは、『ご愁傷様』やのうて、『おめでとうさん』と言うんどっせ。」
G君の母上は僕に言った。葬式の数日後、僕は今はヨルダンで働く幼馴染のGくんの実家に立ち寄り、Gくんのご両親と話していた。
「なるほどねえ。」
僕は母上のその言葉が、父の死に対して何となく「悲しみ」を感じない僕の心と、そのことに対する「罪の意識」を説明していると思った。父は九十一歳の父は文字通り「天寿を全うして」死んだのであるし、それに対しては「おめでとう」、あるいは「ご苦労さま」が「贈る言葉」としては適当なのかも知れない。僕の心は少し軽くなった。
子供を亡くした母親のいるお葬式にも何度か出た。「天寿を全うできなかった」方のお葬式は、打って変わって悲痛なものであった。一昨年、同僚が三十代でガンでなくなり、大晦日に行われた葬儀に参列したことがある。式の間中、母親の慟哭が常に聞こえていた。お葬式が終わったあとも、その声が耳に残り、僕たちは無言で式場を後にしたものである。
告別式の参列者の中にケイコさんというきれいな女性がおられた。継母の姪で、プロのピアニスト、お姉さんのアツコさんと連弾で活動されているという。妻とピアノの連弾をしている僕は、彼女と話すのを楽しみにしていた。継母が彼女とお姉さんのコンサートのDVDを持っており、その素晴らしい演奏振りに、僕は感じ入っていた。ところが、彼女は告別式の後で斎場に来られなかったので、話す機会がなかった。グスン。それで葬儀の翌日彼女に「ファンレター」を書いた。二日後に彼女から電話があったときは嬉しかった。
葬儀は終わった。しかし、僕には、母を助けて以下のことをせねばならなかった。
@ 父の銀行口座の解約
A 挨拶回り
B 遺言状の開封手続き
C 遺品整理
残された時間は十日間。四月七日に日本を発つ前に、どこまで片付けられるか分からない。
葬儀の翌日、風は冷たいが天気の良い朝、早速僕は自転車で葵橋東詰にある家庭裁判所へ向かう。父は遺言状を残していた。家裁で、遺言状を開封する上での手続きと、必要書類を教えてもらう。係官は結構親切に教えてくれた。
遺言状は直ぐに開封できるのかと思っていたが、そうではない。必要書類を揃えた上で申請を出し、それが受理されてから、「検認日」という日が連絡される。その日に裁判所に相続人が出頭、判事と相続人の前で遺言状が開封され、裁判所によるハンコが押されて初めて、遺言状に法的な効力が生まれることになる。この「必要書類」というのが、結構面倒臭さそう。また、受理後検認までには一週間以上かかるとのこと、「受理」までは何とか持っていけても、全てが終わるまで、僕は京都に残れそうにない。