朝夕の握手とキス
出張中お相手をしてくれた、ニュージーランド人のアーロン。ディナーを前に。
フラスン人は、会社で朝同僚と会うと、必ずお互いに握手をする。女性とはキスをする。アーロンは自分のオフィスに着くまで、階段や廊下で次々と同僚に出会う。その人達とひとりずつ
「ボンジュール、サヴァ」
などと言いながら握手やキスをするわけである。従って、玄関からオフィスまで確実に十分はかかる。オフィスのドアの前のコーヒーの機械の前でアーロンが聞いてきた。
「モトも、コーヒー飲むかい。」
「ええっ、これからまだコーヒー飲むの!もういいよ、こっちはいい加減早く仕事にかかりたいんだから。」
と思うが口には出さない。
「ノン・メルシー」
とだけ言っておく。
ちなみに、夕方、オフィスを出るときも、残っている同僚全員と握手をするのがフランスの習慣である。
僕が初めて、前の会社の北フランス、リール工場に出張したときのこと、夕方オフィスの隅の端末でプログラムを組んでいる僕から、ひとりの男が同僚全員に握手を求めているのが見えた。握手をした相手と何やら名残惜しそうに話している。フランス語であるから、僕には何を言っているのか分からない。
「あの人、今日で最後なんやろね。」
と僕は隣にいた日本人社員のスガハラ氏に聞いた。
「いや、あの人は明日もまた来るよ。」
スガハラ氏は事も無げに言う。
「ゲゲーッ、と言うことは、毎日全員と握手してから帰るわけ。」
僕はその夜、次々と握手を求めにくる人々に、数十回「ボン・ソワー」(おやすみなさい)を言い続けなければならなかった。
持参したラップトップを無線ランでロンドンのサーバーにつなぎ、仕事を始める。昔、出張中は普段の仕事ができなかったが、と言うよりしなくて済んだが、最近はどこからでも自分のオフィスのサーバーに接続できてしまう。電子メールなんかも普通に読めるわけである。おまけに会社の携帯電話を持たされているので、電話もバンバン掛かってくる。つまり、出張中と言っても、「出張先の仕事」と同時に「普段の仕事」もこなしていかねばならない。その代わり、出張から帰ったら机の上が山になっているということもなくなった。
「便利な世の中になったのか、それとも不便な世の中になったのか。」
僕はそう呟きながら仕事を始めた。
前回泊まったソンリスの街。中世風でメルヘンチックであった。フランスの田舎町も悪くない。