「失われた子供の物語」
原題:Storia della bambina perduta
ドイツ語題:Die Geschichte des verlorenen Kindes
(2014年)
<はじめに>
いよいよ、フェランテのナポリ四部作も最終作に行き着いた。最後まで読むのは、かなり努力の必要な作業だった。登場人物の行動パターン、思考パターンについていけず、ストレスを感じることもあった。それにも関わらず、一気に読ませてしまうところが、この作家と作品のすごいところだと思う。
1980年、激しい地震がナポリとその周辺を襲った。
<ストーリー>
一九七六年から私がナポリに戻る一九七九年まで、エレナはリラとのコンタクトを避けたかった。それでも、リラは私に電話を架け、
「あなたは馬鹿なガチョウよ!」
とエレナに向かって繰り返し叫んだ。それはもちろん、エレナがニノ・サラトーレと付き合っていることに対してであった。
エレナはニノと一緒に学会の行われる、フランスのモンペイエに着く。ニノの部屋は、シングルルームで既に主催者によった確保されており、エレナはもうひとつのシングルの部屋を同じホテルに取ることになる。ふたりは、パリから来たカップル、オーギュスタンとコロンと知り合う。彼らも、子供があるのに離婚を経験していた。話題が子供に及ぶ。エレナは耐えられなくなって、ピエトロに電話をする。家を出た、エレナにピエトロは、
「娘たちはもうお前に会いたくないと言っているし、会わさない。」
と言う。ショックを受けたエレナは、エレナはニノの部屋を訪れようとする。彼は誰かと電話をしていた。ニノはその電話の相手が、彼の妻のエレオノーラと話していたと直感する。しかしニノはその電話の相手が同僚であると言い繕う。
五日間の学会が終わった。エレナはフィレンツェに帰りたくなかった。彼女は、知り合ったオーギュスタンとコロンのカップルに、車でパリまで連れて行ってくれるように頼む。最初は旅行が延びることに反対したニノだったが、彼もパリに行くことになる。パリで、エレナは自分の作品のフランス語訳の出版を引き受けている編集者と会う。エレナは自分の作品が好意的に受け入れられていることで少し自信を取り戻し、数日後、ローマでニノと別れ、フィレンツェに戻る。
エレナは自宅に戻る。娘たちは母親の帰還を喜び、ピエトロの母親、アデレが子供たちの世話に来ていた。アデレは冷静に、エレナに夫の下に帰るように諭す。ニノの、特に女性に対する行動は、ミラノでも評判の悪いものだった。しかし、エレナは自分にだけは特別だという。
「恋して、目の見えない相手に、何を言っても仕方がないわね。」
とアデレは言う。
エレナはナポリに向かう。行かないでとすがる子供たちを残しての出発は辛いものだった。ナポリに滞在するのは一晩だけだった。列車がナポリ駅に着くと、ニノが向かえにきていた。彼らは駅前のホテルに泊まり、夕食を共にする。夕食の後、ニノはリラが会いたがっているので、明日十一時に落ち合うことになっていると話す。リラは限られた時間をリラと会うことで浪費するのは嫌だと言うが、結局会うことに同意してしまう。
翌朝、カフェでふたりはリラと会う。リラはニノを無視し、ひたすら自分のことをエレナに話す。リラはサプライズがあるという。間もなく、息子のジェナロ、エンゾー、アントニオが現れる。また、アルフォンソ、カルメンなど、幼馴染みも次々と顔を出す。リラが声を掛けていたのだった。エレナは、自分がもうピエトロの妻ではなく、ニノのパートナーであることを、皆に印象付けようとする。アントニオは、
「奴(ニノ)との間に、何か困ったことがあったら、俺が力を貸すから。」
と言う。共産主義者のパスクワレは、テロリストとして警察から指名手配されているだけでなく、ソララ兄弟が、自分の母親を暗殺した犯人として追っているとのことだった。
フィレンツェに戻ったエレナにはまたピエトロとの離婚話が待ち受けていた。それを避けるようにエレナはフランスへ講演の旅に出る。それは職業としての作家の自尊心を満足させるものであったが、エレナは子供たちに対する罪の意識に苛まれていた。クリスマスの前日にエレナはローマに戻る。そこでニノと会っているうちに、フィレンツェ行の列車を逃してしまい、彼女がようやく家に戻ったのは、クリスマスイブの深夜であった。家の中は片付いており、誰もいなかった。エレナは、義姉のマリアローザに電話を、娘たちが、ジェノアの義父母の家にいることを知る。
翌朝、ピエトロが戻って来る。エレナは自分に一言もなく、子供たちを義父母に預けたことでピエトロをなじる。
「私が娘たちを連れて出ていくから、あなたは時々訪れて。」
と言うエレナの言葉にピエトロは拳を振り上げる。殴られるものと覚悟したエレナだったが、ピエトロが殴ったのは金属製の棚だった。ピエトロは指を折ってしまう。翌朝、ピエトロは、全てをエレナの母親に話した、それを聞いたが母親がクリスマスのその日にナポリからやって来るという。エレナは、またも自分に相談なく物事を進めたピエトロに腹を立てるが、駅へ母親を迎えに行く他はなかった。母親は、エレナの勝手な行いをなじる。母と子の間で、壮絶な口喧嘩が始まる。それは、暴力にエスカレートし、エレナは本当に母親に殺されるのではないかと思い、部屋に逃げ込む。翌朝、母親は去っていく。ピエトロは、
「おまえは本当に母親とそっくりだ。」
と言う。
クリスマスが終わり、エレナはジェノアの義父母の家に預けられている娘たちを連れて帰ろうとする。しかし、彼女は何処に住むのか決めていなかった。また、彼女は、フランスからの出版社に原稿を頼まれていた。それを書いているうちに日は過ぎる。大学の新学期が始まる前に、ニノがフレンツェにやってくる。エレナは彼に現行の推敲を頼む。しかし、ニノは自分を書くことではエレナにかなわないと言う。そして、高校の頃、エレナに嫉妬して、エレナの書いた原稿を新聞社に送ると言って握りつぶした過去を明かす。エレナは怒りよりも、それを今正直に話してくらたことに感謝の気持ちを感じる。
エレナは、その後どうするという計画のないままに、娘たちの滞在するジェノアの義父母の家を訪れる。娘たちは、義父母の下で、それなりに不自由なく暮らしているようだった。エレナは娘を連れて帰りたいと思うが、そのためには、まず、住むところを探さねばならかった。義母のアデレは、娘はアエロータ家の孫であり、それなりの環境で育てなければならないと言うが、自分の娘の将来は自分が決めると言って、ふたりは口論になる。エレナは娘たちにどうしたいのかを尋ねる。
「御祖父ちゃんとお祖母ちゃんの家にいる。でもママも来ていいよ。」
と子供たちは答える。
その後、エレナの周囲には余りにも色々な出来事が起き、それを収束させるのに彼女は二年のときを費やした。幸い、エレナの書いた二冊目の本は売れ、各国語に翻訳された。エレナは外国からも講演を依頼され、ヨーロッパの国々を訪れた。その際、ニノがエレナの運転手を務めることがあった。それに対して、リラは、ナポリのリオーネ地区に根を下ろし、そこから離れることはなかった。
一九七八年、ピエトロが大学の帰り道、暴漢に襲われるという事件が起こった。エレナはフィレンツェの病院にピエトロを訪れる。ピエトロは思いのほか元気であった。そして、彼の学生であるという若い女性が付き添っていた。そのドリアーナというその女性が、ピエトロの新しいガールフレンドであった。エレナは義父母のところにいる娘たちを、自分の元に引き取ることを考える。ピエトロも義母も、デデとエルザをナポリに住まわせることに反対だった。エレナは、ニノに、ナポリに戻る計画を話す。ニノは、エレナと娘たちのためにアパートを用意することを約束する。エレナは、引越しの準備のために、ナポリに戻り、そこで、リラと会う。リラは、アントニオにニノの身辺を洗わせていた。リラは、ニノがまだ妻のエレオノーラと別れていないこと、まだ彼女と一緒に住んでいることをエレナに告げる。その後、エレナはニノと会い、エレオノーラと会って、話をしたいという。ニノは、
「これには深いわけが・・・」
と言い始めるが、エレナは席を立つ。
エレナは娘たちを義父母のところから連れ出すものの、行く先がない。彼女は、そこで、大学時代に付き合っていたフランコ・マリが訪れていた。そこへ、ニノが現れる。彼を追い返そうとするとするエレナを、フランコが、
「話だけでも聞け。」
ととりなす。ニノは、エレナを愛しているが、妻のエレオノーラが妊娠中なので、分かれるわけにはいかないと言う。エレナは、ニノが当面、エレオノーラと自分の間で、二重生活をすることをしぶしぶ受け入れ、ナポリに戻ることにする。エレナは娘たちを連れてナポリに戻り、ニノが借りたヴィア・タッソーにあるアパートに住むことになる。
娘たちはナポリになかなか馴染めず、祖父母との生活を懐かしがる。ニノは定期的に、エレナや娘たちを訪れる。彼は、娘たちを愛しているように思えた。エレナの新しいアパートは、彼女が生まれ育ったリオーネ地区からはかなり離れていた。ナポリに戻って数日後、エレナは、娘たちを連れて、両親の家を訪れる。母親は痩せていて体調が悪そうに見えた。しかし、母親は、自分は健康だと主張する。母親は、娘たちを可愛がるが、エレナはほぼ無視される。エレナは夫を捨て、一時は蔑みの対象になっていたリラが、会社を興し、家族を助けている今となっては、母親の称賛の対象になっていることに驚く。母親からは昼食に呼ばれず、妹のエリサにも冷たく扱われたエレナは、リラのアパートを訪れる。リラとエンゾーは、エレナと娘たちを暖かく迎える。リラは小さい頃には賢いと思っていた、息子のジェナロが、上の学校に進むにつれて、すっかり落ちこぼれ、何事に対しても意欲を失っていることを嘆く。その後、エレナは頻繁にリラとリオーネ地区を訪れるようになる。リラは、エレナに、自分のアパートの上に、部屋が空いているので移って来ないかと勧める。エレナはそれを断る。
ニノがニューヨークの研究所から招待を受けたこと、また、エレナの本の英訳が、ボストンの出版社から出されることになり、ニノとエレナは米国に行きたいと思う。しかし、問題はその間、子供たちを誰が預かるかということであった。ピエトロや両親に断られたエレナは、最後の手段としてリラに頼んでみる。
「あなたの子供は私の子供よ。」
そう言って、リラは快く、デデとエルザを預かる。エレナが米国から帰ると、ふたりの娘はすっかりリラに懐き、ナポリの生活を受け入れていた。それどころか、リラは、エレナがこれまで娘たちに説明できなかった。夫婦の関係、男女の関係等を、ふたりに分かりやすく説明していた。
三十代の半ばでほぼ同時に、エレナはニノの子供を、リラはエンゾーの子供を身籠る。エレナはニノにそのことを話すのを最初は躊躇するが、リラはすぐに話すように勧める。エレナの妊娠を知ったニノは、心から喜んでいるように見えた。ニノはそのことを自分の家族に伝えるために、エレナを実家へ連れて行く。そこでエレナは十数年ぶりにサラトーレ家の人々に会う。父親のドナトは、十六歳の時、エレナの処女を奪った男だった。ニノは、赤ん坊にサラトーレの苗字を継がせること、女の子だったら、エレナの母親と同じ「イマコラータ」という名付けることにも同意する。
エレナの母親は医者へ連れて行かれ、そこで、癌と診断され、余命が短いことを宣告される。母親はある日、浴室で倒れる。弟が見つけ、エレナが呼ばれ、エレナは妹のエリザを呼びに行く。エリザは自分のことに多く時間を使い、母親や家族のことを顧みないエレナを非難する。母親が入院したエレナは、病院通いが始まる。母親は誰も来ない日があると、機嫌を悪くした。午前中、娘たちが学校に行っている間に母親を見舞うエレナを、妹のエリザは助けることはなかったが、リオーネ地区の友人たちは、エレナに車を出すなど、便器を図ってくれた。
リラはエレナに、ソララ兄弟が、リオーネ地区に麻薬を持ち込み、彼らはそれで莫大な利益を得たものの、地区には麻薬中毒者が増えていること告げる。ニノは相変わらず、たまに顔を出すだけの生活であった。リラの腹は小さく、つわりもひどかったが、エレナは順調に妊娠の後期を迎えつつあった。
ある朝、ナポリを地震が襲う。そのとき、エレナの娘はフィレンツェにいて、部屋には、リラとエレナだけがいた。ふたりは慌てて外へ飛び出す。多くの建物にヒビが入り、倒壊していた。ふたりは、車の中で地震が過ぎ去るのを待つ。普段はエレナより遥かに冷静で物事に動じないリラが動揺していた。リラは辺りの様子を見て、
「街の輪郭が消えていく。」
と叫んだ。幸いにして、リラやエレナの両親、兄弟、親戚たちに犠牲者はなく、人々は住いに戻ってきて、片づけを始める。ニノだけが行方不明にいなっていた。彼は、妻と子供を連れて、義父母の別荘に逃げていたという。自分のところに何故直ぐに異なったのかというエレナの問いに対して、ニノは答えを濁す。リラは、ソララ兄弟のところで働いているエレナの兄弟や自分の兄が、麻薬に冒されることを知る。
エレナとリラは臨月を迎える。それまで自分に自信を持っていたリラだが、地震の後、その自信に陰りが出たように、エレナには感じられた。ニノは益々顔を出さなくなった。最初に出産したのはエレナであった。一九八一年の一月のことであった。女の子で、予定通り「イマコラータ」と名付けられた。エレナはニノに付き添われた退院する。ニノも出産を心から喜んでいるようだった。退院した日、リラから電話が架かる。リラはエレナの母親を連れてこれから来ると言う。出産で疲れていたエレナだが、強引に押しかけてきた母親を拒絶できない。癌に冒された母親は独りで歩けないほど衰弱していた。自分と同じ名前の赤ん坊を抱き、安堵の表情を浮かべた母親だが、そこで血を吐いて倒れてしまう。ニノとリラが車で母親を病院に運ぶ。そのまま公立の病院に居させようというニノと、私立の高価な病院に転院させようという義理の息子のマルチェロの口論の末、母親は私立の病院に転院する。エレナは生まれたばかりの赤ん坊を連れて、毎日母親の見舞いに訪れる。母親も、私立の病院で、良い待遇を受けて満足そうであった。リオーネ地区に住む人々が、交互に見舞いに訪れたが、ニノとリラは来ることがなかった。
エレナが出産してから四週間後、リラにも子供が生まれる。女の子で、母親と同じ名前のヌンチアと名付けられ、ティナと呼ばれることになる。ほぼ同時に子供が生まれたことで、エレナとリラの行き来はより頻繁になる。数か月後、エレナの母親が亡くなる。母親が意識を失う前に、エレナだけが傍にいた。
「レヌ、おまえはおまえだ。おまえのことは信頼している。自分の決めた道を歩め。」
そう言って母親は息を引き取る。
エレナは出版社から、二冊目の小説を出すことを依頼され、既に前金も貰っていた。しかし、赤ん坊を抱え、エレナの筆は一向に進まない。出版社からの催促に、エレナは来年、一九八二年の秋には原稿を仕上げると約束する。しかし、それを裏付けるような材料はエレナにはなかった。ニノは、エレナに原稿を書くことを勧める。
「子供を三人抱えて、どうしてそんな時間があるの。」
というエレナに対して、ニノは、しぶしぶ家政婦を雇うことを承諾する。中年の少し太った家政婦が、エレナの家で働くことになる。
ある日の午前中、エレナは外出したが、娘のイマの紙おむつがなかったことに気付く。彼女が家に戻ると、娘のイマが独りで泣いている。エレナは夫と、家政婦のシルヴァーナを探す。ふたりは浴室でセックスをしていた。エレナは、おむつをつけないまま、イマを抱き、家を飛び出し、車で走り去る。彼女は昼にデデとエルザを学校へ迎えに行くが、家に帰ることはできない。彼女はリラに助けを求め、リラも快くエレナと子供たちを迎え入れる。
リラは、ニノから電話があったが、受話器を叩きつけて切ったという。そして、
「どうすればいいか考えるために少し時間が必要だ。」
というエレナに対して、
「もう、あなたの決断は決まっているわ。きっぱりとニノと別れなさい。」
という。エレナはニノと別れるつもりで、家に戻る。
エレナが家に戻ると電話がかかる。それはアントニオからであった。アントニオは自分のところへ来ないかという。アントニオはエレナに、自分がリラに頼まれて行った「調査」の結果を話す。ニノには、エレナと妻のエレオノーラの他に、複数の女性がいた。産婦人科の女医、エレナの家のパーティーで知り合った若い女性、ニノはそれらの女性と関係を持ち、誰とも切れることなくズルズルと関係を続けているとのことだった。アントニオはリラに依頼されて、ニノの素行を調査していたのだった。
「どうして、私に直ぐに言わなかったの。」
とエレナが尋ねると、
「俺は直ぐに言いたかったけど、リラが待てと言った。」
エレナにとって、「」ニノと別れることは、難しく、時間のかかる仕事だった。ニノは例のごとく、詫び言と言い訳を山ほど並べて、エレナを説得しようとする。エレナはさらに、出版社から新しい本の原稿の催促を受ける。前金を貰い、それを使い果たしているという事情が。彼女は、数年前にフィレンツェで書き上げ、義母のアデレとリラに読んでもらい、両社から酷評され、出版を諦めていた原稿を出版社に送ることにする。それは、彼女の生まれ育った、ナポリのリオーネ地区を舞台にしたものであった。
エレナはニノと最終的に別れると通告する。ニノは去り、彼はアポートの家賃も、光熱費も払わなくなる。エレナは働き口を探そうとするが、なかなか見つからない。そんなとき、彼女は出版社からの電話を受ける。出版社の担当は、彼女の送った原稿が気に入り、出版する意志があると言う。その原稿料で、エレナは経済的な危機から救われる。しかし、エレナは、ニノの用意した豪華なアパートに住み続けることはできなかった。彼女は、リラの申し出を受け入れ、リラの住むアパートの一階上の部屋を借りることにする。エレナはアントニオの助けを借り、生まれ育ったリオーネ地区に戻り、リラのすぐ傍に住むことになる。
新しい住まいと環境に、エレナの娘たちは不満を並べる。フィレンツェや、ナポリでも高級住宅街に育った二人にとって、下町のリオーネ地区は、全く別の環境であった。しかし、娘たちは、「リラおばさん」のすぐ隣に住むことは気に入っていた。エレナとリラとは、距離的にも、これまでになく近しい関係になる。リラの悩みは、息子のジェナロが、正業に就かず、ブラブラしていることであった。デデは、ジェナロと話すと、顔を赤くした。エレナとリラがリオーネ地区を歩いていると、人々は二人を尊敬の目で見た。小説家とコンピューターの業界で成功した女性実業家として。リラは、経営者としては厳しく客に接しており、支払いの悪い客には、アントニオを差し向けて、脅迫まがいのこともしていた。
エレナの第二冊目の小説出版準備は進む。出版社はエレナに、キャンペーンの一環として、雑誌「パノラマ」のカメラマンが取材に訪れることを告げる。なかなかカメラマンが現れないので、忘れかけていたころ、エレナのアパートのドアを叩く人間がある。開けてみると、カメラを女性持った若い女性が立っていた。そのとき、エレナは普段着で、自分の娘のイマとリラの娘ティナを遊ばせていた。女性カメラマンは、家の中でエレナや子供たちの写真を撮った後、彼らを外に連れ出し、リオーネ地区のあちこちで写真を撮った後、帰って行った。
エレナは自分の記事が雑誌に載るのを待っていたが、なかなか載らない。
エレナは、ミラノに出版キャンペーンのために出かける。ナポリに戻って歩いていると、隣にミケレとマルチェロ、ソララ兄弟の乗った車が停まる。ミケレが、「パノラマ」の雑誌を投げつけ、
「何の恨みがあって、この美しい街の悪口を書くんだ。そんなことをして何が面白い。お前とリラはぐるだ。」
そう言って去っていく。エレナは雑誌の記事を読む。大きなエレナの写真が載っており、彼女はリラの娘のティナと一緒に写っていたが、キャプションは、
「エレナ・グレコと彼女の娘ティナ」
になっていた。記事の中には、小説の中に出て来る町の実力者の悪行が、ソララ兄弟と結び付けて書かれていた。エレナは雑誌の記事に憤慨する。
「これは虚構なのよ。」
というエレナに対して、
「半分は虚構だけど、残りの半分は違うは・・・」
とリラは冷たく答える。
幸い、エレナの新しい本は話題を巻き起こし、ベストセラーとなる。同じ原稿を読んで、そのときには酷評した元義母のアデレも祝福の電話をかけてくる。エレナの自尊心は満たされる。彼女は、講演、キャンペーン、座談会などに引っ張り出され、頻繁に家を空けることになる。その間、リラはエレナの子供たちの面倒を見る。
エレナは南イタリアで公演するために数日間家を空ける。彼女の出発前から、娘の今は風邪を引き具合が悪かった。エレナは自分の留守の間、子供たちの面倒を見てくれるリラに、何かあったら電話してと連絡して旅立つ。最初は何度か家に電話をしていたエレナだが、そのうち忙しいことを口実にそれをしなくなってしまう。エレナが一週間後ナポリに戻ると、イマは肺炎で入院し、リラがイマに付き添っていた。どうして、知らせてくれなかったのかとつめよるエレナに、
「そんなことより、自分の頭の上の蠅を追うことを考えたら。」
とリラは言う。幼馴染みのカルメンが、エレナを名誉棄損で告訴したという。エレナはカルメンを訪れる。カルメンはソララ兄弟に脅され、彼らに紹介された弁護士に話したという。カルメンの兄、パスクワレは共産主義者で、殺人容疑で指名手配されていた。ソララ兄弟はパスクワレの居場所を探し出し、それを公表されたくなかったら自分たちの言うことを聞けとカルメンに迫ったのだという。エレナはパスクワレを警察に出頭させることをカルメンに勧めるが、彼女はそれを拒否する。
エレナは、訴訟の時間、費用のことを考え、暗澹とした気分になる。彼女は、自分の本を出した出版社に相談する。翌日、「原論の自由を抑圧しようとする地元の実業家」というキャンペーン記事が新聞に載る。エレナに同調するもの、同情する人々が次々現れ、ソララ兄弟はエレナを告訴することを取り下げる。
リラの家では、息子のジェナロを巡る不和が起こっていた。麻薬中毒になったことが分かった息子を、リナとエンゾーが監禁したのだった。連日下の階から聞こえてくる叫び声に、エレナと娘たちは悩まされる。娘のデデは特にジェナロに同情的であった。また、リラの会社で働いていたアルフォンソも問題を起こす。ゲイである彼は、何度も仕事を放って職場から姿を消す。彼は頻繁に女性の恰好をして、出社するようになる。そして、最後に出て行ったきり戻ってこなかった。彼の死体が見つかる。彼は、殴られて川に投げ込まれていた。
アルフォンソの葬儀の後、ミケレは、エレナとリラに、直ぐにリオーネ地区から出ていくように脅す。リラにはひとつ考えがあった。彼女はミケレの経営する会社のコンピューター技師として働いていたことがあった。リラはコンピューターの中に入っていたデータを分析し、ソララ兄弟の経営する会社の不正経理を暴こうとする。リラが発見した不正をエレナが文章にまとめそれが新聞社に送られる。しかし、新聞社の人間は、その程度の証拠では、ソララ兄弟を半日も刑務所に入れられないと答える。しかし、その記事は新聞に掲載される。そして、そのジャーナリスティックなスタイルで、エレナは新たしい分野を開拓したと評価される。しかし、リラはマスコミを後ろ盾にしているエレナを批判する。それがきっかけで、リラとエレナは疎遠になっていく。
エレナはイマが時々顔にチックを出すのを見る。二人の姉は父親とコンタクトがあるのに、自分には父親がいない。それがイマのストレスになっているようだった。エレナはニノに手紙を書き、一度イマを訪れるように頼む。そして、ある日曜日、ニノは現れる。彼は、イマにプレゼントを贈り、膝の上に乗せて可愛がる。イマも満足しているようであった。昼前に、ニノはイマとティナを連れて散歩に出かける。家に帰ったとき、ティナの居ないことに気付く。隣人を総動員しての、イマ捜しが始まる・・・
<感想など>
正直のところ、やっと最後まで行き着いたという安堵感を感じる。冬から読み始め、最後の四作目を読み終わったときは春になっていた。冒頭でも書いたが、私にとって読むことに努力の要る本であった。最初は登場人物の多さに戸惑い、誰が誰であるのか、認識するのに苦労した。次に、エレナの行動パターン、思考パターンについて行くのに苦労をした。それは私が男であるからかも知れない。このシリーズを読んだ末娘は、エレナの行動に同情と同調を感じると言っていた。
しかし、最後はリラとエレナの幼馴染みは、殆ど全員が悲惨な最後を遂げることに驚いた。殺された者、刑務所に入った者、失踪した者・・・何とかまともに老年を向かえたのは、エレナだけではないかと思う。フェランテが、何故、登場人物にこれほどまでの悲惨な結末を用意したのか、改めて考えてしまう。ハッピーエンドを期待している、それに慣れた読者には、かなりショッキングな結末である。結末もさることながら、一難去ってまた一難、次々と事件や問題が起こる。エレナが過去を振り返って書いているという想定なので、エレナの心の中の、フィルターされた後で残ったものが描かれていると考えても、ちょっと事件が起こりすぎという印象は否めない。
このシリーズの読者に対する説得力は非常に強いものがある。この小説は、古典として残っていく予感がする。アラを探せばキリがない。しかし、それら全てを差し引いても、人々の印象に永く残る作品であると思う。
エレナ・フェランテの正体は明かされていない。彼女の、「小説家は作品を通じてのみ読者と交流する」というモットーによるものである。しかし、この小説に、彼女の自伝的な要素があることは明らかである。どんなにリサーチしても、その時代にその場所にいなければ、ここまで説得力のある描写はできないと思う。
「失われた子供の物語」というタイトル。イタリア語の原題では「bambina」と女性形が使われているので、「失われた女の子の物語」いうことになる。この単数の「女の子」とは、リラとエンゾーの娘、ティナを指すことは間違いない。しかし、ティナだけではなく、親が次第に子供を物理的にも精神的に失っていく過程が描かれていて興味深い。エレナに関しても、子供たちが次第に親から離れ、独り立ちをする過程が描かれる。エレナは娘たちに、親として、自分の考える「正しい道」に進ませようと腐心する。(それは殆ど成功しないのだが。)しかし、エレナ自身、親だけでなく、周囲の反対を押し切り、自分のやりたい道を進んできたのに。親とは勝手なものだと思う。
大部分の登場人物が不幸な最期を迎え、なかなかすっきりしない結末であった。しかし、これまで「女たらし」、「煮え切らない男」として好きになれず、エレナがニノに魅かれることに反感を持ち続けていた私にとって、彼女が最終的にニノと別れたことに、ホッとした私であった。
先ほども書いたが、このシリーズが最終的には「古典」となって、何世代にも渡って読み続けられることを予感させられた。それにしても長かった・・・
(2018年5月)