「新しい名前の物語」
原題:Storia del nuovo cognomen
ドイツ語題:Die Geschichte eines neuen Namens
2012年
<はじめに>
「ナポリの物語」四部作の第二作目である。登場人物の多さ、女性心理の複雑さについていけなくて、第一作はかなり苦労して読み終えた。しかし、それなりに魅力のある作品で、やはり二作目も読んでしまった。主人公、エレナとリラの十六歳から二十二歳までの生き方を描く。
イスキア
<ストーリー>
一九六六年、大学のあるピサからナポリに帰省したエレナに、リラはブリキの缶を預ける。それは、厳重に紐で縛られていた。リラは夫の手の届かないところにそれを置いておきたいと言う。そして、エレナは絶対に読まないことを、約束をさせられる。しかし、エレナは好奇心に負けて、帰りの列車の中でその缶を開け、中にあった八冊のノートを読んでしまう。そこには、リラによる、子供時だから今に至るまでの周囲の描写が、驚くほどの繊細さと、精緻さで綴られていた。幼い頃の出来事、エレナとの出会い、ステファノとの結婚。そして、何より、マルチェロとミケレのソラーラ兄弟に対するリラの驚くほど強い嫌悪が、書き連ねられていた。何度か読み返したあと、エレナは耐えられなくなり、それらのノートを川に捨てる。
話はリラとエレナが十六歳のとき、彼女とステファノの結婚式に戻る。ミケレとマルチェロのソラーラ兄弟が披露宴に飛び込んで来る。リラはマルチェロの履いている靴を見て愕然とする。それは、彼女の手製の、夫になるステファノに贈った靴だった。リラは夫を外へ連れ出す。少しして、ふたりは何もなかったように戻って来る。しかし、エレナはその時、ふたりの間に、修復できない深い溝が出来たことを感じる。披露宴の後、エレナの恋人であるアントニオが彼女を連れ出す。ふたりは公園でキスをし、古い工場跡の建物で、抱き合う。エレナはその日処女を失ってもよいと思っていたが、アントニオは、
「こんな場所できみとの初めての関係を持ちたくない。」
そう言って、セックスは思いとどまる。
一方、リラとステファノは、車で新婚旅行のためにアマルフィに向かっていた。リラはステファノに、靴をマルチェロに与えたことをなじる。ステファノは、
「俺の商売に口を出すな。」
と妻に平手打ちを食らわせる。ステファノは、リラの父親の経営する靴工房での製品を大々的に売り出すために、専門店を出す計画を立てていた。その出資者としてマルチェロとミケレのソラーラ兄弟を予定していたのだった。
「おまえがいかに彼らを嫌っていても、俺の商売は俺が決める。」
エレナは高校へ通う意欲を失ってしまい、学校へ行くと言って家を出て、実は街をぶらつくという生活を過ごす。当然のことながら成績は下がる。彼女は、自動車修理工のアントニオと結婚して、ガソリンスタンドの跡を継ぐことを考え始める。そのことがリラの耳に入る。リラは、学校が終わったら、自分の家へ来て、集中して勉強するようにエレナに言う。そして、エレナに一部屋を貸し与える。翌日から、エレナは学校が終わるとリラの家を訪れ、夜、ステファノが帰宅するまでの間、学校の予習復習をすることが日課になる。それがきっかけになり、エレナの成績は少しずつ元に戻っていく。
アントニオには大きな問題があった。それは、もう直ぐに兵役に就かねばならないということであった。ソラーラ兄弟と、ステファノは、健康上の理由や母親が未亡人だという理由で徴兵を免れていた。しかし、それは表向きで、実は地域の国防軍の幹部に、賄賂を贈っていたのだった。しかし、アントニオにはそのような金がなかった。彼は、自分が兵役にいる間にエレナに恋人が出来るのではないかと思い、嫉妬心から、だんだんエレナの学校での交友関係に干渉するようになる。実際、エレナには憧れの男性が出来つつあった。それは、高校の一年上の、ニノ・サラトーレであった。彼は、エレナがイスキアに滞在しているとき一度訪れ、彼女にキスをしたことがあった。ニノは学校始まって以来の秀才と呼ばれるだけでなく、学校側に建物やカリキュラムの改善を要求し、教師たちからも一目置かれていた。彼には年下のガールフレンド、ナディアがいたのだが、エレナは知的で行動力のあるニノに惹かれ始める。
リラはステファノの経営する食料品店で働くようになる。リラの兄であるリノとの結婚式が近づき、義理の妹であり、兄の許婚のピヌキアのウェディングドレスをあつらえるために、リラはピヌキアと一緒に、自分のウェディングドレスを作った仕立屋へ行く。そこには、彼女がウェディングドレスを着て足を組んだ写真が飾られていた。エレナはリラと相談して、アントニオが兵役に行かなくてよいように、ソラーラ兄弟に金を出させようとする。しかし、そのことを知ったアントニオは、そのことを自分への侮辱と感じて、エレナから去っていく。
結婚したのに、何故ステファノとリラの間に子供ができないのか、口さがない街の人々の話題になる。ある日、エレナが学校から戻ると、ステファノが仕立屋へ行くのに付き合ってくれと言ってくる。エレナは彼の車に乗る。表向きは仕立屋に、リラの写真をショーウィンドウから撤去するための交渉だったが、車の中でステファノはエレナにリラのことについて色々と相談を持ち掛ける。ステファノは、
「リラに子供が出来ないのは、リラの中に子供を殺してしまうような強い力があるからだ。」
と言う。仕立屋の女主人は、しぶしぶリラの写真を下ろすことに同意する。彼女は、エジプトの皇太子を含め、多くの人が、写真のモデルが誰であるかを尋ねたという。
時間を持て余すリラに、エレナは学校に戻ったからどうかと勧める。しかし、リラはそれを断る。
「妊娠したから。」
という理由であった。ステファノが食料品店の二号店のオープンの準備を進める。また、チェルロ工房で作った靴を専門に売る、ソラーラ兄弟の店の準備も進む。ふたつの店とも、これまでのリオーネ地域ではなく、ナポリの中心街に位置するものであった。リラは開店の準備に精力的に働く。そんなリラを見て、ステファノも少し安心する。
エレナは夏休みを迎える。アントニオのことで勉強をおろそかにしていたエレナだが、何とか進級だけは果たす。しかし、これまで中古の教科書をエレナに紹介するなど、エレナを助けてくれたオリヴィエロ先生が倒れてしまう。エレナは、次の学期に備えるべく、文房具商の娘たちをプールに連れて行くアルバイトを始める。しかし、娘のひとりに怪我をさせてしまい、仕事を失ってしまう。
ステファノ食料品店の二号店と、ソラーラの靴店がオープンする。ソラーラの店には、リラのウェディングドレスの写真が飾られることになった。リラはその写真に独特のアレンジを加え、それが評判になり、ふたつの店とも繁盛する。しかし、開店から間もなくリラは流産をしてしまう。
学校が間もなく始まるが、オリヴィエロ先生はまだ戻らず、エレナには教科書を買う金がない。そんなエレナにリラは新しい教科書をプレゼントする。エレナとリラが講演会に出席している間、ステファノが躍起になってリラを捜していた。リラは自分の兄のリノと、ステファノの妹のピヌキアが会うのに自分のアパートを提供し、その結果ふたりは婚前にも関わらず関係を持ち、ピヌキアは妊娠したとのことであった。それは当時としては、大きなスキャンダルであったのだ。
高校の教師、プロフェッセレッサ、ガリアーニは、エレナにとりわけ目をかけていた。彼女はエレナに、新聞や本を貸す。ガリアーニ先生はエレナをホームパーティーに招待する。独りで行くのが心配だったエレナはリラを連れていく。そこで、エレナは一年前に卒業して、英国へ英語の勉強に行っていたというニノ・サラトーレと再会する。ニノのガールフレンドのナディアは、ガリアーニ先生の娘であった。パーティーに参加していたのは、大学生が多かった。それらの大学生との会話は、エレナにとって興味深いものだったが、リラはすっかり退屈してしまい、夫のステファノに一足先に迎えに来させる。車の中でも、学生や教師たちの会話は、オウムやチンパンジーが中身のないことを話しているのだと同じだと、リラは夫に対して扱き下ろす。
ピヌキアが妊娠しているので、彼女とリノの婚礼は慌てて行われる。リラとステファノの婚礼に比べ、出席者も少なく寂しいものであった。
夏休み入り、エレナは本屋でアルバイトを始める。本に囲まれているので、多少は読めるではないかと考えていたエレナの期待は裏切られる。彼女は地下室で、ひたすら開梱と整理に追われる。そんな中、リラが流産をしたあと再び妊娠しないことを心配した母親たちが、リラを産婦人科医へ連れて行くことにする。エレナも一緒に来てくれるなら、という条件でリラは承諾し、彼女は医者の診断を受ける。
「十六歳の彼女にはまだ子供を体内に保つ力が足りない。その力を付けるには、海辺に行って、海水に浸かり、潮風にさらされるのが一番である。」
というのが診断であった。ステファノの意見である、彼女の中の強い力が子供を殺してしまうと言うのとは正反対の診断。エレナは意志の強いリラの意外な面を見た気がする。
医者の意見を受けて、七月と八月の間、リラ、リラの母親のヌンチア、ステファノの妹のピヌキアは、イスキアの海辺で過ごすことになる。リラは、エレナにも、本屋のアルバイトと同等の金を払うから、一緒に来てくれと頼む。エレナはそれを承知する、エレナは、ガリアーニ先生のパーティーで会った時、ニノ・サラトーレが、友人の大学生と、近くに家を借りて住むことを知っていた。彼に会えることを密かに期待しての海行きであった。
海辺のペンションで暮らし始めた、リラ・エレナ、リラの母のヌンチア、ピヌキアだが、妊娠後期に入っているピヌキアは、常に機嫌が悪く、全てのことに文句ばかり言い、周囲の人間を困らせる。週末には、ふたりの夫、ステファノとリノが立ち寄り、滞在することになっていた。近くにサラトーレ家も滞在しており、リラとエレナはニノと彼の大学の同級生のブルーノと会う。ニノは泳げないリラに水泳を教えた。飲み込みの速いリラは、あっと言う間に泳ぎが上達し、ふたりは見えなくなるくらいまで遠くへ泳ぎに行った。
ある夜、エレナの部屋にリラが入って来る。リラは、
「今日、泳いでいる途中に、ニノにキスされた。」
と言う。
「俺はお前のことを、小学校で算数の問題で競争したときから好きだったんだ。」
とニノは言ったという。自分が愛していたニノが、実はリラが好きだということを知り、エレナは泣き明かす。
翌日、エレナはニノに会うが、ニノはリラのことばかり尋ねる。核心は、
「リラは夫のステファノを愛しているか。」
という点であった。エレナは
「最初は色々行き違いがあったが、現在は、ふたりは愛し合っている。」
と述べる。しかし、ニノは、リラが金と、家族の商売を助けるために、ステファノと結婚したという説を曲げない。
ある夜、夫に電話をかけにいくと言ってホテルを出て行ったリナがなかなか帰ってこないので、エレナは外へ見にいく。暗がりで、リラとニノが抱き合っていた。そのうちに、ふたりは、公然と手をつないで歩き、キスをするようになる。エレナは、ナポリの知り合いがそれを見はしないかとヒヤヒヤして見ている。エレナはリナに、夫のある身なので、ニノを諦めるように諭し、一旦はリラもそれを聞き入れたように思えるが、結局はニノとの関係を断つことができない。そのうちに、ニノは大学を辞めて、働き出すと言い出した。
リラは、エレナと一緒に小学校の時の先生を訪れるという口実で、二晩母親と一緒に泊まっているペンションを空け、ニノとふたりきりで過ごす計画を立てる。最初は反対していたエレナも、結局それに協力させられることになる。しかし、その計画は上手く行かない。リラとニノが海で泳いでいるときに、ステファノのビジネスパートナーであるミケレ・サラトーレが妹と弟を連れて現れる。リラとニノが親密にしているところは彼らに目撃されてしまう。 ニノを失ったことでショックを受けたエレナは、サラトーレ家を訪れた際、父親のドナト・サラトーレに海岸で身体を許してしまう。それがエレナの初体験となる。しかし、エレナはそれが一回きりのものであると心に決める。
週末にステファノがイスキアを訪れる。エレナとヌンチアは、一週間滞在するはずの彼が、荷物を持っていないので不思議に思う。リラは親密な様子で彼を迎える。何事もなく夕食が済んだと、
「サラトーレの息子と海岸で手を握って歩いていたのは本当か。」
ステファノは、リラに問い質す。リラは、それはアダとジリオラが自分を店から追い出すためについた嘘であると答え、ヌンチアもそれを擁護する。ステファノはリラを部屋へリラを轢きずっていき、中らから鍵を架ける。ヌンチアとエレナはドアの前で、固唾を呑んで中の様子を聞いている。家具の壊れる音がする。
「そうよ、私はニノと手をつないだわ。一緒に泳いだわ。キスもしたわ。いやになるくらいセックスもしたわ。そう言って欲しかったんでしょう。」
リラの叫び声が聞こえた後、部屋は静かになった。翌朝、ステファノは休暇を過ごした女性たちに、
「休暇は終わった。これから、ナポリに戻る。」
と告げ、皆はナポリに戻る。
ナポリに戻ったエレナはまた本屋でアルバイトを始める。学校が始まったが、エレナはリラと一緒に行った休暇の報酬を貰っていなかったのだ。本屋の主人は、学校が始まっても午後本屋で働くことを条件に、エレナに高校の教科書を与える。本屋で働始めたとき、彼女の生理が始まる。彼女はドナト・サラトーレとのセックスの後、自分が妊娠していなかったことに安心する。
十八歳のエレナは高校の最終学年、大学入学資格を取る一年を迎えた。彼女は、ニノ・サラトーレが卒業した後、高校で一番の成績を挙げていた。最後の一年は、勉強のためにあっと言う間に流れた。彼女はリラとも会わなかった。ガリアーニ先生は、自分の娘のナディアがニノと別れたことを、エレナが原因だと思っていたが、その誤解も解けた。そのニノを見かけることもなかった。
ある日、エレナは、昔の恋人アントニオを街で見かける。軍隊に行っているはずの彼だが、精神に異常をきたし、除隊してきたという。かれはまるで別人のように憔悴しきっていた。エレナとリラの計らいで、彼はソララ・バーで働けることになる。
大学の入学資格試験が始まる。エレナは猛烈に勉強し、優秀な成績で合格する。彼女はその間、リラを遠くから見るだけで、会ったり話したりすることはなかった。ガリアーニ先生は、ピサ大学の奨学金を受ければ、自分で金を払わないで、寮に住んで大学に通えると言う。エレナは生まれて初めて、ナポリを出て、ピサへ奨学生の試験を受けに行く。試験はこれまでにない難しいものであった。エレナは不合格を覚悟する。しかし、エレナは合格した。
ピサへ向かう数日前、エレナは親戚の人々、近所の人々、友人の訪問を受け、祝福される。しかし、リラは姿を見せなかった。ナポリを発つ前日の昼間、リラの働く靴店の前を通る。エレナは昼休み、リラが家へは帰らず、店で過ごすことを知っていたのだった。彼女がシャッターを叩くと、リラが顔を出す。リラは大学に合格したエレナを祝福する。
「出てきていいわよ。エレナだから。」
リラがそう言う。奥から出てきたのは、ニノ・サラトーレであった。
十九歳になったエレナは九月からピサ大学に通い始める。ナポリ訛りを話す彼女は、ローマから来た学生たちに方言を馬鹿にされながらも、勉強について行こうと努力する。奨学生として寮に住み、住むことと食べることも心配はなく、教科書も支給されていたが、彼女には着るものが余りなかった。クリスマスになりダンスパーティーがあり、着るものがないので一度は参加しないでおこうと考えたエレナだが、結局普段着で参加する。その素朴さがかえって受け、彼女はダンスの輪に加わる。そのパーティーで、エレナはフランコという共産主義者の青年と出会い、ふたりは付き合い始める。フランコは裕福な家庭の出身で、エレナに着る物や新しい眼鏡をプレゼントする。エレナはフランコと初めて、国外を旅行、パリを訪れる。しかし、フランコは、政治活動に熱心になる余り、勉強を怠り、翌年進級できず、夏前にはピサを去って行った。
ピサにいる間、エレナはリラの様子を知らなかった。彼女はリラが何をしたのか、後になってから、リラから託された彼女の日記を読んで知ることになる。リラは、夫のステファノに連れられて、休暇先のイスキアからナポリに戻る。そして、引き続き、店を手伝いながら何事もなかったような生活を送る。しかし、そのリラの前に、ニノが現れる。彼は、リラと会えなくなってから、酒に溺れ、大学にも行っていなかった。リラはニノに大学に戻るように説得し、自分も、本を読んで勉強を始める。そして、昼休みに、皆が昼食に家に帰ったとき、店にニノを呼び入れ、逢瀬を重ねる。そして、リラは妊娠をする。
リラは家を出て、ニノと暮らす決心をする。彼女はナポリの反対側の地域に、安いアパートを借りる。
「わたしはこれまで、あなたといて幸せでなかった。」
そう夫のステファノに言って、リラは家を出る。彼女は、ニノと貧しいアパートで二十三日間過ごす。ニノはそこで勉強をし、新聞に載せるための記事を書く。しかし、記事は採用されず、勉強にも集中できない。
「おまえは俺をダメにする。」
ニノはそう言ってアパートを出ていく。リラはニノが直ぐに帰って来るものと待っていたが、数日たっても彼は帰って来なかった。金もない。リラは自分のとった行動に後悔をし、泣きくれる。ニノはアパートを出て街を歩いているところ、暴漢に襲われる。彼を襲ったのは、ソラーラに雇われているアントニオであった。半死半生の目に遭って、ニノは倒れる。
軍隊から戻り、再び市場の野菜売り場で働き始めたエンゾーは、リラが行方不明になってすぐ、配達の途中でリラを見つける。彼は彼女の後を追い、居場所を確かめる。アントニオがニノを襲ったという話を聞いたエンゾーは、リラのアパートを訪れる。
「昔からおまえが好きだった。これから、おまえを、夫の所に連れて帰る。もし、夫が暴力を振るったら、夫を殺してやるから。」
とリラに告げる。リラはエンゾーに従ってステファノの下に帰る。
ピサに帰って、大学の二年目を迎えたエレナだが、裕福なボーイフレンドのフランコを失って、また元の貧乏学生に戻る。「ナポリ者」と言って方言を馬鹿にされているエレナを庇った男子生徒がいた。文献学を勉強する、ピエトロ・アイロータであった。一年上の彼は、風采は上がらないが、学者一家の出身で、優秀な学生であった。彼は自分の卒業論文を出版し、卒業後は大学に講師と残ることを目標にしていた。エレナは彼のことが好きになる。ふたりは付き合い始める。女性に対する奥手のピエトロを、エレナはリードしていく。エレナはピエトロに負けないように勉強し、自分も卒業論文を出版できるようにしたいと考える。 ピエトロは、ピサへやってきた両親と姉をエレナに紹介する。父親はギリシア文学の教授、母親は翻訳家、姉は二十歳代ながら、ミラノ大学で美術史の講師をしていた。エレナは彼らからも刺激を受ける。
ピエトロは大学を卒業したら、すでに文献学と講師として大学に残ることが決まっていた。エレナも研究を続けたいと思うが、もう大学の職は埋まってしまい、故郷へ帰って、中学か、高校の教師をすることを勧められる。アカデミックな才能では、エレナはピエトロに追いつけないと考え、ガッカリする。それを紛らわせるために、エレナは初めて「小説」を書く。ピエトロはエレナに求婚する。彼はエレナに指輪を渡し、二年後の夏に結婚しようと約束する。エレナは婚約のプレゼントとして、自分の書いた小説をピエトロに渡す。卒業試験が終わり、エレナは優秀な成績で大学を卒業する。ピエトロとエレナは二年後の結婚を誓って別れる。
ナポリに戻ったエレナを待っていたのは、悲しい知らせと、嬉しい知らせの両方だった。永年、自分を助けてくれたオリヴィエロ先生が亡くなったのだった。嬉しい知らせは、自分が書いてピエトロに私が小説の原稿を、翻訳家であるピエトロの母が出版社に持ち込んだところ、採用されたということであった。エレナはその両方の知らせをリラに伝えたいと思う。
その時、リラは二度と帰らないという決心で、夫の家を出ていた。それに協力したのは意外な人物であった・・・・
ナポリ
<感想など>
リラとエレナが十六歳のときから二十二歳のときまでの出来事が、エレナの目から語られる。もちろん、ふたりは常に一緒にいたわけではない。どうして、エレナがリラの行動を知り得たのか、それは、リラが書き溜めた日記をエレナに預け、それをエレナが読んだという設定になっている。
まず、リラだが、彼女の考え方、行動について、共感を覚えるのはもちろんのこと、そのパターンについていくことさえ難しかった。リラは、「魔性の女」とでも言うのだろうか。周りの男たちを次々と彼女の虜にしてしまう。一緒の学校に通っていた何人もの男に、
「実は昔からおまえのことを好きだった。」
と言わせてしまう。彼女が何故、ステファノの結婚したのか。結婚式の当日から、嫌悪の情を持ってしまう相手なのに。いくら、ステファノの財力が目当てで結婚したとしても。彼女が何故、一年も経たないうちに男を乗り換えていくのか。彼女の行動パターンに、女性はある程度共感を覚えるのかも知れないが、男性としての私はついていけない。
次に、エレナだが、結構大切にしていた処女を、中年の「おっさん」であるドナト・サラトーレに与えてしまう。しかし、それは一時きり、ドナトにはもう二度と会いたくないと言い放つ。この当たりの心理にもついていけない。それでも、エレナはリラに比べれば、常識人で、努力家で、上記以外の彼女の心理と行動には共感を覚える。
しかし、リラに「行動パターン」を求めることは、根っから無理なのかもしれない。「感情のまま動いている」、「そのときしたいことを、後のことを考えないでやっているだけ」というのが正解かも。それには誰もがついていけない、それは当然なのだ。ふたりの行動パターンの違いを、エレナが自分で分析している部分があり、興味深い。
「何故、ニノが私を選ばないで、リナを選んだのか、そのとき突然分かった気がした。私は真剣に感情に身を任せることができない。私は境界を超えることができない。夜も昼も楽しむために、全身全霊を捧げるというように、リラを突き進めるような、感情的な強さを持っていないのだ。」
つまり、エレナ自身が、リラの行動を、そのときそのときの感情に正直に行動しているだけ、と分析している。この分析は、作者のフェランテからの、リラの行動を正当化するための、一種のメッセージと言えるかも知れない。
しかし、エレナとリラの男性選びというのは、男性の読者から見ると、ちょっと不満が残る。金がある、口が達者であるという理由だろうか、どうしてそんな男を好きになるのかと、男性の目から見ると不満になってしまうことがある。その点、エレナがが、容姿はそれほど良くなく、朴訥だが、誠実なピエトロを婚約の相手として選んだことは救いのように感じた。
結婚式の夜に、夫とは絶対に添っていけないという確信が生まれてしまうのは、衝撃的なことだった。特にイタリアは離婚を認めていないカトリックの国なのである。そこでのひとつのボタンの掛け違いは、修復されることなく、一生の間綿々と続いてしまう。
ナポリのリオーネ地区を舞台に、幼馴染みの中で、男女がくっついたり離れたり。どうして、もっと外の世界に目を向けないのかと思ってしまう。しかし、当時は、つまり私も子供であった一九五〇年代、六十年代は、日本でもまだ大学へ行く人も少なく、その地域に生まれ、一生をそこで過ごす人が多かった。唯一の例外が、大学へ進学し、ピサで四年間暮らしたエレナである。当時は女性が大学へ行くということさえ珍しかった時代だった。
第一作は、リラの結婚式というひとつの「けじめ、区切り」を持って終わったが、この第二作も、「大学を卒業したエレナが作家としての道を歩み出す」というひとつの「けじめ、区切り」をもって終わる。正直、第一作を読んだときは、この四部作を全部読むかどうか、決めかねていた。読むのにかなりの努力を必要としたからである。特に登場人物の多さには参った。覚えきれないのだ。第二作は、第一作より百五十パーセントほど長くなっているが、登場人物が私の頭の中で整理されていたので、多少は読み易かった。本を買って読んでいる途中、本に小さなカードが挟まっているに気付いた。それは、登場人物の一覧表、早見表であった。私は苦笑した。しかし、なかなか良い考え。そのようなものが必要になるほど、登場人物が多いのだ。
ここまで来て、私はこの四部作を最後まで読むと決心した。合計で数か月の時間を必要とすると思う。しかし、ここまで来ては引き返せないし、止められない。欲求不満を感じさせながらも読者を引っ張り込む。不思議な魅力を持った作品である。
(2018年1月)