エビータの死とその後

エヴァ・ペロンを演じたマダレナ・アルベルトの素顔。

 

「急に金持ちになった貧しかった人」の例にもれず、エヴァの私生活は派手で、世界のブランド品を買い漁り、兄や親戚をどんどん政府の要職につけ、私腹も肥やす。まあ、フィリピンの大統領夫人として、贅沢な生活で名高かったイメルダ・マルコスみたいな面もあったわけだ。権力欲も旺盛で、第二期の大統領選では、自ら副大統領になることを望む。しかし、彼女はガンに侵されていた。フアン・ペロンは大統領に再選されるが、それと機を同じくしてエヴァは、一九五二年三十三歳の若さで亡くなる。

彼女の死を聞いたアルゼンチンの国民は、彼女の亡骸に別れを告げるために、長い列を作ったという。この辺り、僕はダイアナ妃の人気と、彼女が亡くなったときの英国人の反応に似ている。夫のペロンは、著名な医者に、妻の遺体に対して、防腐処理を施すように命じる。そして、その防腐処理は完璧なものであった。

ヨーロッパが復興するとともに、アルゼンチンは極度の不景気に陥り、ペロンは失脚、亡命を余儀なくされる。エヴァの遺体はヨーロッパに運ばれ、別の女性の名前でイタリアの墓地に埋葬される。ペロンやエヴァの肖像や銅像は、社会主義政権により徹底的に破壊される。ペロンが一九七三年、大統領として返り咲いたとき、エヴァの遺体はアルゼンチンに戻される。十六年間地中にあったにも関わらず、死体はほぼ完璧な状態で保存されていたという。

生きている間だけではなく、死んでからも!彼女の数奇な運命に僕は感銘を受け、彼女の伝記を何度も読んだわけだ。しかし、彼女の生涯に感動を覚えたのは僕だけではなかった。作詞家のティム・ライスは、一九七三年、ラジオドラマでエヴァ・ペロンの生涯を知り、

「こりゃいける!」

と、彼女を主人公にしたミュージカルを作ることを考える。彼は、永年のパートナーであった、作曲家のアンドリュー・ロイド・ウェバーに話を持ちかける。ふたりの間に何度も意見の対立はあったものの、曲は一九七六年に完成、一九七八年にロンドンのウェスト・エンドで初演されている。ミュージカルは好評を博し、何度もリバイバルされ、一九九六年には、マドンナ主演で映画化もされた。僕の知り合いには、この映画でストーリーと歌を知ったという人が多かった。そして、何より画期的な出来事は、二〇一四年、著名な「マユミ・モト・ピアノ・デュオ」が「アルゼンチンよ泣かないで」を次のコンサートの演奏曲に決定したことであろう。この曲、聞いているだけだは気づかなかったのだが、実際、左側の伴奏の部分を弾いていると、リズムが「タン・タ・タン・タン」というアルゼンチンタンゴ風になっているのが分かる。

  午後三時、幕が開き、芝居が始まる。最初の場面は、映画館で人々が映画を見ている場面、突然映画が中断し、

「大統領夫人のエヴァ・ペロンが亡くなった。」

というニュースが流される。そして、次の場面は、エヴァの葬儀の場面。次に、エヴァが農村を発ってブエノスアイレスに向かう場面である。

この物語、もちろんエビータことエヴァ・ペロンが主人公なのであるが、もうひとりの主人公がいる。それは、夫のフアン・ペロンではなく、「チェ」という架空の人物、彼がこの物語のナレーター、進行役なのである。

夫とともに大統領選挙のキャンペーンをするエヴァ。