パンク兄ちゃんの登場
この格好で、モーツアルトですから、それだけで笑える。
さて、「コシ・ファン・トゥッテ」の粗筋は以下のようなものだ。
フィオルディリージとドラベッラという姉妹にはそれぞれ恋人がいる。(もうちょっと覚え易い名前にして欲しかった。)その相手のふたりの青年、フェルランドとグリエルモが
「俺たちの彼女は世にも貞淑な女性だ。」
と年配のドン・アルフォンソに自慢したところから話が始まる。
「女と言うものは生来移り気な生き物だ。」
と主張するアルフォンソは、彼らの言葉にカチンと来て、
「あんた達が俺の筋書き通りに動いたら、彼女達だって気持ちが他の男に揺らぐと思うよ。どうだいそれに百ユーロ賭けてみる気はないかい。」
と二人を誘う。その賭けに二人は承知する。
アルフォンソの芝居の筋書きというのがまた振るっている。まず二人の男が戦争に行ったことにする。その後、ふたりに変装させ、別人に成りすました二人に、娘達を口説かせようというもの。
事実、別人に成りすました男に口説かれた娘達は、ホロッと来てしまうのだが、本来の恋人とは別の男を相手に選んでしまう、つまり関係が「イレコ」になってしまうので、話がややこしくなる。
個人的には、娘達の気持ちは分からないでもない。人間、誰もが自分にない所をパートナーに求めるもの、そして、そのパートナーにない所を浮気の相手に求めるものだから。
ともかく、別人に「扮装」、「変身」して、二人の青年は自分たちの恋人達の前に現れる。その瞬間、場内大爆笑。最初二人は背広を着ていたのだが、別人として現れた二人は、長髪にバンダナ、髭面、革ジャンに破れたジーパン、ブーツ。ひとりはご丁寧に「髑髏」マーク入りのTシャツを着ていた。つまり、ロンドンのカムデン・タウンにたむろしているような「パンク」なお兄ちゃんになって現れたからだ。
二人は、所作も完全に「パンク」になり切っている。(原作では「アラビア人」に扮して、と言うことになっているのだが。)
演劇で「別人に変装して現れた恋人に気が付かない」という設定はよくある。例えば、昨年グローブ座で見た、シェークスピアの「お気に召すまま」も、ある男が男装して現れた恋人に気付かないという設定だった。
「いくらなんでも、話していて、同一人物だと気付かないのはおかしいでしょう。」
と誰もが突っ込みたくなる。しかし、今日の演出はその不自然に対して良く考えてある。本当に「パンク」なお兄ちゃん二人は前とは別人に見えた。ここまでやると、さすがに説得力がある。
その、「パンク」なお兄ちゃん達が、オーケストラをバックに、イタリア語でモーツアルトのアリアを歌うのである。これはなかなか面白い取り合わせだ。
毒を飲んだ(ふりをした)お兄ちゃん達を助けに出てきた救急隊の看護婦。この後、「蟹バサミ」をかけられる。