復活なるか

 

日本選手権で優勝した池江選手、オリンピック(がもしあれば)リレーに出場できることになる。

 

相撲の照ノ富士関、水泳の池江池江璃花子選手の復活は、感動的だった。照ノ富士は膝の怪我と糖尿病で序二段まで落ちての大関復帰、池江さんは白血病で闘病生活の後、オリンピック代表に内定するまでの復活を遂げた。彼女のインタビュー、聞いていて涙が出た。個人的には、オリンピックは中止になると思う。そうなって、池江さんが五輪で泳げないとしたら、非常に残念だが、彼女なら、次の目標を設定して、それにむかってまた努力できると思う。

僕が、今回の自分の病気に気づいたのは、泳いでいる時だった。昨年の九月、泳ぎ始めたものの、いつものスピードに乗れない。そのうち胸が痛くなって、心臓の異常に気付いたのだった。正直、余り驚きはしなかった。過去に同じ症状を二度経験していたからだ。二度とも治療は受けたが、恒常的なものでなく、いずれはまた同じ症状が出ると聞かされていた。そして、根治のためには、結構大きな手術が必要なことも。

「来るべきものが来た。」

そんな感じだった。昨年十二月は症状が悪化し、救急車にも乗った。

「また泳げるようになりたい。」

その一念で、時間と金を使い、日本へ来て、手術を受けた。そして、自分は、今、復活のスタートラインに立ったわけだ。既にこの時点でも感じているのだが、病気が治ったからと言って、そんなに簡単に体力が戻るわけではない。その後も、山あり谷あり、行きつ戻りつを繰り返していくわけだ。照ノ富士関や、池江さんに共感できるのは、彼らの復活への道が、平坦なものではなかったことが、自分のこれまでの経験に照らし合わせて、分かるからである。かつて二度、病気で走れなくなり、泳げなくなったが、治療を受けて、スポーツが出来るまで体力を戻した。今回も、またそれが出来ると信じて、日本へ帰る道を選んだのだった。しかし、長い道だった。

十八歳のときに京都を離れてから、こんなに長く京都で暮らすことはなかった。京都の暮らしもかなり身に着いた。何が一番身に着いたかというと、「ゴミ出しの日」である。月曜日と水曜日は黄色い袋にいれた「燃やすゴミ」、水曜日は紙、ペットボトル、ビンや缶などの「資源ゴミ」、金曜日は「プラゴミ」。プラスチックも、滅多やたらに入れるのではなく容器に『プラ』と書いてあるものしか捨てちゃいけないとか。色々「作法」を学んだ。二か月もこれをやっていると、朝起きて、「月曜日だな」と思うと、何も考えないで、台所にある黄色い「燃やすゴミ」の袋を持って階段を降り、アパートの前の集積所に置いておく。それが、曜日によって条件反射的に動くようになった。

「僕も京都市民になったんやなあ。」

と思った次第。

 今回、コロナ感染を恐れて、病院、買い物、散歩以外、殆どどこも行かなかったし、移動もバスや地下鉄を控え、極力自転車で走った。限られた行動範囲ながら、かなりのものが見えて、楽しめて、京都は本当に密度の濃い街だと再認識した。

 

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