花見だ花見
堀川、本法寺。後方の塔を絵に描いた。
僕は手術の翌日、もう退院した。三月十八日、史上最速の開花宣言を迎えた京都の桜は、その頃、まさに咲き誇っていた。退院するとき、管を挿入した、頸と足の付け根には痛みがあったが、実際手術を施された心臓自体には、痛みを感じることはなかった。頸と足の付け根の傷も、三、四日で癒えた。傷が治ってしまうと、全てが終わったような気になったが、退院した翌日から、倦怠感や、動悸、不整脈が出始め、体調はイマイチ。一週間目に一度病院に相談に行く。
「カワイさん。心臓は一部を熱で焼き切りましたからね。その火傷がまだ完全に治っていなんですよ、だから、そこが脹れたり、痙攣を起こしたりするんです。後、数日で治りますよ。」
とのこと。事実、それから二、三日で、気分は良くなり、脈拍も元に戻った。
僕はボチボチと歩き始めた。それまでは、よく鴨川まで歩いていたが、往復すると四キロ近くあるので、まずは近場から。幸い、アパートの近くの、桜のきれいな場所がいくつかあった。「水火天満宮」。小さなお宮、ここにはしだれ桜が一本あるだけだが、色といい、形といい、一本だけで絵になる桜の名所。「妙顕寺」。日蓮宗のお寺だが、全てに大変手入れが行き届いており、黒々とした建物と、白い壁に、薄ピンクの桜がよくマッチする。「本法寺」。造りは妙顕寺とよく似た日蓮宗のお寺だが、庭に桜の木が多く、ここの多宝塔はなかなか見事な建物、僕が後に絵を描いたくらい。ともかく、こんな桜を見る場所が、歩いて五分、半径五百メートル以内にあるのだ。病み上がりに花見をするには、絶好の場所に住んでいたことになる。手術から回復するとともに、五階まで階段で上がるのが、だんだんと苦にならなくなってきた。
退院して一週間が過ぎ、かなり動けるようになったので、僕は、散歩の距離を伸ばし、鴨川まで足を運んだ。鴨川の堤の桜もきれいだった。桜の木、それほど密度はないのだが、背景の山々とマッチし、川面に桜が映り、清々しい感じの美しさ。
花見の少し前から、鴨川を歩いていると、川原に木のテーブルと椅子を持ち出し、そこでコーヒーやワインを飲んでいる人たちを何組も見た。なかなか楽しそう。
「用意の良い人もいるもんや。」
と僕は思った。しかし、木の机とか椅子が、皆同じなのだ。
「何かのクラブに属したはる人やろか。」
と謎が深まる。謎が解けたのは、帰国を二日後に控えた、天気のよい日の午後だった。鴨川に出かけた僕は、そこで、高校の同級生のMさんと会った。Mさんは、鴨川のすぐ近くに住んでいる、「地元民」である。僕は、自分の疑問をMさんにぶつけてみた。
「この近くにカフェがあるの。そこのカフェ、中で飲んでもええけど、椅子と机を貸してくれはるの。皆さん、それを借りてきて、川原で飲んだはるんよ。」
「ぬあるほど、そうやったんか!」