キャプテン・トムの死

 

キャプテン・トム・ムーアは、二〇二〇年の秋、エリザベス女王から「ナイト」の称号を受けた。

 

アパートで目を覚ますと、まず、ベッドの隣に置いてあるテーブルの上にあるパソコンを起動する。コンピューターが立ち上がるのを待って、最初に調べるのは、前日の、英国でのコロナ感染者と死者の数だ。

「やった、減ってる。」

と喜ぶ日もあるし、

「あれっ、あんまり減ってへん。」

とがっかりする日もある。僕が何時も見ている英国政府のサイトでは、地図上で、地域別の感染者の割合が色分けされている。一時はイングランドの南半分が殆ど全て、一番高いえんじ色だった。

英国では、十二月に入って、爆発的に感染者が増えた。英国政府が、感染力の強い変異種(新種株)の存在を公表し、他の国々はパニックになった。十一月から分かっていたということだが、何故か発表は十二月も中頃になってから。クリスマスの前に、全国的にロックダウンが実施された。しかし、感染は増え続け、一月八日には、一日の感染者が七万人近くになった。僕が日本に来た時、まさに英国は感染のピークだったわけだ。その後、ロックダウンの効果が現れたせいか、十二月十日から世界に先駆けて始まったワクチン接種が功を奏したのか、徐々に感染者は減り始め、日本へ来て一カ月経った二月九日現在、一日の感染者はピークの五分の一、一万二千人ほどになった。地図の色分けも、えんじ色から徐々に青に変わり、最近はもっと低い緑の部分が増えて来ている。

日本に来てから、今度は日本の感染者が増え続けた。多いと言っても、英国とは一桁違うのであるが。京都府では、一月十三日に緊急事態宣言が出され、元々観光客がいなくなり、人通りがまばらだった京都の街の、ゴーストタウン化が更に進んだ。僕が一番恐れていたことは、京都の病院の体制がコロナ患者で逼迫し、僕が受けようとしている治療ができなくなるということだった。幸い、二月に入り、京阪神の感染者は減少し、これを書いている今日、二月十日現在、緊急事態宣言を何時解除するのかが、議論されている。

「よしよし、良い傾向が続いてる。」

英国では、公式の数字だけで、人口の五パーセント、二十人に一人が感染した。ホース・サンクチュアリで僕の代わりをやってくれるはずだったイーデンも感染して入院。別の女性が、水遣りをやってくれているという。残念だったのは、キャプテン・トム・ムーアが亡くなったというニュースだった。足の不自由な彼だが、去年の春、最初のロックダウンが実施されたとき、百歳の誕生日までに、歩行器を押しながら庭を百往復すると宣言。コロナで苦境に立つNHS(国民健康サービス)のためのファンドレイジングだった。誕生日に無事百往復を達成、その様子はSMSで配信され、結局、四十七億円を超える寄付が集まった。その行動力もさることながら、インタビューを受けるキャプテン・トムの、百歳とは思えない論理的な話しぶりに、好感が持てた。彼も、結局はコロナ感染で亡くなったとのこと。英国民に勇気と団結心を与えてくれた人だっただけに、惜しいことをしたと思う。

 

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