観光客のいない京都

 

たった一人で、千体の石仏に取り囲まれるのは、ちょっと怖い気がする。

 

「観光客のいない京都って、不気味だよな。」

嵐電嵐山の駅を降りたときそう思った。駅の前の渡月橋と天龍寺を結ぶメインロード、殆ど人影がない。

前回嵐山を訪れたのは、二〇一九年の秋だった。息子の結婚披露宴が金沢であり、その後、息子の嫁のご両親を案内するために京都に。貸し切りタクシーで、金閣寺、嵐山、清水寺、伏見稲荷と京名所を一日で回った。当時、京都は観光客で溢れていた。金閣寺を訪れるとき、昼間は混んでいると思って、朝の開門の直前に行った。

「あちゃ〜。」

既に二百人くらいの修学旅行生が、既に門の前に待っていた。修学旅行生の他に、一般の観光客も沢山いたが、その半分くらいは中国人。ここ、嵐山に来たときもすごい人出、渡月橋を渡ったが、橋の上にいる人々のほぼ全員が中国人だった。嫁のご両親も中国人なので、そのとき橋の上にいた日本人は、僕と運転手兼ガイドのMさんだけだったと思う。一月末現在、日本は外国人の渡航を禁じている。その結果、京都の名所、観光地は、外国人観光客を失い、京都の街はゴーストタウンのようになってしまった。食堂やカフェも半分以上閉まっている。

日本に着いて、ほぼ四週間が経った。京都にこれだけ長くいるのも久しぶり、

「何か、今、京都でしか出来ないことをしよう。」

と思った。それで、京都のまだ行ったことのない名所を、毎週一箇所訪れることに。

「今週は、化野(あだしの)念仏寺や!」

Gさんの離れに住んでいたとき、彼が図書館で借りてきた、川端康成原作の「古都」という映画のDVDを見た。一九六三年の岩下志麻主演の映画。京都の名所と、移り変わる四季が、巧みに織り込まれていた。そこに、化野の念仏寺が出て来た。それが印象的で、一度行ってみようと思ったのだ。

 化野念仏寺は、嵯峨の鳥居本という集落にある。地図で調べると、嵐山から二キロくらいの距離。三十分くらいで歩いて行ける。僕は、自転車で嵐電北野白梅町駅まで行き、そこから電車に乗って、嵐山まで行った。一両だけの電車、五、六人しか乗客がいないので、コロナ禍の下、ソーシャルディスタンシングには、全く問題がない。

 嵐山から、鳥居本に向かって歩き出す。ホッとするような、田舎の風景が展開される。国宝の仏像で有名な清凉寺の前を通って、鳥居本の集落に入る。萱葺きの家があり、とても良い雰囲気。そして、恐ろしいほどの静けさ。

「人類が滅亡したように、誰も歩いていない・・・」

左に折れて、念仏寺の中に入る。「西院(さい)の河原」という、無数の石仏が並んだ庭が印象的。そして、三、四十分の訪問中、訪問客は僕一人だった。いくら、落ち着いて見られると言っても、ちょっと極端で、寂しい気がした。観光客、収入の落ち込みで、京都の観光産業だけでなく、京都市自体が、深刻な財政問題を抱えているという。

 

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