鴨川は遠かった

 

鴨川だけにカモがいる。

 

「鴨川ってこんなに遠かったかなあ?」

僕は、烏丸通の横断歩道を渡りながらつぶやいた。足が動かず、頭も何となく貧血状態になっている。前回京都にいたときは、毎朝六時半から北山橋である、ラジオ体操のために、母の家からこの道を通っていた。今のアパートはもっと近いはずなのに。二週間の隔離期間のダメージは意外に大きかった。

病院で診察を受けた翌日、風は冷たいが、抜けるような青空が広がっていた。昼食をとってから、僕は鴨川まで歩いてみることにした。ダウンジャケットを着て、パッチを履いて、マフラーをして、僕は紫明通を歩き出した。このコース、全国高校駅伝や、都道府県対抗女子駅伝のコースになっており、英国にいても、YouTubeで度々お目にかかることができる。一キロも歩かないうちに、僕はバテていた。

「なんでやねん。」

考えてみれば、日本に着いてから、四日間ホテルの一室に缶詰め。その後の十一日間も、Gくんの離れで布団を被って寝ていることが多く、隣のスーパーやコンビニに行くくらいしか歩いていなかった。元々、不整脈で運動能力が衰えていたのに加え、十四日間動かなかったことにより、身体は確実に衰えていたのだった。不整脈が出てから、僕は水泳やジョギングなどの運動をしていない。しかし、毎日二時間サンクチュアリで馬の世話をしていた。それが、いかに自分のコンディションの維持に役立っていたかを、そのとき知った。傾斜のある、藁や泥の上を歩き回ることは、思った以上に足腰の鍛錬になっていたのだ。

何とか鴨川に辿り着いた僕は、河川敷のベンチにへたりこみ、背中に暖かい太陽を浴びる。水辺にはサギやカモがいる。雲一つない青空の下、比叡山と大文字山が聳えている。僕の「原風景」ともいえる景色である。

その日から、天候の許す限り、僕は鴨川まで歩いている。三日目くらいから、ようやく身体も慣れ、息切れやたちくらみがなくなった。

「人間、鍛えるのに時間が掛かるが、衰えるのは早い。」

僕はつくづく思った。

アパートに移ってから一週間、不思議に忙しかった。それは、日本語のレッスンを再開したことが大きい。オンラインレッスン、リモートワークというのは、世界中どこにいても出来て便利だが、困ったことがふたつ。ひとつは時差。日本と英国は九時間の時差があるので、英国の生徒さん相手だと、授業は、夜か早朝になってしまう。もう一つの問題は、準備。対面で授業をするときは、相手を観察しつつ、結構その場その場で修正しながら授業を進められる。しかし、オンライン授業は、綿密に計画を立てておかないと、上手く行かない。僕は準備にかなりの時間を費やした。

母はほぼ毎日、僕に夕食を作ってくれ、夕方僕が取りに行った。妻は毎日電話をくれた。ともかく、隔離明け最初の一週間は、結構快適に、多忙のうちに過ぎた。

 

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