三十五年ぶりのドイツ語の授業

 

授業の教材に使われたのは、ドイツ社民党元党首のマルティン・シュルツ氏の演説だった。

 

ドイツで働いていたときの同僚で、今は金沢にお住まいのSさんからメールが来た。

「日本にいるなら、K先生の、オンラインのドイツ語の授業に一緒に出ませんか?」

とのお誘い。一度、参加してみることにした。K先生は、僕の母校、金沢大学のドイツ語の元教授で、今は名誉教授であらせられる。

アパートに移った翌日、夕方の六時半から、僕はZoomを使って行われた、その授業に参加した。K先生の他に、参加者は、Sさん、東京に住むOさん、そして僕の三人だった。

僕がK先生のお顔を拝見するのは、三十五年ぶりである。当時、僕は金沢大学の独文科、修士課程の学生。K先生は、教養で教えておられたので、直接教わったことはない。最後に先生にお会いしたのは、修士論文の口頭試問の時だった。口頭試問というのは、提出した修士論文に対して、教授方から、内容についての質問を受け、それに答える試験である。僕の論文がいい加減だったのか、K先生から、内容は忘れたが、かなり厳しい、辛辣な質問が飛んだことを覚えている。僕の担当教官のO先生が、

K先生、まあまあ。カワイ氏は、民間会社への就職が決まっておりますので。」

ととりなしてくれた。当時、独文科の修士課程を終えた学生は、たいてい、ドイツ語の講師としての職を選んでいた。しかし、ドイツ語の先生なんて、そんなに需要があるわけでなく、卒業した学生に対して、何らかの仕事を斡旋するのは、担当教授にとって、頭の痛いことだったと思う。一人でも民間会社に流れてくれることは、多分、教授にとっても有難いことだったんだろう。ともかく、O先生の一言で、

「こいつを卒業させてやらないと、お互いに困る.

という雰囲気になり、それ以上の質問はなく、僕の論文は通り、学位を貰えた。そして、その年に、就職した会社から、通訳としてドイツ支社に派遣され、そこでお会いしたのが、同じ会社で働いておられたSさんだった。

 授業に先立って、Sさん経由で教材を受け取っていた。その内容から、結構、高度な授業であることは予想していた。授業が始まる。ドイツ語の授業を受けるのは、三十五年ぶり。ドイツ語を聴いたり、話したりしようとすると、普段使っていない脳の一部が、ピキピキと音を立てるのが感じされる。二十年以上英国に住んでいるので、ドイツ語を聴いたり話したりする機会はほとんどない。完全に錆びついていた。生徒が三人だけなので、テキストを読むのも、質問に答えるのも、アッと言う間に順番が回って来る。授業の内容の他に、初めて参加する僕に興味が集まり、先生や、他の生徒さんから、個人的な質問を受ける。ドイツ語で。寒がりの僕も、汗が出て来て、途中でセーターを脱いだ。

 授業はたっぷり二時間。でも、面白かった。新鮮だった。

「楽しかったです。お誘いいただき有難うございます。次の授業も参加させていただきます。」

僕は翌日、K先生とSさんにメールを書いた。直ぐに次の授業の教材が送られてきた。またまた難しそう。