イーデン
牧場の冬の朝。弱い馬はコートを着ている。
「一月いっぱい、病気治療のため日本に帰るから、来られない。」
十一月の終わりに、ボスのジュリーにそう言ったとき、彼女は本当に困った顔をした。これまで、休暇でホース・サンクチュアリのボランティアを休んだことはあったが、最大二週間。四週間以上留守にするというのは、僕が働きだした二年前から始めてである。「休まない、遅れない」をモットーに、この二年間、僕は月曜日から金曜日まで、雨の日も、寒い日も、毎朝二時間、五十頭の馬の世話をしていた。つまり、一週間に十時間分、僕はジュリーに当てにされていたわけ。
「車が故障して行けなくなった、代わりに私の仕事をやっておいて。」
そんなスクランブルにも応じてきた。牧場での僕の別名は「ジャパニーズ・リライアビリティー」、つまり「信頼できる日本製」であった。ともかく、僕の担当していた十時間を、誰かが代わりにやらなければいけない。
サンクチュアリのボランティア、土日は結構人が集まる。働いている人たちや、学生さんが来てくれるからだ。しかし、平日というのは来られる人が余りいない。ジュリーと僕が毎日、トレーシーが週二回来て、日々の水遣り、餌遣り、清掃などを片付けていた。
「誰が代わりの僕の仕事を担当してくれるんだろう。」
それが、僕の関心事でもあり、心配事でもあった。
クリスマスも終わったある朝、僕はジュリーと一緒に牧場にいた。彼女は、柵越しに誰か若い女性と話している。時々、近くの人が散歩がてら牧場を見に来て、僕も何度か、そんな人々と柵越しに話したことがあった。ジュリーが話している相手が、若い細身の女性であることは分かるが、遠すぎで、顔は分からない。
さて、僕の出発も近づいた大晦日、何時ものように、朝九時前にジュリーと会う。
「あなたの代わりが見つかったわ。もうすぐ来るから、仕事を教えてあげてね。」
とジュリーが嬉しそうに言う。間もなく、細身のお姉さんがやって来た。
「イーデンよ。これがモト。」
とジュリーは僕たちを引き合わせる。僕は彼女に見覚えがあった。イーデンは、数日前、ジュリーが柵越しに話していた細身の女性だった。ジュリーは間もなく去り、僕はイーデンに説明しながら作業を始めた。彼女は、牧場の前のアパートに住んでおり、朝の散歩のとき、ジュリーに話しかけられ、手伝ってくれと説得されたという。通行人まで引っ張り込んでしまう、ジュリーの説得力と情熱には恐れ入る。サンクチュアリのボランティアの女性陣は、ガッチリタイプ、日焼けして、男勝りという人が多い。驚いたのは、イーデンの透き通るような色の白さと、華奢な体つきだった。銀行員だが現在在宅勤務、八時から、仕事の始まる九時まで水遣りをやってくれるという。あまりにもピッタリとしたジョギング用のタイツ、ちょっと目のやり場に困った。ちなみに「イーデン」とは「エデン」、アダムとイブのいた楽園の名前である。引継ぎは、大晦日と元旦の二日だけ。時々考える。
「イーデン、ちゃんと続いているかな?」