有名人になりたくない

 

元旦はいつものように、屠蘇と雑煮で祝ったが、PCR検査の結果を待っているので、何となく落ち着かない。

 

僕は一度決めたら、余り迷わない人である。しかし、今回日本に戻るかどうかは迷った。夜中に目を覚ましたときなど、「どうしようかな」と何度も考えた。三度くらい帰るのを止めようと思い、その度にその考えを覆した。もちろん、理由は、コロナウィルス情勢の悪化である。

今回コロナ禍にも関わらず、日本へ戻ることにしたのは、僕の健康上のある問題のためである。英国で治療を受けられないため、日本の医者に相談しようと思ったのだ。帰国を決めたのは十一月上旬、一月三日発の飛行機の切符を買ったのは、十二月上旬だった。当時は、英国でも日本でも、コロナの感染者が増えていたが、変異変異種の存在は発表されておらず、ロックダウンや緊急事態宣言が検討されるほど、大変なことになっていなかった。

しかし、十二月中旬、英国で、変異種のウィルスの存在が明らかになってから、全てが変わった。EU各国は、変異種の流入を食い止めるため、英国からの飛行機、フェリー、車の入国を一斉に拒否した。ドーバー付近に、大陸へ戻れないトラックが何千台も立ち往生したのはそのときで、日本でも報道されたと思う。僕の飛行機はアムステルダム経由だったので、その時点で僕が日本へ帰ることは一時的に不可能になった。しかし、同時に、

「自分が帰ることにより、日本の家族、国民に迷惑をかけたくない。」

「自分が日本に新種ウィルスを持ち込む第一号になりたくない。こんなことで『有名人』になりたくない。」

という気持ちも強かった。日本政府は、一月末までの外国人の入国禁止を決めた。その時点で、僕の気持ちは「帰らない」にほぼ固まっていた。と言うか、帰れなかった。

 クリスマス、いよいよ出発予定まで一週間。オランダ航空よりメールが来た。何と、それによると、飛行機は予定通り飛ぶと書かれている。EU各国が、直前にPCR検査をして、陰性になった人に限り、英国からでも受け入れることにしたのだ。オランダ航空からの案内には、出発の七十二時間以内にPCR検査を受け、陰性であることを証明した書類を提示せよと書かれていた。また、日本政府は「外国人」の入国は拒否していたが、「日本人」の帰国に関しては、英国からの帰国者も、入国時の二度のPCR検査、三日間の検疫隔離、入国後十四日間の「自己隔離」を条件に認めるとのことだった。

 PCR検査をしてくれる病院を探しているとき、PCR検査の精度が九十九パーセントであるということも知った。(色々な説があるとは思うが、概ね。)出発直前と到着後に計三度検査を受ければ、自分がウィルスを持ち込むという可能性は極めて小さい。

PCR検査が陰性であっても、ウィルスに感染している可能性は一パーセントある。でも、三回受ければゼロ点ゼロゼロゼロ一パーセント。つまりゼロでしょ。」

 元旦は休日、二日は土曜日で病院が休みなので、大晦日の午後がギリギリの線。僕は馬牧場で最後の仕事を済ませた後、ワットフォードのショッピングモールに車を停めて病院に向かった。数日前からのロックダウン、誰もいないモールは、不気味な場所だった。

 

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