危険な六人
施設では、毎日体温を測って報告することに。禁酒、禁煙、辛い人もいるだろう。
アムステルダムからの飛行機は、一月四日の午後九時に関空に着陸した。三席を全部使って横になれたので、結構良く眠れた。到着の一時間半くらい前に配られた朝食も、眠っていて食べそこねた。
「飛行機が停止いたしましても、席をお立ちにならず、係員がお呼びするまで、お席にてお待ちください。」
とのアナウンスが入る。ゲートに到着後、客室乗務員の指示で、客が順番に降りていく。
「カワイ様、ワカバヤシ様、マークス様・・・以上の六名のお客様は、引き続き今しばらくお待ちください。」
僕を含むその六人が、英国からの乗り継ぎ組だったことを、後で知った。
僕たち六人は、最後に飛行機を降り、係員に導かれ、検疫所に向かう。そして、試験管のような容器に唾液を入れろと言われた。その後、飛行機の搭乗ロビーを改装した待合室に連れて行かれ、間隔を開けて座るように指示された。
そこに着いたのが、午前十時ごろ。飛行機が着くたびに、数人がそこへ通される。しかし、ほとんど人が一時間くらいで呼ばれ、出て行く。そして、最後まで残ったのが、僕たち六人だった。昨日から何も食べていないので、結構腹が空いてきた。僕の名前が呼ばれたのは午後二時頃だった。検査に四時間かかったということは、短時間で結果が出る「抗原検査」ではなく、時間がかかるが精度の高い「PCR検査」をしているということだ。幸い、六人とも「陰性」だった。
「皆さまには、今後三日間、空港内の検疫施設で過ごしていただきます。」
日本政府が「特に危険だと判断した国」から入国した人間は、仮に検査結果が陰性であっても、三日間強制隔離をされるのだ。その際の注意書きを書いた紙が配られる。僕たちは係官に連れられて、荷物を受け取り、入国審査、税関を通って外に出た。そして、ひとりずつタクシーに乗せられて、「検疫施設」に向かった。そこは、車で三分もかからない「日航ホテル」だった。
「ホテル代と食事代、誰が払うんかなあ。」
と、僕は最初考えたが、ホテルはあくまで国の「検疫施設」なのだ。全ては日本政府が支払うことになる。
「四つ星ホテルに無料で泊れてラッキー!」
と言うことになるが、大きな問題がふたつ。ひとつはホテルの部屋から一歩も出られないこと、もうひとつは、食事が「コンビニ弁当」であることだった。しかも、かなり下の方の価格帯と予測された。
僕は部屋に案内される。そのフロアは全ての部屋が政府によって借り上げられていた。暖かいし、インターネットは使えるし、テレビは見られるし、風呂には入れるし、生活は快適だった。僕は何度かホテルの部屋から、オンライン授業もやった。