モズクと冷奴

 

隣は競馬に負けたおっちゃん。

 

五時半に病院に戻り、父親の食事の世話をする。今日手伝ってくれたのは(厳密に言うと僕が彼を手伝うのだが)三月に看護学校を出たばかりの若い看護師のお兄ちゃん。娘のミドリくらいの年齢だろう。彼なりに一生懸命やっているのが分かり、見ていてほほえましい。

今日は継母と一緒にどこかで夕食をと計画していたが、継母の腰の調子が悪く、早く家へ戻り休むことになった。生母も留守。それで、病院から生母の帰り道の途中にある、超庶民的な中華料理屋へ入り夕食を取る。病院への道は、僕の小中学校の通学路でもあるのだが、この中華料理屋、僕が小学校に通っているとき、つまり四十年以上前から存在していた。そして、外観は四十年間全く変わっていない。何百回と前を通りながら、入るのは今日が初めてなのだ。

中に入り、朱色のカウンターに座り、生ビールの大ジョッキと餃子をまず注文する。壁には手書きの品書きがベタベタと貼り付けられており、テレビでは阪神戦の中継をやっている。隣の競馬帰りのおっちゃんと、カウンターの中の兄ちゃんが競馬の話しに花を咲かせている。まあ、これ以上庶民的な中華料理屋はない、「庶民的中華の三ツ星」という雰囲気だ。隣で「競馬に負けたおっちゃん」が「モズク」と「冷奴」を食べている。

「おっちゃん、それ美味しそうやな。俺も真似するわ。」

と言って、同じものを注文する。そのうちにそのおっちゃんと色々話をする。

沖縄の泡盛のビンが目の前にあったので、カウンターの兄ちゃんにロックを作ってもらう。それをおかわりして、最後にネギラーメンを食べて二千四百円、値段も極めて庶民的であった。

生母の家に戻ってシャワーを浴びて寝転がっていると、網戸を通じて少し涼しい風が入ってくる。生母が戻る。

「今日は三十五度あったんえ。」

と母が言った。自転車で走っていても暑いはずだ。

「今日は病院へ行く途中の紫明通りで初めてセミの声を聞いた。」

と生母に話す。英国にセミはいない。セミの声もあまり大きいと、

「うるさい。暑苦しい。」

と叫びたくなるけど、たまには良い。心のどこかでセミの声を聞きながら、疲れ切っていた僕は十時前には眠ってしまった。

翌朝、七時前、また鴨川まで散歩する。どこかの大学の陸上部だろうか。若者の一団がすがいスピードで通り過ぎていく。コーチだろうか、マネージャーだろうか、自転車で伴走している若い女性がいる。すれ違うとき、その女性が、

「おはようございます。」

と挨拶をしてくれた。こちらも返す。今日も暑くなりそう気配。

 

手書きの品書き、古いポスター、ナイターの阪神戦、哀愁を誘う取り合わせだ。

 

<次へ> <戻る>