マデイラ
夜明けとともにマデイラ島が姿を現した。久々に見る陸地。
月曜日の夜、ナイトクラブで社交ダンスの時間があった。そのとき、その朝習った「チャチャチャ」を妻と一緒に初めて人前で踊る。
「イエ〜イ、おいらも『社交界デビュー』を果たしたぞ。」
マユミは次々とダンスの申し込みを受け、出ずっぱり。寝る前に甲板に出てみる。全然寒くない。今日の午後から、海の色が北の海の緑色から南の海の群青色に変わり始めている。
火曜日、サウスハンプトンを出て五日目。七時ごろ甲板に出てみると、薄暗い中に陸地が見える。ポルトガル領、マデイラ島だ。陸地を見なかったのはたった三日間だけなのだが、何かとても嬉しく、頼もしく感じる。大洋を西に向かい最初に島影を発見したコロンブス、初めて太平洋を渡った咸臨丸の乗組員、数ヶ月の漂流の後アリューシャン列島に辿り着いた大黒屋光太夫、彼等の気持ちの何万分の一かが分かるような気がする。
ヴェンチューラはフンシャルの港に午前九時に接岸した。朝食を済ませ、午前九時半、僕達も上陸する。タラップを降りる。揺れない大地に足を踏みしめるというのは良いものだ。降りた人と戻ってくる人をチェックするために、上陸者は乗船者カードをスキャンする。
マデイラは曇り時々小雨。面積のわりに高い山が聳える火山島だが、その頂上は雲に隠れている。マデイラには六年前に休暇で一週間滞在し、妻も僕もフンシャルの街は熟知している。前回は飛行機で、ロンドンからリスボン経由で四時間かかって島に着いた。今回は四日がかり。飛行機が一時間かかって進む距離は、船の一日分の旅程なのだ。
港から、旧市街に向かって歩く。僕達のヴェンチューラの他に、三隻の客船が並んで接岸している。少し離れて見ると、ヴェンチューラが格段に大きいのが分かる。
フンシャルは二度目なので、特に見たい場所もない。ロープーウェーがあり、それに乗り山に登ると景色が良いのだが、今日は雲がかかっており、おそらく山上からは何も見えないだろう。マユミと僕は旧市街を散歩し、カフェに入りコーヒーを飲み、市場で果物を買い(柿があった)ブティックを冷やかして時間を過ごす。この島は、スエズ運河が出来る前、喜望峰周りの船が、補給と休養のために立ち寄った島だという。年中穏やかな気候で、冬の間この島で過ごすヨーロッパ人も多い。アフリカを回る厳しい船旅の後、皆この島で一息を入れたということだ。
おそらく千人以上のヴェンチューラの乗客がフンシャルの街に繰り出したので、やたらに英語が聞こえ、知った顔に出会う。マーケットの傍で夕食のとき同じテーブルのキースとジャネットに出会い、カフェでジョンとジェマに出会った。妻はよく知らない人に話しかけられる。
「昨日のダンス見たわよ。」
「あんた、プロなの。」
社交ダンスの上手い人、船旅ではスターなのだ。
フンシャルの街からヴェンチューラを望む。