ブダペストの地下鉄
鎖橋の上から、国会議事堂を望む。
ハンガリーではハンガリー語、マジャル語が話されている。欧州の言葉の殆どは、ゲルマン系、ラテン系、スラブ系など「インド・ゲルマン語族」に属しており、共通点が多く、どの言葉も、注意深く読むと、多少なりとも分かる単語がある。しかし、ハンガリー語だけは独特で、全く分かる単語がない。それもそのはず、ハンガリー語は「ウラル語族」、中央アジアが起源となる言葉なのだ。従って、ハンガリー語だけだと、
「全然分かりませ〜ん。」
状態になる。しかし、ドイツ語と英語が結構通じるので、そう言う意味ではフランスなんかより、居心地の良い場所である。
リクライニングしない座席に座っての、二時間余の飛行機の旅の後、正午前に僕はブダペスト空港に着いた。何故、ブツブツ文句を言いながらもライアンエアに乗っているかと言うと、午前中にブダペストに着ける便がこれしかなかったのである。その日は、午後三時から、会議が予定されていた。
僕の泊まるホテルはデリ駅というターミナル駅の横にある。空港の案内所でデリ駅へ行く方法を聞く。
「バスで地下鉄の最後の駅まで行って、そこから地下鉄の三号線に乗り、途中で地下鉄の二号線に乗り換えてください。一時間くらいで着けます。」
とのこと。バスと地下鉄の路線図をもらう。切符を買うと、五百三十フォリントであった。頭の中で換算してみる。一ポンド二十セント、日本円だと二百円ほど、二回も乗り換えて、一時間かかる距離にしては随分安い。
まずバスに乗る。隣に小さな犬を入れた籠を持った三十歳くらいの小柄な女性が座っている。二十分くらいバスに乗って、その後で地下鉄に乗り換える。同じ車両に先程バスで隣だった女性が乗っている。彼女の横に座って、英語で話をする。ドーラというその女性は、ハンガリー人でオランダのデン・ハーグに住んでいて、ウェイトレスとして働いている。一ヶ月ほど休暇を取って、故郷の両親を訪れるところ。籠の中にいるのはチワワという犬だと言う。
「ご両親に会うのに、二時間くらいで来られていいですね。僕なんか、日本へ帰ると片道十一時間ですから。」
と彼女に言う。デアク・フェレンク広場という駅でふたりとも降りたが、そこから乗り換えの地下鉄は別。握手をして彼女と別れる。地下鉄の二号線に乗り換えて終点のデリ駅に着き、午後二時にホテルにチェックインした。駅はブダ側にある。雨が降り出したので、駅で傘を買う。
後で知ったのだが、ブダペストの地下鉄は伝統があり、ロンドン、イスタンブールに次いで、世界で三番目に古いものだと知った。一号線は一八九六年に開業し、地下鉄では唯一「ユネスコ世界遺産」に登録されているという。現在は四号線までが開業している。列車は数分間隔でドンドン来るし、六百円ほどの切符を買っておけば二十四時間乗り放題。渋滞がひどい道路でタクシーを利用するよりは遥かに便利な交通手段である。
しかし、それを知ったのは後のこと。ホテルに着いた僕は、タクシーで、会議の会場に向かう。タクシーは「ブダの丘のトンネル」を抜け、「セーチェーニ鎖橋」を渡り、「英雄広場」をかすめて、ブダペストの北の端にある協力会社のオフィスの前で停まった。
奇妙な卵型の形をしたブダの王宮の丘トンネル。一八五七年に開通した。