独楽

 

開幕前、緞帳に写された独楽。幕が開くと同時にその意味が分かる。

 

「パパ、待った?」

末娘が向かいの席に座る。娘と「デート」というのも悪くない。六月二十二日の土曜日、僕は娘と、コベントガーデンの南インド料理店で待ち合わせていた。一緒に食事をしてから、すぐ向かいにある「ロイヤル・オペラ・ハウス(王立歌劇場)」に入るという予定。

「ずいぶん、豪勢な父の日のプレゼントやね。ありがと。」

と娘に言う。オペラの切符というのは結構高いのだ。おそらく今日の切符も一枚六十ポンド(約八千円)はすると思う。話を聞くと、彼女はボーイフレンドと一緒に来るためにチケットを買ったものの、彼が仕事で来られなくなったため、急遽そのチケットを「父の日」のプレゼントに切り替えたというか、流用したとのこと。道理で・・・

僕と末娘は王立歌劇場の席に就いた。開演まであと十分。正面の舞台の緞帳には、「独楽」(こま)が映し出されている。この独楽、何て呼ぶのだろうか。上に押すところがあって、それを押すと内部の独楽が回って、立っていられるというもの。

「ジャイロスコープ、かな?」

娘も英語で何て言うのか知らないという。

この独楽の意味、幕が上がってすぐに分かった。舞台は上下二段になっている。音楽はまだ始まらない。指揮者は立って、指揮棒を降ろしたまま。二階の舞台に、ひとりの少年が現れ、細い手すり上で、まさに緞帳に映っていたのと同じ独楽を回し始める。後ろから現れる忍者のような黒装束の三人の男。その男たちは少年の頸をナイフで掻き切って連れ去る。そこで、音楽が始まり、下の舞台に歌手たちが現れ、コーラスが始まる。かなり、意表をついたオープニングである。

僕は、この奇妙なオープニングについて行けた。歴史では、ボリスは自分がツァーリになるために、イワン雷帝の息子であった八歳のドミトリーの暗殺を指示したということになっている。独楽を回している少年はそのドミトリーで、三人の男は、ボリスが派遣した刺客なのだ。子供が殺されるシーンは、今回の演出のオリジナルで、マリインスキー版やボリショイ版にはなかった。

「やっぱり、事前にリサーチしておいてよかった〜」

と自己満足。じゃないと、最初から話に付いて行けないところだった。この、少年が殺されるシーンは、劇中何度も繰り返される。これにより、如何に、ボリスがこの「少年殺し」に対して、罪の意識を感じているのかが、観客に分かる仕掛けになっている。しかも、ボリスには殺されたドミトリーとほぼ同じ年齢の息子がおり、彼はその息子を溺愛しているのである。この公演のパンフレットの中で、エイドリアン・モアビー(Adrian Mourby)という人が、「罪悪感と後悔に苛まれて」(Tormented with Guilt and Remorse)と題した一文を書いている。「権力を得るために手段を選ばなかった主人公が、その権力を得た後、自分の過去の行いに対する罪悪感に苛まれ死んでいく」この物語を一言で表現すると、そうなるだろう。

 

二階建ての舞台、一度にふたつのストーリーの流れを描くことができる。上が宮廷、下が民衆。

 

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