ビリーの生きた場所と時代
労働者の敵として、カリカチュアライズされたマーガレット・サッチャーが登場する。
「私は英語がほとんど理解できません」という人は、僕のように「母国語じゃないけどそれなりの英語の話せる外国人」より、このミュージカルを見る、あるいは聞く上でのフラストレーションが少ないと思う。舞台は北イングランドのダーラム近郊。僕の末娘がダーラム大学に通っていたので、馴染みのある場所である。ニューカッスル/ダーラム周辺の方言は、「ノーザン・アクセント」と呼ばれ、かなりロンドン周辺の英語と異なっている。
このミュージカル、人種のリアリティーには余りこだわらないくせに、言葉のリアリティーへのこだわりは高く、会話は全てノーザン・アクセントである。僕には半分も聞き取れない。周囲が爆笑の渦でも取り残される。英語のネイティブスピーカーである一緒に行った真ん中の娘は、例え方言であろうと、会話は九十九パーセント理解できたと言っていた。やはり「ネーティブ」はすごい。この「ノーザン・アクセント」、単に発音が違うだけでなく、独特の単語もあり、プログラムには、「方言、標準語対比表」が付いていた。例えば「las」という言葉が出て来る。何のことか分からなかったが、「ガール、女の子」という意味だそうだ。
それと、時代背景と英国の階級制度も、外国人がこのミュージカルを完全に理解する妨げとなっている。舞台は一九八四年から八五年、「鉄の女」マーガレット・サッチャー政権。日本でもそうであるが、この時期、海外からの安い石炭輸入の急増で、炭鉱は閉鎖の危機に直面していた。炭鉱閉鎖に反対する全国規模の炭鉱労働者のストライキが起こり、一年近くもそれが続いた。サッチャー政権は、ストライキに対して、強攻策を取り、警官隊を導入して、ピケットラインの突破を図った。ビリーの父、兄も炭鉱労働者であり、ストライキに参加しているという設定である。何度も行われる警官隊とのもみ合い、またクリスマス・パーティーで歌われる「メリー・クリスマス・ミセス・サッチャー」の意味等は、この時代背景を知らないと何のことか分からない。
とは言え、よく出来たミュージカルで、たとえ会話が百パーセント理解できなくても、当時の社会情勢を理解できていなくても、このミュージカルを楽しむことはできるは保証できる。
ビリーの家庭が「労働者階級/ワーキング・クラス」と言うことが、ビリーがバレーをやる上での障害となっている。日本では死語になりつつあるが、英国には
「うちは中産階級だ。」
「彼は労働者階級の出身だ。」
とかいう表現が今日でも普通に使われる。ビリーの父は炭鉱労働者、筋金入りの「ワーキング・クラス」。基本的に労働者階級の子供は大学へ進まず、スポーツはサッカーかボクシングというのが当時の常識であった。ダンスやラグビーは、中産階級以上のスポーツなのだ。ビリーがバレーをやることに対して、父親や兄から大反対に遭うのも、基本的にそれが上流階級の趣味と見なされるからである。
ボクシングのトレーニングに行ったビリーは、バレーの魅力に取りつかれる。