フィヨルドの水の味

「コンポニストヒュッテ」の内部。ここでグリーグは作曲した。窓の下にはフィヨルドが広がる。

 

 フィヨルドは厳密に言うと「海」である。氷河によって削られた広い「溝」に氷河が融けた後、海水が入り込んだものであるから。では、海の水であるから、フィヨルドの水も塩辛いのであろうか。グリーグの家から、フィヨルドへ降りていく小道があった。その水際の崖に穴を掘って、グリーグと妻のニーナが埋葬されている。そこで、初めてフィヨルドの水に手が届いたので、舐めてみた。塩辛いが、海水に比べてはぐっと塩分は少ない。フィヨルドの水は、海水と淡水の中間なのである。

 グリーグの家には、三十人くらいの観光客が訪れていたが、午後一時にコンサートが始まると、庭にいるのは僕たち三人だけになった。僕たちはグリーグの家の中に入る。

「ごめんくさい。おじゃましまんにゃわ〜。」

一応他人様のお家なので、挨拶をして入る。迎えてくれたのは、職員の韓国人のお姉さんであった。もちろん、彼女に吉本新喜劇のギャグは通じない。

「なかなかコジー(小さくて居心地の良い)家だね。」

と娘と言い合う。何せ、客が僕たちだけなので、職員のお姉さんはほぼ専属ガイド状態で、家の中の様子とグリーグの人生について説明してくれる。グリーグは背の低い人だったとか、バイオリニストのオーレ・ブルという人に才能を認められてドイツのライプティヒで勉強したとか、歌手である奥さんのニーナとタッグを組んでコンサートをしていたとか、年間三百回くらいコンサートをこなしたこともあるとか。彼女の話でちょっと意外だったのは、グリーグはヴァーグナーが好きで、バイロイト音楽祭を何度も訪れていたということ。

「派手なヴァーグナーの音楽と、ちょっと地味なグリーグでは、少し作風が違うじゃないですか。」

と僕が聞くと、

「グリーグは晩年、オペラに凝って、そのモデルとしてヴァーグナーを好んで聴いたようです。」

という返事だった。

 グリーグさんの本宅から坂道を降りたところに「コンポニストヒュッテ」(作曲のための小屋)があった。赤く塗られた小さな木の建物で、まどから中を除くと、アップライトのピアノと、ベッドにもなるソファと、書き物机が見えた。グリーグはここで作曲をしていたという。

 庭のベンチで弁当を食べていると、博物館のコンサートルームでのランチタイムコンサートが終ったらしく、人々が庭に戻ってきた。昼食後、トラムの駅まで戻り、ベルゲンの市内に戻る。しかし、駅を降りてからの田舎道も、フィヨルドの岬の上にあるグリーグの家の庭も、あちこちに花が咲いており、なかなか気持ちの良い散歩コースであった。

 いつしか、道を尋ねるのは、英語の得意な(実は英語しか喋れない)娘の役割になった。ノルウェー語の発音は、抑揚が独特でメロディックなのだが、娘はこれを真似るのが上手い。先にも書いたが、ベルゲンの人々は殆ど英語が話せる上、ノルウェー語がドイツ語に似ているので、地元民とのコミュニケーションと、書いてあることの理解はほぼ完璧。これほど言葉に困らなかった旅も珍しい。ホテルの近くに赤いレンガ造りの建物があり「Brandstasjon」という看板が挙がっている。さてこの建物は何でしょう。「ブランド」はドイツ語で「火事」、「スタション」は「ステーション」、正解は「消防署」。こんな推理をしながらノルウェー語を解読するのは楽しい。

 

崖の中腹にあるグリーグと妻のニーナの墓所。

 

<次へ> <戻る>