夏至の頃
石造りで重厚な、ノルウェー国有鉄道ベルゲン中央駅。
僕たちの乗った「ノルウィージャン」航空機は、複雑な形の半島と、無数の小さな島の点在する海岸線をかすめてベルゲン空港に着陸した。ご存知のように、ノルウェーは、氷河で削られた深い湾、フィヨルドの国である。飛行機を降りてターミナルビルディングに向かうバスの中で、僕たちは、先程述べた学校の先生と一緒になったのだった。彼はチベットから来た生徒を連れて、これから学校に向かうところだと言った。
今回の旅行は、六月十九日に英国を発って、六月二十二日戻るというものだった。旅行をこの時期にしたのは意味がある。僕は夏至の日にノルウェーに居たかったのだ。北欧の小説を読んでいると、「夏至のお祝い」の場面がよく出てくる。いつまでも沈まない太陽を見ながら、家族や友達が集まって、一緒に飲んで食って踊るという場面。僕にとって、夏至の日に北の国にいるのは、何か特別なことのように思われた。
スウェーデンの作家、ヘニング・マンケルの小説に、「イタリア製の靴」というのがある。僕の好きな作品のひとつだ。人里離れたスウェーデンの島で独り寂しく暮らす男。彼は外科医だったが、とんでもない医療事故を起こし、自責の念に駆られて世間から隔絶した生活を送っていた。そこに、死ぬ前にもう一度だけ会いたいと、癌に侵された元恋人とその娘がやって来る。男は、島に定期的にやって来る唯一の人物である郵便配達夫も招待して、夏至のパーティーを催す。さえない中年男と誰もが思っていた郵便配達夫が、突然、朗々とした声で歌を唄いだす。皆がそれに聞き入る・・・その場面は、僕にとってはとても印象的であった。そして、一度でいいから、夏至の日に北欧にいたいと思った。今年は三日目の日曜日、六月二十一日が夏至に当たっている。
ベルゲン空港からシャトルバスでベルゲン市内に向かう。
「通常は二十五分で着きますが、ラッシュアワーなのでもう少しかかるかも。」
という運転手の予測どおり、金曜日の夕方の渋滞の中、結局一時間近くかかって、僕たちは、市内のバスターミナルに着いた。末娘のスミレは、
「街の雰囲気がドイツに似ている。」
と言う。確かに、英国の都市のように雑然としたところが少なく、街は「一本筋の通った清潔感」とでもいうようなものに貫かれているような気がする。天気は曇り、気温は十五度くらいだと思われる。
僕たちの泊まるホテル「グランド・テルミヌス」はバスターミナルから歩いて百五十メートルだという。末娘のスミレは、前日、ホテルの位置をインターネットの「グーグル地図」で確かめていた。「ストリートビュー」という機能を使って、実際に街を歩いているようにして見たという。
「もう街を見たのなら、行かなくてもいいじゃん。」
と僕が冗談で言う。
石造りのベルゲン駅のすぐ横にある、薄い緑色をしたホテルは、古色蒼然とした建物であった。中に入る。
「わあ、まるで『グランドブダペストホテル』みたいだ。」
と僕が叫ぶ。壁の色、床の絨毯、壁に沿って並べられたソファ、天井から下がるシャンデリア。全てが五十年前の由緒正しいホテルの佇まいを感じさせる。
前世紀の中ごろにタイムスリップしたようなホテル「グランド・テルミヌス」の内部。