ベルゲンへ
僕たちの乗ったノルウィージャン航空機の尾翼には、ノルウェーの歴史上の人物が描かれている。
「うちの学校には、きみと同じくらいの年齢の子が世界中から来ている。」
ベルゲン空港のターミナルビルディングへ向かうバスの中で、インターナショナル・スクールの先生だという男性が娘のスミレに言った。娘は童顔だが、本当はもう二十代の半ば。大学を出て、広告代理店に勤めている。ティーンエージャーと間違えられて、喜んでいいのか、悲しんでいいのか、彼女は鼻をピクピクと動かした。その男性は、僕が生まれて初めて話したノルウェー人であった。しかし、ノルウェーの国、言葉、文化について、僕は少し予備知識があった。それは、ノルウェーの作家の書いた本をこれまで何冊か読んでいたからである。
その男性と話すことになったきっかけ、それは、僕が娘に、「ヨー・ネスベー」という現代ノルウェー作家について説明していたとき、名前の半音を横で聞いていた彼が直してくれたのだった。僕は最近、ネスベーの書いた本をよく読んでいて、娘もネスベーを知っているか尋ねたのだった。「Jo Nesbø」と書くと、「ジョー・ネスボー」と読んでしまいそう。事実、英国人はそう発音している。しかし、北欧の言葉では「J」はヤ行で発音し、最後の「お団子串刺し」は「オの口をしてウと言う」発音である。従って「ヨー・ネスベー」というのが、本来の発音に近い。北欧のミステリー、これが結構面白く、欧米では大変人気がある。僕もそのファンである。ネスベーは、その中でも、欧州で今一番読まれている北欧の作家と言える。
北欧のミステリーというと、スウェーデンのジャーナリストで作家、スティーグ・ラーソンが書いた、「ドラゴンタトゥーの女」を始めとする「ミレニアム三部作」が一時、一世を風靡した。世界中で何百万部も売れたシリーズで、映画化もされた。しかし、ネスベーの作品は、全世界での発行部数で、最近ラーソンを越えたという。確かに、読んでみると、なかなか引き込まれるストーリーである。主要な登場人物は危機一髪になるが死なないという「お約束」を完全に無視した展開が新鮮である。
「ネスベーは、最初サッカー選手で、次にロックシンガーになって、今は作家をしている。」
と、インターナショナル・スクールの先生が言ったが、これは事実である。多才な人なのだ。
「でも、僕は余り好きでないけど。」
と彼は言う。まあ、好みは人それぞれである。
ネスベーの他に、最近、カリン・フォッスムというノルウェーの女性作家の作品も読んだ。それらの物語の舞台、背景を知るために、一度ノルウェーに行こうと計画していたところ、妻と末娘のスミレもその話に乗ってきて、今回、三人でノルウェーのベルゲンに向かうことになった。本来、僕は四日間でオスロとベルゲンのふたつの都市を訪れるつもりだった。しかし、妻がそれでは忙しすぎるというので、今回はベルゲンだけを訪れることになった。昨年から働き出し、忙しい毎日を送っている末娘にとって、今回が初めての有給休暇である。
「ここで降りて、仕事に行かないと。」
ガトウィック空港へ向かう電車が娘の職場の最寄り駅を通ったとき、僕は娘に冗談で言った。
ロンドンからベルゲンまでは、僅か一時間半の飛行、六月十九日の昼前、ロンドン・ガトウィック空港を発った僕たちは、時差の一時間を入れても、もう午後二時半にはベルゲン空港に到着していた。
飛行機の上から見る初めてのノルウェーの海岸。まあ、「松島」を大規模にしたものと思っていただいてよい。