幼稚園でのお迎え
ちょっと松島っぽい景色。岩に名前がついているのかな?
ランカウイ島での三日目、妻と娘はカヤックに乗りに行った。マングローブの林の中を、カヤックで通り過ぎたという。僕は例によって、時差ボケで、前夜三時ごろまで眠れなかった。ようやく眠って目を覚ましたときは、もう十一時を回っていた。その日は、妻と娘が帰ってくるまで、プールで泳いだり、ジムでウェートトレーニングをしたり、海岸で本を読んだりして過ごす。休暇なんだし、たまにはのんびりしないとね。
翌日、僕たちはシンガポールに戻った。昼前にチャンギー空港に着くと、またワタルが迎えに来てくれていた。エンゾーは幼稚園に行っており、息子はその日は在宅勤務だという。妻と僕は、エンゾーを幼稚園まで迎えに行くことにした。と言っても、幼稚園の場所も知らないし、ワタルが車で迎えに行くのについて行くだけであるが。
四時になって、息子の運転で、車で十五分ほどの幼稚園に、エンゾーを迎えにいく。幼稚園はビルに囲まれた、平屋の建物だった。息子が、窓からエンゾーを呼ぶ。日本語が聞こえてくる。同じく子どもたちを迎えに来た日本人のお母さんたちであった。
「日本人の子供は、たいていお母さんが迎えに来る。お父さんが来るのは僕くらい。」
と息子は言う。
「じゃあ、日本人以外の子供たちのお迎えはお父さんなの?」
「いや、たいていは『お手伝いさん』だ。」
シンガポールでは、少し裕福な家庭だと、住み込みのお手伝いさんがいるのが普通。息子も結婚して家庭を持ってからずっと、「住み込みのお手伝いさんがいる生活」だ。今も、シャシャという女性が住み込みで働いている。基本的に、掃除、洗濯、炊事はお手伝いさんがやってくれる。お手伝いさんの供給源はフィリピン。フィリピンの人は、英語を話すので、便利らしい。そして、小学校や学校での、子供たちの送り迎えは、そのお手伝いさんがするという家庭が多いらしい。息子に尋ねる。
「シンガポールに住む日本人の家庭には、お手伝いさんがいないの?」
「日本人の駐在員の奥さんって、基本的に働けないから暇でしょ。それに、英語が話せないから、お手伝いさんを雇っても、指示できないからね。」
そんな話をしているうちに、出口からエンゾーが飛び出してきた。大きなリュックサックを背負っているが、ピョンピョン走り回っている。
「エンゾーくん、幼稚園おもしろかった?」
「イエ〜ス!」
週末バーベキューをするというので、それから肉を買いに行った。ダウンタウンに車を停めて、息子と妻は肉屋へ向かう。僕はロバート・キー広場のカフェでビールを頼んで、エンゾーと一緒に待っていた。近くに別の幼稚園があった。そこから、子供を連れたお母さんたちが出て来る。皆、日本語を喋っていた。
「ただいま!」元気に幼稚園から飛び出してきたエンゾー。