プロ歌手と出会った
今回は何度も通った祇園・八坂神社石段下。いつもながら中国人観光客が多い。
二十九日の夕方、僕は中学、高校時代の友人たちと夕食をとった。英国から僕が帰っているのに加え、数日前にロサンゼルスからU子さんも戻って来ており、遠来の二人を囲んでということで、お食事会が企画されたのだった。企画してくれたのは、京都大学名誉教授のOくん。参加はU子さんと僕の他に、東京にお住いのK子さん、京都で眼科医院を開業しておられる眼医者さんのTさん。K子さんは、僕たちの同級生の中では異色、プロの「ボサノバ歌手」なのである。
Oくんご推薦の、三条木屋町の京料理の店で五人は出会った。同窓会で何度か会った人たちだが、K子さんとは十年ぶりくらいかな。どんな経緯で彼女が歌手になったのか、僕は興味があった。それで、結構根ほり葉ほり聞いた。
「夫の転勤でブラジルのリオに行ったのよね。他の『日本人の妻』の世界に馴染めなくて、現地で歌を習い始めたわけ。それがきっかけね。」
まあ、「有閑マダムの余技」に終わらず、プロになれたということは、彼女にそれだけの才能があったということだろう。
「ご主人はどこの会社なの?」
と聞くと、「S商事」とのこと。最近、何故か「S商事」と縁があるなあ。
「僕も『S商事』の社員やった。」
と言うと、U子さんが、
「私も!」
あれれ、またまた、「S商事」の同窓会になってしまった。
「ボサノバ」という音楽は、伝統的なブラジルの音楽だと思っていた。しかし、K子さんによると、一九五〇年代に出来上がった、新しい音楽であるという。
「そもそも、『ボサノバ』というのは『新しい波』という意味なのよね。」
なるほど。その後、K子さんはボサノバ独特のリズムを教えてくれたが、リズム感が最悪の僕には到底真似できるものではなかった。K子さんは、まだ東京のクラブやレストランで歌っているという。
「今度帰ったら、聞きにいくね。」
僕は約束した。
店で京料理と、日本酒を堪能した僕たちは、これもOくんご推薦の「昭和の香りのするバー」に行く。道々、開業医のTさんから、「開業医の苦労」を色々と聞く。「休めない」、「代わりがいない」ということは大きなプレッシャー、そんな中で何十年もやってこられたTさんには頭が下がる。
夜の木屋町通は、若い人たちでにぎわっていた。南座の前を通ったが、「顔見世」は終わり、「まねき」も降ろされ、「松竹新喜劇正月興行」の看板に変わっていた。
中学、高校の「プチ同窓会」、皆さんそれぞれ人生の成功者。(僕を除く)