山で亡くなった君へ

 

これがお寺だなんて、ちょっと信じられないよね。

 

十二月二十六日、僕は二日ぶりにN家を出て、東京に向かった。相変わらず、天気は良く、青空が広がっている。大網から千葉へ、そこから総武線快速に乗って品川へ。京浜東北線に乗り換えて、午後一時に蒲田に着いた。そこで、かつての親友の奥さん、N子さんに落ち合い、僕たちはお寺に向かった。

親友のBくんが亡くなったというニュースを、奥さんから聞いたのは、三年前のことだった。一人で槍ヶ岳に登っている途中に滑落。数日後に遺体で発見されたという。小学生の子供さんふたりを残してのことだった。そのとき、奥さんのとは、メールや電話で何度かやりとりし、僕なりに彼女を慰めたつもりだった。しかし、今回娘を亡くして、肉親を亡くした人の気持ちが、どんなものであるかがよく分かった。同時に、N子さんに言った言葉が、すごく無責任なもののように思えてきた。

「奥さんに謝りたいよな。そうだ、次に日本に帰る時は、Bくんのお墓参りをしよう。」

僕は心に決めた。今回、英国を出発する前に奥さんと話し、JR蒲田駅で彼女と会い、駅の近くのお寺に向かうことになっていたのだった。

 蒲田駅前から乗ったタクシーを降りる。そこには、鉄筋コンクリート造りの、体育館か、図書館みたいな建物があった。木造の建物の周りにお墓があるという、一般的な寺のイメージとはかなり異なる。階段を上っていくと、二階にご住職の奥様が待っておられた。N子さんが、前もって連絡されていたようだ。二階の大広間が「本堂」の役割を果たしているようだ。そこで、ご本尊に手を合わせた後、「お墓」に向かう。「お墓は」、廊下の両側にズラリと並んでおり、スポーツジムの更衣室のロッカーのような雰囲気。Bくんのお骨が納められた区画は、扉が開かれ、その前に椅子が二つ置かれていた。そこで、ご住職の奥様がお経を上げられ、僕たちは焼香した。その後、また本堂に戻り、お茶をご馳走になった後、僕とN子さんはお寺を後にした。

 東急の駅の近くで、カフェに入り、奥さんからはBくんが亡くなった時の事情や、その後子供さんたちの様子、僕からは、Bくんがロンドンにいて、僕と仲良かった頃の話をした。Bくんは英国から日本に戻ってから結婚されたので、英国時代の様子を、奥さんは余りご存知ないのだ。奥さんが、鞄から十数枚の写真を取り出し、僕に渡した。

「この写真、彼が英国にいたときのもので、どこで撮ったのか、私はよく分からないんです。モトさん、どこだか分かりますか?」

写真を順番に眺める。殆どの写真がどこで撮られたか分かった。

「これは、ブリュッセルの小便小僧の前ですよ。」

そんな風に、僕は彼女に一枚ずつ説明した。

「分かってよかったわ。今日から、このブリュッセルの写真を家に飾ることにします。」

N子さんはそう言って微笑んだ。

 

京都市内から京都市内までの「一筆書き」切符。

 

<次へ> <戻る>