まねき
京都に戻った時、十二月も半ばだというのに、まだ紅葉が残っていた。
「それにしても、たくさんの人に会ったなあ。」
帰りの飛行機を待っている間、今回の休暇中に会った人々のリストを作ってみた。数えてみると、何と三十五人だった。日本にいた二十二日の間に三十五人、これはメッチャ多い。
最初に会ったのは、もちろん、母と継母と叔母。友人として最初に会ったのは、GくんとMくん、京都に着いた翌々日だった。Gくんは幼馴染、ずっとJICA(国際協力機構)で働いておられ、海外で仕事をされてきた。彼のこれまで勤務地、ポーランド、ソロモン諸島、ヨルダン、ルアンダなどを、僕は訪れたことがある。Mくんは、もう二十年くらい会っていない。S百貨店にお勤めだったことは覚えているが、今は何をされているのやら。
飲み会の会場は、祇園石段下、Mくんが学生の頃から行っていた居酒屋「山口大帝」。「ジャングル大帝」ではない。集合時間は五時半。僕は四時に鞍馬口の母の家を出発した。もちろん歩いて行くつもり。今回、運動不足解消のためと、京都の街をくまなく見るために、できるだけ歩こうと決めていた。
午後四時、僕は鞍馬口の母の家を出る。祇園石段下までは六キロ半、所用予定時間は一時間二十六分。歩いていると、道の両側の店、石碑などが観察できて、新しい発見がいっぱいある。三十分で、同志社大学の前を通る。ちょうど下校の時間らしく、たくさんの学生さんが、赤レンガのキャンパスから出て来ている。
「わっ、眩しい!」
女子大生のはつらつとした若さが、キラキラと僕の目を刺す。
「古い歴史もええけど、やっぱ、若いお姉ちゃんはもっとええ。」
同志社大学を通り過ぎ、御所の中に入る。紅葉がまだ結構残っている。夕闇が迫って来ているが、それに対抗するように赤い紅葉が存在感を示している。白い砂利を敷き詰めた広い道を、できるだけ最短距離になるように歩く。御所を出たところで一時間経っていた。その後、一度道に迷った僕は、五分遅刻して八坂神社石段下の到着。Gくん、Mくんと会う。
Mくんの選んだ居酒屋は、幅が一メートルもない路地に面している。一階がカウンターで、二階が畳敷き。低いテーブルがついたてで仕切られており、ホント、「気分は昭和」。
「俺が、大学のときに来たのと、全然変わってへん。」
とMくんは感慨深そう。彼は「転勤族」で、日本全国のあちこちに住んだ後、今は兵庫県にお住まいとのこと。あの「お騒がせ」斎藤知事のおられる、兵庫県庁で働いているとのことだ。僕たちは高校生の頃から気が合い、色々と馬鹿なことをしてきた仲。昔話に花が咲く。
九時ごろに、兵庫県まで帰るMくんを、四条通を歩いて、阪急河原町駅まで送って行く。
「わあ、『まねき』や、何年ぶりに見るやろ。」
「南座」の前には、年末の「顔見世」興行のために、歌舞伎役者さんたちの名前を書いた札が掲げられていた。昔、この前で、バスを待っていたもんだ。本当に「まねき」を見ると、師走になったという実感が湧く。河原町駅で、大阪へ向かうMくんを見送った。
京都の師走の風物詩、南座の「まねき」。