旅行代理店モト

 

「前夜祭」、金沢での焼肉パーティーにて。中国、平谷以来六週間のぶりの再会。

 

先にも書いたが、八月にゾーイとワタルの第一回目の結婚披露宴が中国の平谷(ピングウ)であった。参加者はゾーイの親戚と、僕たち家族の四人。それを僕たち家族は「チャイニーズ・ウェディング」と呼んでいた。ゾーイのご両親はシンガポールに住んでおられるが、それ以外のご親戚は全員中国にお住まい。その方たちを全てシンガポールに移動させるのはとても大変。新郎新婦が中国に出向くと言うのは、それなりの説得力があった。

第二回目の披露宴を日本で行うとふたりから聞いたとき、僕は正直驚いた。招待する友人の数を考えれば、当然、息子の育った英国か、現在ふたりが住んでいるシンガポールだと思っていたからだ。しかも、式場は、金沢から少し離れた田園地帯、石川県かほく市であるという。

「日本の『打ち掛け』が着てみたい。」

というゾーイの希望が優先されたとのこと。また、自然の中で、緑の中で式を挙げたいというふたりの希望で、会場が決まった。ともかく、「チャイニーズ・ウェディング」から帰った翌日から、僕たちは六週間後の「ジャパニーズ・ウェディング」の準備を始めた。

今回、日本での披露宴の準備で、「こき使われた」のは、金沢に住む義母と甥、僕であろう。何せ、式場のある金沢に住むのは義母だけ。義母は、式場の下見、前日のレストランの予約、送迎バスの手配、妻や娘の和服や着付けの手配など、地元でしかできない、色々なことをやってくれた。

「お母さん、あんなにこき使われて大丈夫やろか。」

と妻と僕が正直心配するくらい。甥は下見や、当日の運転手。式場との間を何往復もしてくれた。さて、僕の方だが、金沢での披露宴が終わった翌日から三日間、ふたりと、ゾーイのご両親が京都に来ることになっていた。その間のお相手が僕の役目だという。「アイティナラリー」(旅行日程)の作成、つまり、移動時間や手段の決定、観光ルートの決定、レストランや観光ハイヤーの予約などが僕の仕事だった。「旅行代理店モト」の開店である。正直言って、僕はそんな旅行代理店業務に慣れていた。それは何故か?理由は、僕が永年サラリーマンをやっていたからである。サラリーマンって、結構、出張や会議の企画、宴会やゴルフコンペの幹事で、「旅行代理店」的な仕事をしているものなのだ。

Tくん、ちょっとこの件、相談に乗ってくれへん?」

とデスクへ行くと、Tくんは一所懸命「社内ゴルフコンペ」の準備をしていたりする。

 僕は、京都での宿や観光ハイヤーの予約、生母と継母を交えての夕食会の手配のために、日本へ電話を架けまくった。そして、「エクセル」で家族全員とハンさん夫婦の行動予定用を作り、それを英国と日本の家族に配った。レストランなども、自分が一度行き、安心できるところを選んだ。自分で言うのもなんだが、綿密で完璧な計画。しかし、「いくら完璧な計画を立てても油断してはいけない」と言うのも、僕がサラリーマン生活で学んだことだ。人間だし、体調を崩すかも知れない。天候その他の理由で交通機関が遅れるかも知れない。それに柔軟に対応するのも、結構大切で大変なんだよね。

 

この方たち、ワタルの中学の同級生。子供時代から知っている。「どうしてここに」と先ず考えてしまった。

 

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