「心臓が脈打つ限り」
ドイツ語題:Solange das Herz noch schlägt
原題:Om hjärtat ännu slår
(2000年)
アイノ・トロセル
Aino Trosell
<はじめに>
優しい男性は良い。しかし、優し過ぎる男性は裏に何かを隠している。それに気付いたときには、もう遅いのだろうか。アイノ・トロセルが初めてミステリーに挑んだ作品。この作品で彼女は、二〇〇〇年のスウェーデン犯罪小説大賞を受賞した。
<ストーリー>
ふたりの男女がむさぼるようにセックスをしている。ふたりは任務が終わるまではお互いに話さないと誓っている。天気の良い冬の朝、ふたりはアパートから外に出て、車に乗ろうとする。女性が車のドアを開けたとたん爆弾が破裂する。女性は即死、男性も数時間後に死亡する。新聞には殺人を請け負う人間に幾ら払われたかが話題になった。
シヴ・ダーリンはイェーテボリに住んでいる。彼女は朝早く起きて、配達された新聞に載っている、結婚広告、死亡広告、出生広告を見るのが好きだ。数行の広告や小さな写真から、彼女はそこに載っている人々の人生を想像するのだった。彼女の夫にヤンはまだ眠っていた。ふたりは二十四年前に結婚、娘のオーサを設けた。その娘も働き始め、家を出て行った。シヴの父親は誰か分からず、彼女は母親に育てられた。いや、母親は働いていたので、ベビーシッターに育てられた。しかし、シヴは自分のこれまでの人生を振り返り、まずまずの道を歩んできたと思っている。彼女は、人から余り注目されないタイプだと自分では思っていた。しかし、時にはスキャンダラスな想像をするのが好きで、注目されたいという気持ちも持っていた。
シヴは老人介護施設で看護師として働いていた。そこには認知症の老人が収容されていた。職員たちは、予期せぬ行動を取る老人たちに手を焼きながら、忙しい時間を送っていた。昼から、施設のリビングルームである老女の髪を梳いていたシヴは、夫のヤンがテレビに写っているのに気づく。彼は記者からインタビューを受けていたが、音声が小さく何を言っているのか分からない。ヤンは労働組合の幹部であった。彼は政治に興味があったが、政治家になるには性格が穏やか過ぎた。シヴは、ヤンの周辺に何が起きたかを知りたくて、彼の職場に電話をする。ヤンはおらず、秘書が組合員を狙った殺人事件が起きたことを告げる。
シヴは仕事からの帰り道、新聞を買ってその事件の様子を知る。殺されたのはヤンの前任者の夫婦であった。前任者はネオナチグループを名指しで攻撃していた。ネオナチから脅迫を受けていたが、彼は警察の保護を断っていたという。シヴはネオナチに怒りを覚え、夫に行動には十分注意するように忠告しようと思う。ヤンは社会民主党員で、言論の自由を唱えていた。
シヴは夕食の支度を始める。シヴは、明後日に迫った、ヤンの四十五歳の誕生日のアイデアを練っていた。牡蠣など食べたことのないシヴだが、ヤンを散歩に誘って、外で乾杯をし、牡蠣を食べるサプライズを考えていた。そこにヤンから電話が架かる。彼は、仕事で遅くなるので夕食は要らない、また、翌日はデンマークで会議があるので、一晩家を空ける旨をシヴに伝える。ヤンは先に寝ているようにシヴに伝える。
シヴは叔母のインゲボルグに電話をする。シヴの母親は祖父母との関係が上手くいかなくなり、妊娠中に北の小さな町から、五百キロ離れたイェーテボリに移った。しかし、シヴは時々祖父母の場所へ遊びに行き、そこで伯母のインゲボルグを訪れた。今では、インゲボルグはシヴと彼女の過去との唯一の架け橋であった。シヴは七十四歳になる叔母に毎日のように電話をしていた。その夜も、シヴはインゲボルグに電話をした。シヴは夫の周辺に殺人事件の起こった不安を語る。叔母は最近空き家であった隣の家に男性が越してきたことを話す。ニルスというその男性は、雪かきをしてくれたりして、インゲボルグや隣人たちに親切で協力的であるという。インゲボルグはまだ働いていた。彼女は、近くにあるなめし革工場の、引退した元社長の掃除婦をしていた。インゲボルグの話は、反対側の隣人のマリアンネに及ぶ。インゲボルグは結婚したことのないマリアンネに実は隠し子がいるという噂や、彼女が最近スノーモービルを買ったことなどを話す。シヴは自分が都会に住んでおり、隣人たちの目を気にしなくてよいこと、また噂話に惑わされないですむこと感謝をする。シヴは叔母との電話を終わり床に就く。夫のヤンは深夜に戻ったが、シヴを起こさなかった。
翌朝、「起こさないでくれ」というヤンの書置きがあったので、シヴは眠っている夫を置いて家を出る。介護施設に着くと、患者の一人であるスティーグ・エリックの容態が悪くなっていた。シヴは彼のベッドの横に座る。スティーグ・エリックは最後に目を開き、何かを言った後息絶えた。シヴは事故などで悲惨な死に方をする人もいる中で、ベッドの中で天寿を全うして死んだスティーグ。エリックは幸せだったと考える。
一人の看護師が、緊急の電話が入っていると言ってシヴを呼び出す。それは、インゲボルグの息子のカール・エリックからであった。インゲボルグが死んだという。彼女が外の階段で死んでいるのを、隣人のニルスが発見したとのことであった。シヴは大きな衝撃を受ける。彼女はどうしても夫のヤンと話したいと思った。彼女はデンマーク行のフェリーの時間にまだ間に合うことを知り、フェリー乗り場に駆けつける。シヴは乗船口でヤンの車を見つけようとするが、夫の車は現れない。フェリーは岸を離れる。シヴはフェリーの甲板に夫が若い女性と一緒にいるのを発見する。ふたりはキスをしていた。
失意のシヴはタクシーで家に戻り眠る。彼女は夕方にカール・エリックの電話で起こされる。カール・エリックは、インゲボルグの家に着いたという。彼は一週間後に予定されている母親の葬儀に、シヴとヤンにも出席して欲しいと伝える。
夫の浮気と、インゲボルグの死。シヴには二重の衝撃であった。シヴは荒れる。彼女は家の皿やコップを壁に向かって投げつけ、ゴミをベランダにぶちまける。自分はもうこの場所に居たくないと彼女は思い始める。翌日の午前にヤンが戻る。シヴはヤンに怒りの言葉をぶちまけ、私たちの関係は終わったと言う。ヤンは一緒にいた女性はインゲラという同僚で、仕事の上での付き合いでしかないと弁解する。シヴは家を出て、あてもなく歩くが、結局家に戻る、家には牡蠣が配達されていた。
シヴは独りで暮らすことを決め、アパートを捜し始める。ヤンはもう一度やり直そうと言うが、シヴは耳を貸さない。彼女は家でもソファで眠る。一週間後の金曜日、シヴはインゲボルグの葬儀に参列するために、独り車で北へ向かう。土曜日の葬儀に出席した後、お茶の時間に、シヴは隣人のニルスと初めて会う。お茶の席で、インゲボルグが家政婦として働いていたなめし革工場の元社長、ミケルセンがスピーチをする。シヴは昔からこの村に愛着を持っていたことを改めて自覚する。葬儀の夜、シヴは従兄弟のカール・エリックと話す。カール・エリックはこれまで独身だったが、ベルギー人の女性と知り合い、彼女と結婚し、今後はベルギーで暮らすつもりだとシヴに話す。従って、彼は母親の家に住む気はなく、それを売るつもりであった。しかし、この辺りの不動産には全く人気がなく、買い手を見つけることは至難の業であると言う。シヴは母親の死をそれほど悲しむ様子も無く、早々に家を売る算段をしている従兄弟に嫌悪を覚える。シヴには、叔母の家が、都会の人間の別荘になってしまうことに耐えられなかった。
翌朝、カール・エリックは母親の家の鍵を調べ、シヴはインゲボルグの服の整理を始める。そこへ隣人のニルスが訪れる。彼は、かつてアフリカに居たこと、離婚をして息子が一人いること、トラクターの部品をインターネットで販売して生計を立てていることなどを話す。また、ニルスが一週間前、インゲボルグが倒れているのを発見した前後の様子も話す。シヴは、ニルスのことを昔からの友人のように感じる。
それから一週間後、シヴは住む部屋が決まり、荷造りをしている。ヤンはそれを手伝っている。また言い合いになりそうになった二人だが、電話に遮られる。電話はカール・エリックからであった。彼は、ふたりに自分の母の家で休暇を過ごさないかと提案する。彼は、家が数日前に空き巣に入られたので、誰かが定期的に住んでくれることを望んでいた。シヴはカール・エリックの身勝手さに腹を立てながらも、インゲボルグの家に自分が住むことは、ひょっとして良いことではないかと考える。彼女は二十一年間働いていた施設を辞めて、インゲボルクの住んでいた村に引っ越すことを決断する。
シヴは翌朝、車に荷物を積み込み、イェーテボリを出発する。そして夕方にはインゲボルグの住んでいた村に着く。ちょうど鍵の交換を終わった業者から、シヴは鍵を受け取って中に入る。空き巣に入られた家は、色々な物が散らばってはいたが、何かが壊された形跡はなかった。地下室に入ると、肉が腐ったような臭いがする。シヴは地元新聞の、結婚式の記事の切抜きを見つけるが、そのカップルに聞き覚えはなかった。ふと後ろを見ると、地下室の入り口にニルスが立っていた。シヴは変な臭いがするので見に来たと言うが、ニルスは何も感じないと言う。シヴはニルスにコーヒーを振る舞い、二人は話しをする。シヴはここで仕事を見つけられるかどうか、不安だと言う。ニルスは村や周辺で仕事を見つけることは難しいので、ここへ越してくることは勧められないという。夜になりニルスは帰る。シヴはともかく、この土地で友人が出来たことにホッとする。その夜、シヴは疲れているのに眠れない。彼女はヤンに電話するが彼は出ない。深夜、シヴは物音で目が覚める。彼女は庭にある物置に扉が開いていることに気付く。翌朝、物置の辺りを見てみると、雪の上にかなり大きな動物の足跡があった。
朝早く、シヴは町の職業安定所を訪れる。しかし、職安には殆ど仕事がなかった。シヴには殆ど蓄えがない。失業保険の給付期間が終わると干上がってしまう。彼女はそれまでの仕事を辞めてここへ来たことを後悔し始める。職安での職探しが短時間で終わり、時間を持て余してしまったシヴは、反対側の隣人のマリアンネを訪れる。マリアンネは地味で無口な老女であった。マリアンネはシヴにコーヒーとケーキを勧め、シヴもそれを食べる。ふたりの会話は徐々に滑らかなものになる。マリアンネは、職を探しているならば、なめし革工場に行ってみたらとシヴに勧める。
金曜日の夜、彼女は家で夫の帰りを待っていた。夫はパブに寄って帰って来た。彼女の息子が電話を架けてくる。お決まりの金の無心であった。彼女はガラスの割れる音を聞く。見ると絨毯の上に赤い水溜りが出来ていて、その横で夫が倒れていた。
シヴはニルスの家を訪れる。彼は犬と一緒に暮らしていた。そこは典型的な独身の男の家で、部屋の装飾は一切なく、様々なものが乱雑に置かれていた。彼はシヴを地下室に案内する。そこには母親猫と生まれたばかりの子猫がいた。ニルスは子猫を一匹貰ってくれないかとシヴに話す。シヴは一匹を選ぶ。ニルスは残りの子猫を川に流すつもりだという。地下室を出るとき、シヴはつまずき、ニルスが彼女の身体を支える。二人は抱き合うような形になり、シヴは催眠術にかかったような気分になる。外に出ると辺りは暗くなっていた。この土地で、沢山の女性たちが生き延びてきたのであるから、自分もここで生きていこうとシヴは考える。彼女は、自分の第一の人生が終わり、第二の人生が始まろうとしているのだと、自分に言い聞かせる。その夜、ヤンが電話をしてきて、もう一度やり直すために話をしようと話す。シヴはそれを拒否する。その夜、シヴは誰かに見られているような気がして目覚める。窓の外の小屋の辺りに、灯りが見えたような気がする。おそらく迷った死人の人魂かも知れない、そんなことを考えながらシヴは再び眠る。
翌日、シヴはなめし革工場にいた。彼女は社長室に招き入れられる。社長は、インゲボルグが働いていた元社長の息子であった。父親の代に会社は一度倒産し人手に渡ったが、息子である現社長が買い戻したていた。シヴは自分とインゲボルグとの関係を話す。息子も、インゲボルグが父親の世話をし、話し相手になっていたことに感謝しているようであった。シヴは自分がこの村に住む予定であること、そのために職を探していることを告げる。意外なことに、息子は今人手が必要なので、来週の月曜日から働いてくれないかとシヴに言う。一も二もなく、シヴをその申し出を受け入れる。
シヴはマリアンネとニルスを家に招待し、ケーキを振る舞い、就職が決まったことも対するささやかなお祝いをする。ふたりともシヴを祝福する。マリアンネは、父親の代に一度倒産して人手に渡ったなめし革工場を息子が買い戻したとき、ナチスと関係していた彼が、ユダヤ人の金を着服して使ったという噂があるという。その夜、シヴは、ニルスとセックスをしている夢を見る。目を覚ましたシヴは小屋に懐中電灯の灯りを見つける。彼女は警察に電話をするが、村は最寄りの警察署から五十キロ以上離れていた。シヴは警察の関与を諦める。シヴが外へ出て来屋の辺りを確かめるが、何もない。ストレスから幻想を見たのだと自分に言い聞かせ、彼女は再び床に就く。
土曜日、彼女は村のスーパーマーケットへ買い物に行く。そこで、彼女はひとりの男に呼び止められる。オレという男で、シヴが少女の頃、祖父母の家に遊びに来ていたときに付き合い、その後シヴが振った男であった。オレは結婚をし、二人の息子がいるとシヴに言った。その息子の一人ベングトは、シヴが職を得たなめし革工場で働いていた。シヴは新聞の第一面で、地元の政治家が殺されたことを知る。ラジオのニュースでは、その政治家が妻の目の前で殺害されたこと、ネオナチの犯行との見方が強いことを告げていた。その後、シヴはニルスを訪れる。彼の家は、前回よりもはるかに整理整頓されていた。
シヴがなめし革工場で働き出して二週間が経った。規則正しい生活で、彼女は自分が心身とも健康になったと感じた。一緒に働くベングトに、彼女は昔のオレの面影を見ていた。同僚のカタリーナと仲良くなり、フォークリフトの運転手のモンスとも話すようになった。どうも、ベングトとモンスはそりが合わないようであったが。シヴは時々隣人のニルスを訪れ、シヴはニルスから猫を一匹貰って飼い始める。カール・エリックがやってきて、家が正式にシヴのものとなる手続きが行われる。ヤンが訪れ、インゲラとの関係は清算したのでやり直そうと持ち掛ける。シヴはそれを拒絶し、ヤンは去っていく。
彼は「民衆のための劇場」を主宰する、左翼的な俳優であった。彼はその日、カールスタッドで公演を行っていた。劇場からホテルに戻った深夜、部屋のドアをノックする音が聞こえる。彼がドアを開けると、二人組の男が部屋になだれ込み、彼を野球のバットで殴りつける。
春が近づく。シヴは外に出て、インゲボルグの墓に参る。墓場で彼女は黒いスーツを着た若い男に声を掛けられる。彼は葬儀社のダイレクターだと言った。彼は、インゲボルグの死には不審なものがあったと告げる。そして死んだとき、よそ行きの恰好をし、赤いテープを手に巻いていたという。その夜、シヴはニルスの家を訪れる。テレビのニュースに、ヤンの浮気の相手であったインゲラがレポーターとして登場していた。彼女はカールスタッドのホテルで、俳優が殺されたことを伝えていた。シヴは墓で葬儀社のダイレクターと出会い、はインゲボルグの死に不審なものがあると言われたことをニルスに伝える。ニルスはそんな馬鹿な話は信じるなと言って、シヴにキスをする。
シヴとニルスは一層親密になり、彼らはスノーモービルで森の中を走り回る。シヴはときに、ニルスに催眠術をかけられているように感じる。春になり、シヴはインゲボルグの残した物の整理を始める。ニルスは衣類や家具は捨ててよいが、書類は残しておくようにシヴに言う。
ある日、テレビにインゲラが写しだされる。それは彼女のパスポート写真であった。ニュースは、女性レポーターが数日前から行方不明になっていることを伝えていた。シヴはヤンに電話をする。ヤンは、反ネオナチの活動家が次々と殺されている状況が、インゲラにも及び、次には自分にも及ぶのではないかと恐れていた。
短い夏が来る。休暇の客の訪問で村は一時的に活気を帯びる。シヴは庭仕事に精を出す。彼女は、庭の虫の駆除について調べるために村の図書館へ行く。そこで、図書館の司書から、インゲボルグが死の直前、名前のリストのようなものをコピーしていたことを知る。
秋が訪れ、だんだんと暗い陰鬱な季節へと移っていく。ある朝、シヴが工場に出勤すると、様子がおかしい。誰も働いていない。昨日遅番で真夜中まで働いていたベングトが、薬品の入った大きな容器の中で死んでいるのが発見されたという。前夜はベングトとモンスがふたりで働いており、ベングトが定時に仕事を終え帰宅した後も、ベングトは独りで工場に残っていたということだった。
数日後、ベングトの葬儀が営まれ、シヴを含む工場の従業員は皆出席する。父親のオレは、一挙に十年歳を取ったように見えた。ベングトの死は、作業を急ぐ余りのミス、事故として片付けられる。シヴは事故の起こった現場に行ってみる。彼女は、人がいくら身を乗り出しても、容器の中に転落することは有り得ないと考える。また、ベングトが何故独りで工場に残り、一旦切った機械のスイッチを入れたのかも納得できなかった。シヴはベングトが、朴訥ではあるが馬鹿ではないことを知っていた。シヴは、自分の持つ疑問をニルスに伝える。ニルスは、馬鹿なことに首をつっこむことはよせと、シヴを諫め、話題を変えようとする。その後、警察も組合も、ベングトの死について行動を起こす気配がない。シヴは、ベングトの死について、自分なりの調査を行おうと決意する。
冬になり猟が解禁される。村の男たちは銃を持って外に出て、シカなどの動物を撃つことに熱中する。新聞は、行方不明になっていた女性レポーター、インゲラの死体発見を報じていた。ジャガイモが収穫されたが、シヴの家の地下室には、インゲボルグが買った、去年のジャガイモがまだ大量に残っていた。シヴはその始末を始める。ジャガイモの山の下に、シヴはプラスチックの袋に入った段ボール箱を発見する。シヴがそれを開けると、タイプライターで文字が打たれたカードがぎっしりと入っていた。それはアルファベット順に並ぶ、名前のリストであった。シヴはその内容を見て愕然とする。それは、第二次世界大戦中に作られた、スウェーデンに住むユダヤ人のリストであった。第二次世界大戦、もしドイツ語スウェーデンを占領し、このリストがドイツ軍の手に渡っていたら・・・と思うと、シヴはぞっとする。そのリストは、ユダヤ人に深い憎しみを抱く者によって作られたようであった。そして、インゲボルグが図書館でコピーをしようとしていたのが、このカードの一部であることも推測がついた。インゲボルグはこのカードをどのようにして手に入れ、何故ジャガイモの下に隠したのであろうか。シヴはカードの入った箱を、自分のベッド下に隠す・・・
<感想など>
この物語の大部分は、一人称「私」で、シヴの視点から語られる。イェーテボリに住んで、看護師として働く傍ら、平凡ではあるが幸せな生活を送っていると思っていた彼女は、夫の不倫を知り、家を出る決意を固め、亡くなった伯母インゲボルグの家を継いで、スウェーデンの北部にある村で暮らすことになる。彼女の語りの合間に、殺人の描写が挿入されている。一見平凡に思われるシヴの日常生活の喜怒哀楽に満ちた生活と、残忍な殺人事件が、最後に関係を持つという構成である。その殺人に、ネオナチ、反ユダヤ主義に関連していることは、殺された人物、手口から容易に想像できる。
この作品を読んで感じたこと、それは「親切な人間」は世の中にいるが、「親切過ぎる人間」は存在しないということである。「親切過ぎる」人間には、必ず何か魂胆があるものだ、ということ。半ば衝動的に村へ引っ越してきたシヴであるが、職もなく、金もなく、困り果てる。村に来たことを後悔し始める。そんな時、彼女は「親切な人々」によって、助らえる。しかし、その中にひとり「親切過ぎる人物」がいる。その人物に、彼女は利用されることになる。
その「親切過ぎる人物」が、犯罪と関係していることは、物語の半ばから、これも容易に想像できる。そう言う意味では、「犯人」はもう半ばで検討がつき、犯人捜しの面白さ、どんでん返しということはこの物語にはない。女性作家によって、女性の視点から書かれたこの作品、男性が読むと少し、と言うか、かなりまどろっこしい。女性ならではの興味が饒舌に書き並べられており、展開の遅さに少しイライラする。このストーリーで三百八十ページというのは長すぎる気がする。
アイノ・トロセルは一九四九年、スウェーデンのマルング生まれている。彼女が六歳のとき両親が離婚、その後は、母親に育てられたという。一九七八年に最初の作品を発表している。従って、彼女は作家としての活動歴が四十年近い、かなり古い時代の人に属していると言える。最初の二十年は一貫して社会的な小説を書いていた。二〇〇〇年近くになり、彼女は初めて犯罪小説を手掛ける。そして、第一作であるこの本は、二〇〇〇年のスウェーデン犯罪小説大賞を受賞している。主人公のシヴは年齢的にも、父親を知らないで母親に育てられたという境遇も。作家のトロッセル自身と似ている。
同世代の女性の共感を得る小説であるが、男性読者にとっては、ちょっと「中年のおばさんの臭い」が鼻につく。また、犯罪小説として読むよりも、反ユダヤ主義、ネオナチという社会的なテーマを知るための小説として読んだ方が、納得がいく気がする。
(2018年11月)