ジョルジュ・シムノン

Georges Simenon

1903-1989

 

ジョルジュ・シムノンはベルギー生まれの、フランス語で執筆した作家である。「メグレ警視」シリーズの著者であり、パリ警察の警視、ジュール・メグレを主人公にした小説だけで、長編、中編、短編取り混ぜて七十編以上書いている。最初の作品「Pietre-le-Letton」が一九二九年であり、最後の「Maigret et Monsieur Charles」が発表されたのが一九七二年となっている。何と、全七十五話、四十三年間の長きに渡り、このシリーズは刊行されていたのである。信じられない息の長さである。主人公のメグレは、最初は駆け出しであるが、最後は引退後、趣味で事件を解くという設定になっている。シムノンとメグレ警視は、二十世紀のミステリーの系譜を知る上で、避けて通れない人たちである。ちなみにシムノンが生きた時代は、一九〇三年から一九八九年、アガサ・クリスティーの生涯が一八九〇年から一九七六年であるので、オーバーラップしている期間は非常に長い。互いに意識し合って、執筆を行っていたことが考えられる。

今回、私は、ドイツ、バイエルン放送が製作した五本の放送劇で、メグレ警視の物語を追うことになった。当然、製作者の解釈が入っていると思うが、ともかく、登場人物、ストーリーの展開等は、オリジナルのそれらをそのまま伝えていると思われる。

 

 

メグレとその疑惑;

Maigret und seine Skrupel:

Les Scrupules de Maigret

七十五作に渡るメグレ警部シリーズの五十二作目;(一九五七年から五八年にかけて、新聞に連載された。)

メグレはクサヴィエール・マルトンという男の訪問を受ける。この、ルーブル百貨店のおもちゃ売り場に勤めるこの男は、妻が自分を毒殺しようとしていると訴える。翌日、その男の妻がメグレを訪問、夫は精神に異常きたしているので取り合うなと言う。本当なら、夫婦の間の痴話げんかで、警察は取り合うこともしないのだろうが、妙にひっかかるものを感じたメグレは、検察官の反対を押し切るような形で捜査を始める。そして、メグレが予期していたように、夫婦の確執は殺人事件へと発展する。

探偵の事務所に、依頼人がやってきて、一見荒唐無稽な話を始め、それに興味を持った探偵が捜査を始めるという、シャーロック・ホームズ以来のお決まりのパターン。メグレ警視をホームズに置き換えても、余り違和感のない展開である。放送劇という点もあるだろうが、本当にメグレの行動、捜査に無駄がない。こんなに事が全てトントンと運べば、世の中苦労しない。まだまだ、探偵は事件を解決するためだけに、この世に存在する。事件の発生を予知しながら、結局殺人事件が起こってしまうという点が唯一新しい展開と言えるかも知れない。

 

メグレと黄色い犬

Maigret und der gelbe Hund

Le chien jaune

シリーズの六作目;(一九三七)

比較的初期の作品で、ブルターニュ地方ノコンカノーを舞台にしている。ホテルに集まりカードをするメンバーが、行方不明になったり、毒殺されたり、ひとりずつ消えていく。コンカノーの市長に懇願されたメグレは事件の捜査のためにパリからその地方都市に向かう。

地方の村や町で起きた奇妙な事件の捜査を依頼されて、探偵がその場所にでかけていく、このパターンも、シャーロック・ホームズでは定番になっている。そこで地元の人間と摩擦を起こしながらも、事件を解決に導くのである。この点、またもや、メグレをホームズに置き換えても、殆ど不自然さがない。シムノンがコナン・ドイルを意識して、わざと同じパターンで作ったのではないかとさえ疑ってしまう。ここでメグレが用いる方法は「消去法」である。例えば、四件の事件が起こって、同一犯人が考えられるとする。複数の人間が関与していて、誰もがそれなりに怪しい。その際、各事件について絶対に犯人にはなり得ない人間を消していく。そして、最後に残った人間が犯人であるとなる。そのような人間が残らなければ、犯人は他にいることになる・・・それが成功する。

 

メグレとひょろ長い女;

Maigret und die Bohnenstangeメグレとひょろ長い女

Maigret et la Grande Perche(メグレとおおきなパーチ)

シリーズの三十八目;(一九五一年)

メグレがかつて逮捕した「豆の支柱」と呼ばれる痩せた元娼婦。彼女の夫は、金庫破りの専門家である。彼がある家に侵入したとき、そこに女性の死体が横たわっていたという。夫は、自分に殺人の容疑がかかるのを恐れて逃亡する。その話を夫から伝え聞いた元娼婦はメグレを訪れる。しかし、誰かが殺されたという通報はどこにもない。夫が殺されて横たわる女を見たということが嘘でないならば、死体のない殺人事件である。メグレは死体のあったと言われる家を割り出す。そこは歯科医が母親と暮らしていた。歯科医にはオランダ人の妻がいたが、数日前にオランダに戻ったという。メグレは本能的に、殺されていたのはその歯科医の妻であると感じる。しかし、証拠はない。

この話は、なかなか面白かった。「刑事コロンボ」と同じ展開で、最初に死体があり、犯人もほぼ分かっている。しかし、その犯人は頭が良く、確固とした証拠は遺していない。そこで、刑事と犯人のせめぎ合い、知恵比べが始める。当時として、このストーリーは新しかったと思う。シャーロック・ホームズやアガサ・クリスティーのシリーズにもこの手のものはない。ひょろ長い女を表す言葉について、翻訳者が苦労しているのが窺える。

 

メグレと村の飲み屋

Maigret und die Groschenschenke

La Guinguette à deux sous

シリーズの最初に発刊された十九作の一つ;(一九三一年)

メグレは自分が捉え、殺人罪で死刑を宣告された青年、ジャン・ルノワールの恩赦の請求が取り下げられ、彼が明日処刑されることを知る。メグレは刑務所にルノワールを訪れる。ルノワールは、数年前、深夜死体がサン・マルタン運河に投げ込まれるのを仲間と偶然目撃し、それをネタにその人物を強請ったという。そして、その死体を投げ込んだ男は、飲み屋「グロッシェンシェンケ」の常連客だったいう。メグレの耳にその奇妙な飲み屋の名前が残る。数週間後、メグレが帽子を買っていると、帽子屋に、

「『グロッシェンシェンケ』の『百姓の婚礼』に着ていく帽子を捜している。」

という男に会う。メグレはその男バソーを呼び止め、飲み屋「グロッシェンシェンケ」の場所と、今晩そこで行われる「百姓の婚礼」というバカ騒ぎのパーティーについての情報を得る。翌朝、メグレは「グロッシェンシェンケ」を訪れる。朝からまたバカ騒ぎが始まっている。その時銃声が響く。男が倒れている。殺されたのはファインスタインという男であった。彼の妻はバソーと浮気をしていて、バソーの手にピストルが握られていた。バソーは逮捕されるが、隙をみて逃亡する。メグレは何度か、飲み屋を訪れ、そこにいる客たちを観察する・・・

過去の犯罪と現在の犯罪の接点をさぐるという設定。それを一番よく知っている人間は死刑となりこの世にいない。なかなかよく考えられたシチュエーションで、そこには新しいものを感じる。新しさの萌芽が、アガサ・クリスティーのように前面に出てこないで、背後で動いているのもよい。この物語のメグレをシャーロック・ホームズに置き換えると、かなり違和感がある。それば、ホームズがあくまで傍観者であるのに、メグレが飲み屋にいる登場人物の中にズカズカと入っていき、酒を酌み交わしながら話をする点であろうか。また、「メグレ夫人」も少し登場して、台詞を言う。これが当時としては結構新しかったと思う。ホームズや、ポアロの家族が登場し、台詞を与えられているということはなかったからである。しかし、メグレ夫人の役割は、あくまで作品に色を添える「薬味」以上のものではない。

 

メグレと驚くべき子供たち

Maigret und die schrecklichen Kinder

Maigret à l’école

シリーズの四十四作目;(一九五三年、米国で執筆された)

メグレはサン・タンドレ・スル・メールという村の教師をしているヨゼフ・ガスタンという男の訪問を受ける。村で起こった殺人事件が起こったが、彼は無実の罪で、逮捕されようとしているという。村の郵便局の未亡人が射殺された。凶器は村の男なら誰もが所持する小さなピストルである。ガスタンは、彼がピストルの見つかった納屋から出てくるのを見たという、ひとりの生徒の証言で、容疑者にされかかり、逮捕される前に、メグレのところへやってきたという。その村は、本来ならば、パリ警察の管轄外なのだが、メグレは休暇を取ってその村に行くことにする。この作品は、子供の心理、行動を描いているところが新しい。当時から、いや昔は今以上に、「いじめ」なんかが学校では日常茶飯事だったのだ。ただ、誰もそれを騒がなかっただけ。ともかく、最後は大人の世界で形がついている。

 

「メグレ」をグーグルで検索すると、「名探偵コナン」の中に目暮十三という警部が登場するらしく、そちらが多くヒットする。その名前が、ジュール・メグレから来ていることは言うまでもない。一九七八年に愛川欽也の主演で「東京メグレ警部」というシリーズがテレビ朝日系で放映された。これを見ても、メグレが、シャーロック・ホームズなどと並んで、ひとつの類型として受け入れられていることが分かる。

このシリーズで感じたのは、シムノンが前の世代、コナン・ドイルなどの伝統を受け継ぐ作風であるということだ。先にも書いたが、メグレ警視の代わりに、シャーロック・ホームズを登場させても、違和感のない作品が多々ある。まずトリックがあり、それを解決するのに必要な人間のみが、必要な順番で登場する。探偵は、事件を解決するためだけに存在し、彼のそれ以外の部分、例えば余暇、家族、友人、個人的な悩み等は、全て切り捨てられている。また、捜査に無駄足がない。一見無駄なことも、最後にはそれが意味を持つようにストーリーが構成されている。

しかしながら、新しい部分もある。ホームズやポアロは目をつぶって、座って思索し、分かった時点でガバと立ち上がり、行動に移る。その間何を考えていたのか、読者には知る由がない。しかし、このメグレ・シリーズには、ある程度、彼の思考過程、論理が書き込まれている。また「メグレ夫人」が登場するのも新しい。彼女は唯一、事件と関係ない登場人物である。メグレは自分の妻を、ファーストネームで呼ばず、「メグレ夫人」と読んでいるのが面白い。しかし、彼らがやるのは、一緒に散歩したり、食事をしたりするだけで、夫人には可哀想だが、彼女は全く「添え物」「刺身のツマ」くらいの役割しか与えられていない。

シムノンは生涯で二百編の小説を書いた。メグレ警視シリーズだけで、七十五作書いているのである。また、生涯で一万人以上の女性と関係を持ったという。その飽くなき精力にはただただ驚嘆するのみである。二百編の小説を書き、その半分がメグレ・シリーズいうことは、残りの半分は推理小説ではないということだ。本人は自分を「純文学」の作家としてみて欲しかったという。事実、そのうち数編は、アンドレ・ジッドなど純文学の作家にも高く評価されている。

彼は若くして、新聞社に職を得た。そのときに三面記事に載るような社会の底辺で起こった数々の事件を知り、また、短時間で文章を書くことを学んだのだろう。五十年間で二百冊、毎年四冊ずつの本を出版するなどの技は、とにかく筆の早い人でないとできない。また、アガサ・クリスティーが、結構中流から上流社会を舞台にした推理小説を書いているのに対して、シムノンは社会の底辺の人々、犯罪者、浮浪者等もきちんと描いていると思う。また、登場人物も、コナン・ドイルやアガサ・クリスティーの登場人物より、類型的ではなくなってきている。

結論としていうならば、シムノンは、多少新しい面を持っているものの、基本的に古い時代の推理作家であると言える。しかし、彼がまだ執筆をしている一九六〇年代の後半、スウェーデンでは既に全く新しいタイプのミステリーが、シューヴァル/ヴァールーの夫婦により生まれていた。そして彼らが参考にした作家が、このシムノンとダシェットであったという。そういう意味で、二十世紀後半への橋渡しをしたという功績も、今となっては評価してよいと思う。

 

20154

 

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