カニが逃げ出した
何が出来るかな、台所をのぞき込む人々。
Day 9
今日は余り体調が良くない。朝起きると少しめまいがする。それで、十時頃まで横になってから、ワタルのマンションに行く。妻が日課の水泳をしている間。僕はプールサイドの寝椅子に横になっていた。目の前を、花屋と思われるインド人の男性が通る。彼は、手押し車に立派な蘭の花の鉢植えを乗せていた。その鮮やかなピンク色に、熱帯を感じる。
エンゾーと遊ぶ。お互いかなり慣れてきて、楽しく遊ぶことができる。積み木で塔を作ってやると、それを壊しにくる。塔が倒れる度に、キャッキャッと言って喜んでいる。明日はシンガポールを発つ日。せっかく仲良くなれたのに、名残惜しい。
今日は、僕と妻が夕食を作る日。昼過ぎにスーパーへ買い物に行く。三時ごろから夕食の準備にかかる。午前中はかなり蒸し暑かったが、三時過ぎから激しいスコールとなる。
「『馬の背を分ける』というのはこのことか。」
そんな豪雨。開け放したキッチンの窓から、冷房のような涼しい風が吹き込む。料理をしながら、妻と一緒に、冷蔵庫で冷やしておいた「タイガー・ビール」を飲む。旨い。
「キッチンドリンカーやね。」
と言いながら。六時頃までに六品が完成。その日はまた、ハンさん夫妻が仕事の後来られて、一緒に晩御飯を食べることになっていた。ハンさんたちは「前菜」を持ってくるという。
さて、ハンさんたちが持って来たものは「パンシエ」(螃蟹)というカニ。甲羅が十センチ四方、足を延ばすと三十センチ弱の中型のカニ。淡水で獲れるという。まだ生きている。グオさんは、縛ってある藁をほどき、カニを洗面器の中に入れて、歯ブラシで汚れを取っている。カニはモソモソ動いている。彼女は、鋏で挟まれないように注意深く作業をしている。その後、フライパン水を張り、大きな蒸籠(せいろ)を乗せて、その中に、カニを放り込む。生きたまま蒸してしまうという残酷物語。熱いので逃げ出そうとするカニを捕まえては鍋に戻している。横ではペリンさんが、眉をひそめて見ている。
「ディスガスティング。(おぞましい)」
二十分ほどでパンシエは茹であがり、僕たちは前菜として食べた。食べる部分はわずかしかなく、甲羅を開けて。オスのカニだったので、精巣の部分だけを食べる。
「ウニに似ている。」
僕はそう思った。この季節だけの味覚だという。
カニと一緒に「紹興酒」を飲むのがしきたりらしく、ハンさんが持参した「紹興酒」を皆に振る舞っている。ご夫妻は、紹興酒をもう二本、僕たちへの土産として持ってきていた。「女児紅」という名前。
「この酒は、娘の結婚式のときに飲むものなんです。」
このまま行くと、一生飲む機会がないような。
わっ、カニが逃げ出した。