「タンネート、凍える森」
原題:Tannöd
アンドレア・マリア・シェンケル
(ドイツ)
Andrea Maria Schenkel
2006年
<はじめに>
一九六二年、レーゲンスブルク生まれのアンドレア・マリア・シェンケルが二〇〇六年に発表した、彼女の第一作である。二〇〇七年にはドイツ国内で数々の賞を取り、ドイツのベストセラーのトップに躍り出た本。百七十ページと短い。人々により語られる「証言」により、物語が構成されている。
<ストーリー>
ドイツ・バイエルンの田園地帯。一九五〇年代、三月。春は名のみで、まだ時折雪の舞う季節である。
ある農家、夜の明ける前、乳牛と豚に餌をやり、牛の乳を搾る男がいる。その男は仕事を終え、辺りが明るくなる前に家を出て行く。
風の強い金曜日の夜、幼い弟と一緒の部屋でマリアンネは眠れない。彼女は、祖父母、母と弟と一緒に住んでいた。眠れないマリアンネは台所へ戻る。祖父母も母も見つからず、家畜小屋へ続く扉が開いている。彼女はそちらへ向かう。翌日の土曜日、学校の級友は、マリアンネが登校してこないことに気付く。
それまで家政婦として働いていたマリーは、それまでの勤め先を失い、しばらく妹夫婦の家にやっかいなっていた。顔の広い妹のトラウドルは、マリーの新しい勤め先を見つけてくる。農家のダナー家である。金曜日、トラウドルはマリーをダナー家へ連れて行く。愛想の悪い主人、ほとんど物を言わないその妻、三十代の娘、そしてその娘のふたりの子供達。何となく陰鬱な空気の漂う家庭であった。深夜、マリーは人の気配を感じ、自分にあてがわれた部屋のドアを開ける。何者かが彼女を殴り倒す。
村人がダナー家の異常に気付き始める。ダナー家の誰もが、日曜日のミサに出席しなかった。マリアンネの学校の教師は、マリアンネが翌週になっても登校して来ないことを心配し始める。また、郵便配達夫は、何日も郵便が取り込まれていないことに気付く。更に、火曜日にダナー家の農機具のモーターの修理に来た電気修理工は、呼んでも誰も出てこないので、勝手に修理だけして帰る。そして、修理工は、その時確かな人の気配を感じていた。
男は、毎朝暗いうちにダナー家を訪れ、家畜の世話をして戻ることを繰り返す。ある日、男はナイフをダナー家に置き忘れたことに気付く。日中にも関わらずそのナイフを取りに行った男は、あやうく電気修理工に見つかりそうになる。
ミッヒは、これまで季節労働者として、色々な農家で働いてきた。しかし、それは働くことが目的ではなかった。彼は自分が働いた農家の様子を覚えておき、しばらくしてその農家に忍び込む。そして、金目の物を盗み出し、兄の持つルートを使ってそれを売り捌くことを生業としていた。しかし、彼の兄が警察に挙げられてしまい、彼は金に困る。かれはかつて自分が働いたダナー家に盗みに入ることにする。ダナーの主人が、家の中にかなりの金を隠していることを、彼は知っていた。金曜日、早朝にダナー家に忍び込んだミッヒは、天井裏に隠れて、チャンスが来るのを待つ。
金曜日の朝、ダナー家の主人は、夜から早朝にかけて何者かが家に侵入したことに気付く。彼は侵入者を捜すが見つからない、また何も盗まれた物はなかった。彼は隣人にそのことを話すが、警察に届けることはしなかった。
金曜日の夜、ダナー家の妻は祈っていた。彼女のこれまでの人生は、決して楽なものでははかった。彼女は器量も悪く年上であったが、ちょうど下男として働きにきていた今の夫と結婚することになった。結婚後、夫はまるで暴君のように振舞う。夫は女中として働きに来た若い女性と次々に関係を持ち、妻である自分に暴力を振るった。彼女は毎晩神に祈ることで、それに耐えてきたのであった。彼女は、娘が
「家畜小屋の様子を見てくる。」
と言って出たまま、帰って来ないことに気付く。彼女は、家畜小屋へ様子を見に行く。
同じく金曜日の深夜、ダナー家の主人は夜中に目が覚めて眠れない。彼は妻が隣で寝ていないことに気付く。家畜小屋への扉が開いているのを見た主人は、様子を見に小屋へ向かう。
火曜日の午後、ダナー家の人間が数日に渡り姿を見せないことを不審に思った、隣人のハウアーとシュテルツァーの二人が、彼等の息子と下男を連れて、ダナー家の様子を見に行く。彼等は家畜小屋の藁の中に、殺された家族の死体を発見する。息子が警察と村長に通報する。
警察の尋問を受ける形で、隣人達やかつての使用人達が、ダナー家についての意見を述べる。隣人の中にはダナー家のメンバーが殺されたことを、「自業自得」と言う者さえいた。彼等の証言の中で、ダナー家について、不可解な点がいくつか浮かび上がる。
不可解な点のひとつは、娘のバルバラには二人の子供がいるが、その父親は誰であるか分からないと言う点。もうひとつは、戦争中、ダナー家に働きに来ていた娘が死体で見つかったことである。それは自殺として片付けられていたが。これらの点は、果たして、今回の一家全員の殺害事件と関係があるのだろうか・・・
<感想など>
南ドイツ、バイエルン州、所々に森がある田園地帯が舞台。そこに住む一家が、ある夜、全員殺害される。その事件を巡る村人達の証言で、物語が進んで行く。いや、それは正しくない、被害者や、犯人の証言も混ざっている。しかし、その犯人が誰であるのかは、最後まで明らかにされないが。
読み終わって、何か物足らないものを感じた。一冊が五百ページから七百ページに至る、スティーグ・ラーソンの三部作を読んだ後だったからかも知れない。百七十ページというのは、いかにも短い。
しかし、推理小説としては、登場人物が少なすぎ、比較的簡単に犯人の目星がついてしまう。どんでん返しの妙というものもない。一九五〇年代を伝える社会小説、歴史小説としては、あまりにもバックグラウンドが語られていない。また、ダナー家を「呪われた家族」として捕らえ、その内情に迫る家庭内小説とするには、あまりに情報が少なすぎる。
確かに、南ドイツの田舎という設定は珍しく、関係者の証言の積み重ねで、事実が徐々に明らかになっていくという構成もよく考えてある。しかし、それとて、特に目新しいものはない。まあ、戦争直後のドイツの田舎では、どのような生活が営まれ、人々がどのような価値観を持って生きていたのかが分かり、それは勉強になる。
賞を取ったり、ベストセラーになったりする小説は、例えそれが自分好みの小説でなくても、それなりに納得させられるものがあるが、残念ながら、今回はそれを感じなかった。
この小説、「祈り」から始まって、「祈り」で終わる。おそらく、殺されたダナー家の老女の唱える祈りであろう。彼女は、夫から虐待されながらも、ひたすら祈ることにより、それに耐えていく。しかし、その彼女の運命に対する無力さ、そしてそれを変えていこうということに対する無気力さを思うと、祈りの文句が空虚なものに感じられてしまう。
日本では「凍える森」という題で、平野郷子訳、二〇〇九年に集英社から出版されている。
(2011年2月)