イェンス・ラピドゥス
Jens Lapidus
(1974年〜)
ストックホルム出身、弁護士、作家
Wahlstrōm & Widstrandのサイトより。
イェンス・ラピドゥスへの評価は、どの批評家においても、どの評論においても極めて高い。「新しいスウェーデン犯罪小説の旗手」という感じである。ヨハン・テオリンとラピドゥスの二人が、ヘニング・マンケル亡き後の、スウェーデンの犯罪小説界「若手」男性作家の双璧である、という評価が定着している。一九六三年生まれで、既に五十代後半のテオリンを「若手」と呼べるかどうか分からないが、一九七四年生まれ、まだ四十代半ばのラピドゥスは、まだこれからの人である。
一言で述べると、ラピドゥスの作風は、「ストレート」、「男性的」。主人公の「私生活の悩み」や、登場人物の「心の襞」などに余り重きを置かず、歯に衣着せぬ表現で、グイグイとストーリーを進めるタイプである。英国の批評家、バリー・フォーショーは以下のように書いている。(1)
「二〇〇六年『Snabba cash(イージーマネー)』で衝撃的なデビューをした、妥協を知らない作家、イェンス・ラピドゥスは、今までにない辛辣な目で犯罪と社会を眺めている。彼は、どの作家も一度は考えるが、敢えて入って行かない、レイモンド・チャンドラー(Raymond Chandler)やエルモア・レナード(Elmore Leonard)の作風に踏み込んでいった。」
チャンドラー、レナードは、いわゆる「ハードボイルド」の作家。つまり、ラピドゥスは、久々に登場した「ハードボイルド」と言ってよい。私、個人的には、人間模様を織り交ぜた作品が好きなのだが、ストレートな作品の愛好者には、お勧めの作家である。
ラピドゥスは、「ストックホルム三部作」で、スウェーデンの裏の社会で、金儲けと勢力拡大に凌ぎを削る人々を描いている。どれも、原作で五百ページを超える大作である。第一作の「イージーマネー」も長い小説だ。(2)それは主人公が三人おり、その三人にまつわるストーリーが並行して語られるからである。
@ チリ人の脱獄囚のホルヘ
A ユーゴ・マフィアのムラド
A 一攫千金を夢見る若者のJW
最初、三人には接点がない。そして、彼らの間の距離が次第に縮まっていき、最後一緒になったところで一挙に終幕を迎えるというのが、この小説の構成である。一章ごとに語られる人物が変わり、それが繰り返されていく。また、JWのストーリーも、彼自身の問題と、姉の失踪事件というふたつの流れがある。ムラドのストーリーにも、彼の本来の仕事の他に彼の娘に関するサブストーリーがある。よく整理されて描かれているとはいえ、複雑な構成である。読むこと、読み終わることに、かなりの努力を必要とする。しかし、ストーリーの構成、人物の設定などは実に巧妙で、長いなりに読者を引っ張っていく魅力に満ちている。
イェンス・ラピドゥスは、一九七四年生まれ、刑事事件を担当する弁護士を本業としている。彼は二〇〇六年以来、本業の傍ら、二〇二〇年までに十二冊の小説を発表している。彼の小説を読んでいると、作者が弁護士であるという痕跡が、あらゆるところで見つけられる。まず、犯罪に関する描写が非常に生々しい。次に、話を整理するために、警察の文書や裁判所の判決文が使われる。「イージーマネー」でJWの考える「資金洗浄」の方法などは、法律に通じている人物にしか、描くことができないであろう。
ラピドゥスの取り上げるテーマは、シューヴァル/ヴァールー、マンケルなどと共通している。福祉国家としてのスウェーデンの崩壊と、その後に来る、社会的な不平等である。英国の批評家、スティーヴン・ピーコックは以下のように述べている。(3)
「『スウェーデン・モデル』と呼ばれる体制は、社会的な平等を保障する国家と、自立した個人のバランスの上に成り立っていると言える。(中略)『スウェーデン・モデル』は次第に危機に陥る。ひとつの原因は一九八〇年代以降、資本主義的な傾向が強まることにより、社会的な『平等』を保つことが難しくなったことによる。また、自己中心主義、個人主義が同時に入ってくる。ラピドゥスの『イージーマネー』では、金を得るために麻薬の取引に手を出す若者が描かれている。シューヴァル/ヴァールーは資本主義に流され、金のために犯罪に走る富裕層を描いている。もはや、助け合ってより良い社会を作っていくという理想は幻想になりつつある。マンケルは『一歩遅れて』の中で『夏至の宴を楽しむ若者を皆殺しにする』犯罪者を描いている。これは、スウェーデンの良き伝統が、外からのものによって脅かされることを表していると言えよう。」
「社会派のハードボイルド」、ラピドゥスを一言で表現すると、そうなるだろう。「ストックホルム三部作」はスウェーデン版のテレビドラマで人気を博した。
作品リスト:
l Snabba cash(イージーマネー)2006年(邦題:イージーマネー、講談社、2013年)
l Aldrig fucka upp(ネヴァー・ファック・アップ)2008年
l Gängkrig 145(ギャング戦争一四五)2009年
l Livet deluxe(ライフ・デラックス)2011年
l Heder(栄誉)2011年
l Mamma försökte(ママのお試し)2012年
l VIP-rummet(VIPルーム)2014年
l STHLM Delete(STHLM削除)2015年
l Top Dogg(トップ・ドッグ)2017年
l Dillstaligan: Juvelkuppen ディルスタリガン:宝石クーデター(児童書)2020年
l Dillstaligan: Konstkuppen ディルスタリガン:アートクーデター(児童書)2020年
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(1) Barry Forshaw, Death in a Cold Climate, A Guide to Scandinavian Crime Fiction, Palgrave Macmillan, Basingstoke, UK, 2012
(2) Spür die Angust, S. Fischer Verlag GmbH, Frankfurt am Main, 2011
(3) Steven Peacock, Swedish Crime Fiction, Novel, Film, Television, Manchester University Press, Manchester, 2014