トマス・カンガー
Thomas Kanger
(1951年〜)
ウプサラ出身、作家、ジャーナリスト
作者自身のホームペ−ジより。
トマス・カンガーの「エリナ・ヴィーク」シリーズの舞台はヴェステロスである。ストックホルム近郊の中都市。日本で言うと、東京周辺の千葉市、大宮市に例えられるだろうか。私は一度訪れたことがあるが、平凡な、余り特徴のない町だった。ストックホルム、イェーテボリなどの大都市は、犯罪小説の舞台としては打ってつけだし、イスタードやバルト海に浮かぶ島も、情緒のある場所で、小説の舞台としては魅力的である。
「しかし、ヴェステロスとは・・・千葉市や大宮市を舞台にミステリーを書く人いる?」
そう思いつつ、最初、そんな先入観から、何となく懐疑的に読み始めたが、面白い作品群であった。警察官が主人公の推理小説。女性刑事、エリナ・ヴィークが活躍する。今回は、男性作家の描く、女性警察官である。
第四作目、「Söndagsmannen(日曜日の男)」を読んだ。(1)面白かった。最後はどんでん返しなのだが、騙されたと思わせないすっきりした読後感。そして少しオカルトの香りを残す結末が、現実主義に走りがちな推理小説に、色香と余韻を添えている。
三つのシーンから小説は始まる。山が迫っている海に船を出す男。ベトナムを一人で旅をしている若い女性。オスロで暮らす黒人の女性が差出人のない手紙を受け取る。
エリナ・ヴィークはスウェーデンのストックホルム近郊、ヴェステロス市警察、殺人課の刑事である。かつての上司、今は引退したケルンルンドが、心臓発作を起こし入院する。エリナはケルンルンドを見舞う。
見舞いの最中のよもやま話の中で、ケルンルンドは、一九八〇年に若い女性が殺されているのが発見されたが、犯人は見つからず、未解決のまま、間もなく二十五年の時効を迎えようとしていることをエリナに話す。その殺人事件の捜査は既に打ち切られていた。事件に興味を持ったエリナは、捜査書類一式を手元に取り寄せる。
「イルヴァ・マルムベリという当時二十五歳の女性の絞殺死体が、ノルウェーの国境に近い場所で発見された。殺されてから既に半年近くが経っていた。彼女を最後に目撃した人物の証言より、殺された日は一九七九年十月一日と推定された。殺された女性は、殺される一ヶ月前に女児を産んでいるが、その子供は発見されなかった。」
という内容の物であった。エリナはイルヴァという女性の生い立ちを読む。
「イルヴァは両親の離婚後家を出て、しばらく『コミューン』(宗教的な共同生活体)で集団生活をした後、インドを旅行。一九七九年に女の子を出産、カロリーネと名付けていた。イルヴァはその子の父親を明らかにしていない。彼女は女児を出産後、それまで住んでいたヴェステロスの町を離れ、ノルウェー国境の昔祖母が住んでいた人里離れた家に引きこもっていた。発見された彼女の体内からは直前に性交した後があり、精子が発見されていた・・・」
エリナは当時の捜査に全く「女性の目」が欠けていたと感じ、「女性の目」を持ってすれば、捜査の進展がありうると確信する。そして、「不明」となっているイルヴァの赤ん坊の父親を捜すことが、イルヴァの過去に光を当てることになり、捜査を前へ進める大きな一歩であるだけではなく、その「父親」が「犯人」である可能性も高いと考える。
エリナが捜査を再開する上で問題になる点、それは「残された時間」と「上司」であった。時効となる二十五年目まだ、あと四週間しかない。また、ケルンルンドの定年退職後エリナの直接の上司となったエゴン・ユンソンは、彼女が日常業務を放り出して、二十五年前の事件を取り上げることに反対する。
エリナは殺されたイルヴァの兄から再捜査請求を出させることにより、ストックホルムの警視庁の上層部に直接圧力をかけ、何とか捜査の再開に漕ぎつける。しかし、ユンソンは配置転換をして、彼女を殺人課から離そうとする。結局、時効が成立するまで四週間だけという条件で、何とかエリナは捜査を正式に開始できた・・・
アガサ・クリスティーに「象は忘れない」という小説がある。エルキュール・ポアロが何十年も前の事件を解決してしまう。それに似ていないこともない。エリナ・ヴィークは二十五年前の事件を、別の角度から光を当てることにより、解決しようとする。
では、二十五年前、大捜査班をもってしても解決できなかった事件を、何故エリナが解決できたのか。それは皮肉なことに二十五年という歳月であった。犯人も当時は相当に警戒をしており、ちょっとやそっとでは尻尾を掴ませない。しかし、二十五年の間には、気も緩み、また同じような過ちを犯してしまう。エリナが利用したのは、まさにその「気の緩み」だった。
物語ではカリとエリナというふたりの女性が、全く別の方向から、全く別の方法で、真実に迫ろうとする。そして、そのふたりの間には接点が全くない。最後にどのようにそのふたつの糸が交差するのかが、読んでいる人間にとって、最大の興味であろう。最初に語られた断片的なシーンの持つ意味が最後に明らかになる。「なるほど」と思わせる。
スウェーデンの推理小説であるが、マンケルのヴァランダーシリーズのように、主人公の刑事の私生活が長々と描かれることがない。そういう意味では、カンガー-は、アガサ・クリスティー流の、言わば伝統的な「本格推理」の流れを汲む小説を書く人だ。ユンソンという、エリナの足を引っ張る「いびり役」の上司が登場するところなど、別の意味で、「正しい警察小説」の伝統を踏んでいるとも言える。
トマス・カンガーは一九五一年生まれ。(2)一九八二年以降、フリーのジャーナリストとして、三十カ国以上の国を訪れている。二〇〇二年より、スウェーデン国営放送のレポーター、編集者となる。二〇〇一年以来、犯罪小説の執筆を始め、これまでに七作を発表している。「正統派」ミステリーのファンでも楽しめる作品だと思うが・・・残念ながら、二〇二〇年現在、日本語には翻訳されていない。
l Första stenen(最初の石)2001年
l Sjung som en fågel(鳥のように歌う)2002年
l Den döda vinkeln(死角)2003年
l Söndagsmannen(日曜日の男)2004年
l Ockupanterna(占領)2005年
l Gränslandet(国境)2007年
l Drakens år(ドラゴンイヤー)2011年
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(1) Der Sonntagsmann, btb Verlag, München, 2007
(2) ウィキペディア、スウェーデン語版、Thomas Kangerの項