戦う人ラーソン
エヴァ・ガブリエルソンとスティーグ・ラーソン(2011年10月4日、英国The Guardian紙より)
先にも述べたが、「ミレニアム三部作」がベストセラーになったとき、ラーソンは既にこの世の人ではなかった。読者が作者について知りたいと思っても、彼に直接尋ねることはできなかったわけである。ラーソンの生涯、作品が書かれた背景について知る上で、重要な役割を果たすのが、彼と永年一緒に暮らし、実質的な妻と言える、エヴァ・ガブリエルソンの書いた回想録「スティーグと私、スティーグ・ラーソンと過ごした日々」(2)である。以下の、ラーソンの生涯と、作品の作られた背景は、ガブリエルソンの回想録を基にしている。
スティーグ・ラーソンは一九五四年、スウェーデン北部のスケレフテオ(Skellefteå)で生まれた。ラーソンの父母はウメオの町に住み、彼は九歳のときまで、祖父母とともに、ガスも、電気も、水道もない田舎の村の、木組みの家で暮らしていた。「ドラゴン・タトゥーの女」では、スウェーデン北方の、スウェーデン人でも名前を知らないような土地が、舞台になっている。その場所こそ、スティーグが生まれ、子供時代を過ごした場所なのだ。彼は、厳しい自然に囲まれてはいるものの、田舎での生活を楽しんでいたようである。
彼が九歳のとき、祖父が亡くなり、彼はウメオの町に住む両親に引き取られる。町での生活に彼はなかなか馴染めなかったようであった。ラーソンはティーンエージャーのときから「サイエンス・フィクション」(SF)のファンであった。単なるファンというだけではなく、自らもSFを書き、同人誌を発行している。二十代の前半には、スウェーデンSF協会の会長を務めていることから、彼はSFの世界ではかなり名前の知れた存在であったようだ。
ラーソンとガブリエルソンは、ラーソンの通う高校で行われた、ベトナム戦争に反対する集会で出会った。ラーソンは、学業よりも、共産主義者としての政治活動に熱心であった。ふたりは、付き合い始め、ガブリエルソンはラーソンに、「ものを書く仕事」を進め、ラーソンはジャーナリストを志すようになる。つまり、ラーソンもシューヴァル/ヴァールー、マンケルと同じく、左翼の運動家であり、共産主義グループのメンバーだったのである。一九七七年、彼は突然アフリカに向かう。彼が何故アフリカに向かったのか、彼自身は誰にも明かさなかった。当時結成されたトロツキストによる「第四インターナショナル」のミッションであったらしい。彼はアフリカで女性ゲリラの訓練に携わっていたという。しかし、彼はアフリカでマラリアに罹り、一時生死の境を彷徨う。病が癒え、数ヵ月後にスウェーデンの戻ったラーソンは、スウェーデンの大手通信社「TT」で一九七九年から一九九九年まで働く。彼の仕事は書くことではなく、次々と入ってくるニュースを、的確な相手に配信することであった。
通信社で働く傍ら、彼は、言論の自由の擁護、特に反右翼、反ファシズム、反ネオナチの運動に傾倒していく。彼は、英国で発行されていた、人種差別、ユダヤ人排斥、ファシズムに反対する「サーチライト」という雑誌に触発され、自分もその雑誌に寄稿するようになる。また、スウェーデンでも同じような雑誌を発刊したいと考えるようになる。彼は「エキスポ(Expo)」という季刊雑誌を創刊し、その主題に反ネオナチ、反ファシズムを掲げる。その結果、彼は、極右団体、ネオナチからしばしば脅迫を受けることになる。彼が極右団体から「殺す」と脅かされたことは一度や二度ではないという。彼は、極右団体からの報復を避けながら行動する日々を送る。この「エキスポ」という雑誌が、彼の小説の中に登場する「ミレニアム」のモデルになったことは言うまでもない。彼は、通信社の仕事、雑誌の編集、「サーチライト」や「エキスポ」への記事の執筆などで、超多忙な日々を送ることになる。
「反右翼」、「反ファシズム」、「反ネオナチ」と並ぶ、彼の活動のもうひとつの柱は「フェミニズム」、「女性の保護」であった。彼は、家庭内暴力を受けた女性を援助、保護する活動を続ける。彼の小説の中で、主人公、リズベト・サランダーとその母が、暴行を受け、それに対する戦いが描かれる。彼の小説の中でも、女性を保護する活動は継承されている。
ラーソンは一九九七年ごろから、最初は休暇中の暇つぶしとして、小説を書き始めた。しかし、最初彼には、それを出版する気はなかった。二〇〇三年、ラーソンは小説を出版することを決意し、原稿を何社かの出版社に持ち込む。多くの会社に断られた中で、ノルステッズ社という出版社と契約を結ぶことに成功する。しかし、彼は本が発行される前の二〇〇四年、事務所で階段を上っている際、心臓麻痺で死亡する。
彼の死後出版された「ミレニアム三部作」は、世界中にセンセーションを巻き起こした。ガブリエルソンによると、ラーソンは死亡したとき、彼のラップトップに、約二百ページ、四分の三ほど完成した小説を残していたという。
ラーソンは、二千ページにも及ぶ小説を、ほとんど調査、リサーチなしで書き上げたと、ガブリエルソンは証言している。ラーソンは、自分の身近にいる人物、建物、事件、自分の知識や経験などを巧みに構成し、小説を書いたという。雑誌「ミレニアム」とその編集部の描写が出てくるが、これは「エキスポ」がモデルになっているのは間違いない。登場人物にも、実在する人物や、実在の人物をモデルにしたものが多い。第二作でリズベト・サランダーを助けるために活躍するボクサー、パオロ・ロベルトはもちろん実在の人物である。しかし、ラーソンは実際にロベルトに会ったことはない。ロベルトの登場する料理番組から、彼の人格、行動パターンを想像したという。主人公のミカエル・ブロムクヴィストはラーソンの分身なのか、というところに興味が湧くが、ガブリエルソンは、「コーヒーをガブ飲みする、職業ジャーナリスト」と言う点以外に、共通点は余りないと語っている。
「ミレニアム三部作」の最大の魅力は、リズベト・サランダーのキャラクター、その特異な価値観、行動パターンであろう。そして、彼女にはモデルがあるのかというところも興味深いところだ。ラーソン自身は、サランダーのモデルとして、一番多くを取り入れたのが、スウェーデンの児童文学作家、アストリッド・リンドグレン(Astrid Lindgren)の「長くつ下のピッピ(Pippi Långstrump)」の主人公だと述べている。身体中に刺青とピアスをし、暗いイメージのサランダーのモデルが、童話の主人公であるというは面白い。
「ミレニアム三部作」は「復讐」の物語である。ブロムクヴィストは、自分の信用を失墜させ、刑務所にまで入れた相手に復讐を試み、サランダーは、自分と母を虐待した弁護士、父親に復讐を試みる。ガブリエルソンによると、ラーソンは、他人からひどい仕打ちを受けたとき、それに対して復讐するのは「権利」ではなく「義務」と考えていたという。幼いときから、ラーソンは、同級生から理不尽な行いやいじめを受けると、それに必ず復讐をしていたという。相手が強すぎて、直ぐに復讐ができないときは、雌伏し、時期を来るのを待ち、何時かは復讐を実行した。
「仕返しをしてはいけません。」
という日本の教育や、
「左の頬を打たれたら、右の頬も差し出せ。」
という新約聖書的な考え方とは正反対である。ともかく、「復讐」ということに、ラーソンが独自の考えを持っていた、その考えが「ミレニアム三部作」の中に具現化されているということは確かであろう。
ラーソンは極右団体から、命を狙うと脅されながらも、反ネオナチ、反ファシズムのキャンペーンを止めなかった。この姿勢も、叩かれても叩かれても、権力を持つ者に戦いを挑むサランダーにより具現化されていると言える。
私がガブリエルソンの回顧録を読むきっかけになったのは、
「仮に『ミレニアム三部作』がベストセラーにならなくても、スティーグ・ラーソンは歴史に名前を残す人物だったのだろうか。」
という興味であった。BBCテレビのインタビューの中で、ラーソンと一緒に雑誌「エキスポ」の編集にあたっていたラッセ・ヴィンクラーは、述べている。
「例え作家として成功しなくても、身体を張ってファシズムと戦ったジャーナリストとして名前を残していたはずだ。」(3)
ガブリエルソンが描いているが、実際、ラーソンは文字通り「身体を張って」極右、ネオナチ、ファシスト、人種差別主義者と戦った。待ち構えている右翼団体から逃れるために、裏口からこっそり抜け出したり、妨害工作を避けるために、「エキスポ」の編集局を常に移動させたりしている。ガブリエルソンの記述を読む限り、よくラーソンは無事でいられたと思う。ガブリエルソンは、ラーソンと自分が正式に結婚したかった理由、子供を作らなかった理由はで最大のものは、ラーソンが自分に対する極右団体からの嫌がらせが、妻や子供に及ぶことを恐れたらだという。まさにその意味では、例え小説がヒットしなくても、ラーソンはスウェーデンにおいて、一部ではあるが、人々の記憶に残る人物であったと結論付けられる。その証拠のひとつとして、彼の死後、「お別れの会」に、英国の人権擁護の雑誌「サーチライト」の編集者を始め、海外からも多くの出席者があったことが挙げられる。ガブリエルソン自身が、彼の死後、余りも多くの人が彼の弔問に訪れ、余りにも多くの人が彼の死にショックを受けていることに驚いたと書いている。
ラーソンは、「戦う人」だったのである。
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(2)Stieg & Ne, Memories of My Life with Stieg
Larsson, Orion, Croydon, 2011
(3)Nordic Noir, The Story of Scandinavian Crime Fiction, BBC Four, 21:00-22:00, 21 August 2011