カーテンコール
カーテンコール、出演者が手をつないで、舞台に再登場する。
オペラ「サロメ」のハイライトは、何と言っても「七枚のヴェールの踊り」と「ヨカナーンの首を持つサロメ」であろう。どちらも、衝撃的な場面だ。「スケベなおじさん」の僕としては、「七枚のヴェールの踊り」をちょっと期待して、ロイヤル・アルバアート・ホールにやってきていた。しかし、踊りの場面、歌手たちは台詞がないので、舞台から引き揚げてしまい、音楽だけ。
「ええ、お姉ちゃん脱がないの?ガッカリ。」
DVDの舞台では、七枚のヴェールを脱ぎ捨てた後、歌手が本当に「全裸」になってしまった。でも、本当に全裸ではなく、膚色のレオタードを着ているんだけど。ただ、その中でサロメを演じていたのが、キャサリン・マルフィタノという人は結構「年増」で、どう考えても十六歳の少女を演じるには無理がある。
「おばさんのストリップなんて見とうないわ。」
と思ってしまった。もちろん、今日はサロメがヨカナーンの首を持って踊り、そのクビにキスをする場面も、台詞だけで実際に「生首」は登場しない。
九時過ぎ、二時間弱の舞台が終わって、カーテンコール。お疲れさん。十分くらい、拍手が鳴り止まず、歌手が何度も引っこんではまた舞台に現れる。
「どうせまた出て来るんだから、イチイチ引っこまなくていいじゃん。」
とミドリ。
「面白かった?」
と聞いてみると、
「面白かった。あんまり良い音楽なんで、気持ちが良くなって十分ほど寝ちゃった。」
とミドリは言った。
確かに、音楽は良かった。リヒャルト・シュトラウスの音楽を何か例えるならば、「台風の接近した岩浜に立っている」よう。「大きなうねりが次々に打ち寄せては砕けていく」、そんな音楽だった。「官能的」な映画、写真、絵画はあるが、音楽でも「官能的」な世界を表現できるのだなと思った。最初にミドリが言ったように、「コンサート形式」だった分、注意が散漫にならず、純粋にシュトラウスの音楽を楽しむことができて、かえって良かったかも知れない。「ストリップ」が見られなかったのは、返す返すも残念だけど。
午後九時半。ミドリと僕は外に出た。暖かい夜だ。
「革靴って滅多に履かないから足が痛いのよね。」
そう言ってミドリは、靴を脱いで歩き出した。
「犬のウンコとか、チューインガムとか踏まないようにね。」
と僕が言う。
帰り道、またセント・パンクラス駅のコンコースを通った。「誰が弾いてもいいピアノ」は三台とも皆ふさがっていた。
コンサートが終わって三々五々、家路に向かう聴衆。
<了>