あんなものを見るのは不良よ

 

リヒャルト・シュトラウス。代表作「サロメ」、「バラの騎士」。

 

さて、ここで、僕の「予習」、「リサーチ」の成果を少しご披露することにする。

リヒャルト・シュトラウスの「サロメ」は、オスカー・ワイルドの戯曲を基に、シュトラウスがオペラ化をした。オスカー・ワイルドの戯曲はフランス語なのだが、シュトラウスはこのオペラを、最初はドイツ語訳から作曲した。その後、フランス語版も作られ、フランスに「逆輸入」されている。シュトラウスという名前の作曲家は結構たくさんいる。リヒャルト・シュトラウスは米国に演奏旅行に行ったとき、

「あんたが『美しく青きドナウ』を作ったの。」

と皆に聞かれて閉口したという。

彼は、一八六四年生まれ一九四九年に亡くなっている。この人の作品で、現在ラジオで放送される回数が格段に多いのは、「ツァラトゥストラはかく語りき」の冒頭の部分であろう。

「パア〜、パア〜、パア〜、ジャジャ〜〜〜ン、ドコドコドコ」

英国の「クラシックFM」局では、一日に必ず一度はかかっている。

さて、次に原作を書いたオスカー・ワイルド(一八五四−一九〇〇)について。彼はアイルランドの詩人、作家、劇作家である。「サロメ」が一八九三年に「フランス語で」書かれたというのは少し意外な気がするが、ワイルドは長くパリに暮らし、フランス語でも執筆をしていたという。多才な人なのだ。彼は、天才肌、奇抜な服装、同性愛者等々、当時としては、色々と物議をかもしだすような人だったらしい。

「サロメ」の物語、もともとは新約聖書の短い一エピソードなのだが、それをオスカー・ワイルド、リヒャルト・シュトラウスというふたりの天才が「ダブル加工」することにより、おどろおどろしい、官能的な世界に生まれ変わっている。

シュトラウスは、この戯曲がオペラ向きであることに目をつけ、歌劇化しようとした。彼は、ヘドヴィヒ・ラハマンという人のドイツ語訳を基に、作曲した。(ちなみに「ヘド」で始まる、この名前、女性である。)

一九〇五年ドレスデン宮廷歌劇場で初演さたが、ストリップ紛いのダンスはあるわ、生首が登場するは、その生首を持って少女が踊り、挙句の果てに、少女がその生首にキスをするわ、当時としては、極めて衝撃的な作品であった。初演の後、「余りにも退廃的すぎる」という理由で、上演を禁じた国が続出したのも理解できる。おそらく「通」には受けたであろうが、当時の「善良な市民」には反発をくらうような作品だったのだ。

「お母さん、次の土曜日、ミカちゃんとシュトラウスの『サロメ』を見に行きたいんだけど。」

「まあ、何てことでしょ。あんなものは絶対見ちゃダメ。変態か不良になっちゃうから。」

なんて、会話が交わされていたのだろう。

現在では、リヒャルト・シュトラウスのオペラでは最も上演回数の多いものだという。時代は変わった。今年はシュトラウス生後百五十周年。それを記念して、プロムスでは、「サロメ」の他「バラの騎士」など、他の作品も多数上演されるとのことである。

 

色々と話題の多い人物であったという原作者のオスカー・ワイルド