現代のピカソ?!
この広場を囲むカフェの一軒に座り、特大ビールを飲みながら絵を描いた。
港でのスケッチを仕上げた後、門を潜り旧市街に入る。街の中心、泉のあるイポクラツース広場のカフェに座り、二枚目の絵を描き始めた。
この広場をぐるりとカフェとレストランが取り巻いているのだが、それだけに店の間での客の取り合いは激しい。客引き兼ウェーターの兄ちゃんが、
「俺が最初に声を掛けたのに、あんたはどうして別の店に座るんだ。」
などと文句を言っている。こっちは、出来るだけ絵になる景色を描ける場所を探しているのだよ。
絵を描き始めるが、後ろがうるさい。ウェーターや客が覗き込んでは色々コメントしていく。ビールを注文すると、巨大な長靴型のジョッキに入った、二リッターはあろうかと思われるビールが出てきた。六ユーロもした。
ビールを飲みながら絵を描く。
「あんた、現代のピカソだね。」
と一人のウェーターが言った。ピカソって、あのワケの分からない絵を描く人でしょう。
「それ褒め言葉なの?」
そう思ってしまう。
騒々しくて落ち着かないので、早々に絵を片付け、城壁に沿って歩く。日が傾き、日の当たっている部分と、陰の部分のコントラストが出来て、なかなか良い雰囲気だ。目の前にあるのは単に石を積み重ねた城壁なのだが、「ロードス島攻防記」を読んでいる僕には、どこも懐かしいような、大切な場所である気がする。
オスマントルコの十万の兵がこの町を包囲したとき、そこを守っていたのは、わずか数百人の聖ヨハネ騎士団、それに民間人を加えても数千人に過ぎなかった。しかし守備側は猛攻に耐え、何と五ヶ月の間町を守り通したのだ。これは驚くべきことだと思う。トルコのスレイマン一世もそれに驚きと尊敬を覚え、最後彼等を皆殺しにすることをせず、街を明け渡すなら船を用意するという停戦の条件を出す。騎士団と市民は、遂にそれを受け入れ、この島を去るのである。
騎士団長の宮殿へ登る石畳の坂道の途中で、ロンドンからの飛行機で僕の隣に座っていたカップルと再会。男性は日本人。日本語で話をする。
「こちらでどこを一番気に入られましたか。」
と聞くと、
「この近くのシミ島が一番良い雰囲気でした。」
とのこと。明日は彼らの推薦の場所へ行ってみようかと思う。
五時半にホテルへ戻り、例によりビールを一杯。夕食の後、疲れたのか、人の中にいるのと人と話すのが嫌になり、ひとりで部屋に戻った。少しして、妻と義母が部屋に戻ってきた様子を聞きながら、眠ってしまった。
オスマントルコ軍の猛攻に耐え抜いた城壁。