聖ヨハネ騎士団
聖ヨハネ騎士団が作った街。キリスト教世界からの寄付と海賊行為で、騎士団はリッチだった。
旧市街の細い石畳の道を歩く。この街の大部分を造ったのは、聖ヨハネ騎士団だという。彼等は十字軍に参戦したが、パレスティナで敗れ、このロードス島に移り住んだ。そして、ここをキリスト教の最後の拠点として守っていたのだ。
騎士団長の宮殿や、昔の病院今の考古学博物館など、有料の場所もあるが、中に入らない。古い町並みを歩いているだけで、もう十分に堪能した気分になる。
正午過ぎに、港に面したカフェでジュースを飲む。ギリシア語で注文しようとするが、ポルトカラーダ(ファンタオレンジ)の性が分からない。女性なら冠詞は「ミア」、中性なら「エナ」だ。名詞に性のある言葉はこんなとき不便。迷っていると、ウェイターの親爺が「ミア」と言ってくれた。女性名詞であった。
対岸に見える陸地は、エーゲ海の他の島だと思っていたが、地図を見ると、ロードス島より先にもう島はない。そこはトルコなのだ。これほど敵地トルコに近いところに、聖ヨハネ騎士団はよく頑張っていられたものだと思う。
塩野七生の「ロードス島攻防記」の裏表紙の紹介文は以下のようなものだ。
「イスラム世界に対してキリスト教世界の最前線に位置するロードス島。コンスタンティノーブルを陥落させ、巨大な帝国を形成しつつ西進を目指すオスマン・トルコにとっては、この島は喉元のトゲのような存在だった。1522年、大帝スレイマン一世はついに自ら陣頭指揮を取ってロードス島攻略戦を開始した。島を守る聖ヨハネ騎士団との五ヶ月にわたる壮烈な攻防を描く・・・」
目の前に見える城壁はまさにその聖ヨハネ騎士団によって築かれたものであり、その城壁を挟んで、激しい攻防が行われたのだった。
昼過ぎ、海岸に沿って歩いて、車を停めた場所まで行く。日本語の観光ガイドブック「地球の歩き方」によると、ロードスシティーの近くに、コスキノウという小さくて「可愛い」村があるとのこと。そこまで行ってみることにする。
「さりげない」村らしいが、さりげなすぎて、なかなか見つからない。観光スポットでないので、標識が出ていないのだ。それらしき村の広場に車を停め、少し歩いてみる。確かにその場所だった。
これと言って何も特徴や見所のない村。僕達三人の他は誰もいないよう。しかし、狭い迷路のような道の両側に「さりげなく」並ぶ家々の雰囲気は良い。道路に面した場所に座っている親爺さんを見つけ、
「カリメラ(こんにちは)」
と言ったら、彼は、
「ヤ・サス(ハロー)」
と言った。
広場に戻ると、日本人観光客らしいお姉さんふたりが見えた。その他は誰も居なかった。
飾らないさりげなさ魅力のコスキノウの村。