韃靼海峡とてふてふ
O先生の「授業」が始まった。
土曜日、同窓会のある日だ。朝起きて、鴨川まで散歩する。時差ボケか、夜中に目が覚めたときに飲んだ睡眠剤のせいか、ふらついて真っ直ぐに歩けない。朝食の後、またしばらく横になる。
しかし、いつまでも寝てはいられない。午前中にすることがある。僕は、昨日父の遺した切手の中から、一番価値のありそうなものを数シート選んで持ち帰っていた。父は切手を集めていたのだ。午前中、自転車で四条大宮に行き、切手商に立ち寄り交渉する。
「戦後の切手は全て額面の六割がええとこでんな。」
と切手商の兄ちゃんは言う。額面の六割でしか買い取ってもらえないといなると、どの切手も貼って使うのが一番の得策ということになる。父は額面でも十万円は悠に越える切手を遺している。使い切れるのだろうか。昼過ぎに、福岡から姉が到着した。
いよいよ、今回の一時帰国のメインイヴェントである中学の同窓会に向かう。生母の家から中学校までは歩いて十分。小学校、中学校と九年間通った道だ。
中学校の前に立つ。卒業してから四十年経つが、建物は変わっていない。校門を入ると何故か「ひょっとこ」の面をつけたウシサンがいた。
「ウシサン、何してんねん?」
「オレ、案内係りなんやけど、『私は誰でしょう』をやれって、ホリケンに言われてねん。」
なるほど、これも趣向のうちなのね。
会場のランチルームに同級生が集まってくる。僕の通っていた頃は「ランチルーム」なんてなくて、生徒は皆教室で弁当を食っていた。男性はすぐに誰か分かる。女性は分からない人と分かる人が半々くらい。
「おまえ老けたなあ。今年で幾つになってん?」
というお間抜けな会話が聞こえてくる。
出席者が揃うと、O先生の「授業」が始まった。先生は隣のクラスの担任であっとともに僕の国語の先生だ。O先生はまず、黒板に詩を書かれた。
「てふてふが一匹
韃靼海峡を
渡っていった」
書き終わったO先生の質問。
「ところで韃靼海峡ってどこやねん?」
僕はすかさず手を挙げる・
「はい、カワイくん。」
「サハリンと、ロシアの間の海峡です。」
「正解です。」
いえ〜い、なかなか良い出だし。
それを真剣に聞く老眼鏡をかけた生徒たち。