「悪魔も時には人の子」
Manchmal
ist der Teufel auch nu rein Mensch
(2014年)
<はじめに>
前作で「神」と名乗る男に出会った精神分析医のヤコブ・ヤコビ。三年後、今度は「悪魔」と名乗る男に出会う。その男は、「神」と出会ったというプレミアのついた、希少価値のヤコブの「魂」を高額で買おうとするが・・・
<ストーリー>
ベルリン、冬。精神分析医のヤコブ・ヤコビは、自分の診療所でカール・モースマンという中年の男のカウンセリングをしている。
「ヤコビ先生、あなたは悪魔の存在を信じますか?」
とモースマンは言う。モースマンの妻は不倫をしており、それはもう、悪魔の所業としか考えられないという。そのとき、アシスタントのクレッチャー夫人が顔を出す。
「アントン・アウアーバッハという方からお電話があり、至急お会いしたいそうです。」
と彼女は言う。ヤコブはその日、元妻のエレンとの夕食の約束があったので、そのままモースマンの車に便乗して診療所を出る。外には雪が舞っている。
ヤコビは超一流のレストランで元妻と会った。彼女は伯父から莫大な遺産を受け継ぎ、いまは一回り下の若いボーイフレンドと暮らしていた。エレンは元夫のヤコブに、カウンセリングをして欲しいという。四十一歳になるエレンは、最後のチャンスとして子供が欲しいのに、ボーイフレンドが子供を作ることに興味を示さないという悩みを持っていた。その時、ウェーターが、
「ドクター・ヤコビ様でございますか。アントン・アウアーバッハ様という方からお電話が入っておりますが。」
言う。ヤコブはどうして、アウアーバッハなる人物が、自分がここにいることを知っているのか、いぶかしく思う。
「明日電話するから、と伝えておいてください。」
とヤコブは言う。
エレンと別れて深夜ヤコブがアパートに戻ると、電灯が点いていた。愛人のヴァレリーであった。ヤコブは人妻のヴァレリーと関係していた。身体を求めて来たヴァレリーに、今日は疲れているからと断ると、彼女は怒ってアパートを出て行く。そしてその直後にドアをノックする音が。
「今日はもうセックスはしないよ。」
そう言って、ヤコブがドアを開けると、そこにはホテルのコンセルジュと思われる男が立っていた。
「アウワーバッハ様より手紙を預かっております。ご返事を伺いたい。」
とコンセルジュは言う。
「明日、九時にリッツ・カールトン・ホテルで朝食をご一緒しながらお話しをしたく。アントン・アウアーバッハ」
と、手紙には書かれていた。興味を持ったヤコブは、その誘いに乗ることにする。
翌朝ベルリンの高級ホテル、リッツ・カールトンの食堂には、ヤコブの好みの朝食が用意されていた。そこに、アントン・アウアーバッハが現れる。彼は、頭の先から足の先まで、高級品を身に着けていた。アウアーバッハは、自分が悪魔の代理人であり、ヤコブの魂を買いたいと持ちかける。三年前に「神」と出会ったヤコブの魂は、貴重品で、金に糸目をつけずに買う価値のあるものだと、アウワーバッハは言う。半信半疑で話を聞いているヤコブだが、三年前に会った「神」と名乗る男、アベル・バウマンに会ったヤコブは、アウワーバッハの荒唐無稽な話を、一概に精神異常者の戯言と、否定できない。ちなみに、ヤコブは自分の魂の値段をふっかけてみるが、アウワーバッハは一千万ユーロを出す用意があると言う。
アウアーバッハと出会った帰り、ヤコブは何故かカトリックの教会が目に入り、そこに足を踏み入れる。その中には司祭のロベルト・フェリーチェとそのアシスタントの美しい女性がいた。ヤコブは「悪魔の代理人」と出会った後で、自分がいつもは足を向けない教会に入り、聖職者と話したことが偶然であるとは思われない。
ヤコブが診療所に帰ると、秘書のクレッチャー夫人が、電話とインターネットが故障して、今日はどちらも通じないと言う。その修理のために、彼女はラキというコンピューターの技術者を呼んでいた。技術者が壊れた電話の線を外して持ってくる。しかし、その電話が突然鳴る。クレッチャー夫人が受話器を取る。電話は、アウアーバッハからのもので、ヤコブと明日、カウンセリングの予約をしたいという用件で会った。
「明日は予約で一杯です」
とクレッチャー夫人は答える。すると、すぐに別の患者から予約の取り消しの電話があり、アウアーバッハは結局、翌朝の九時の予約を取ることができた。それらが全て、線のつながっていない電話で行われたことを見た技術者のラキは、これは悪魔の所業で、「エキソシスト」(悪魔祓い師)が必要だと言い出す。
その日の夜、アパートに帰ったヤコブのアパートに、サンタクロースの格好をしたヴァレリーが現れる。サンタクロースのマントの下、彼女は赤い下着を付けているだけだった。彼女はヤコブをベッドに誘う。ベッドの中でヴァレリーは話し始める。
「あなたに知っておいてほしいことがあるの。それは・・・」
その瞬間、玄関のベルが鳴る。それは憔悴した様子の元妻のエレンであった。ヤコブは彼女を入れる。情事と会話を中断されたヴァレリーは怒って出て行く。エレンは、子供の話をしたとたん、ボーイフレンドが彼女を捨てたと言う。
翌朝、ヤコブが診療所に出勤すると、既にアウワーバッハがいて、クレッチャー夫人と話していた。診察室で、アウワーバッハは百万ユーロの現金をヤコブに見せる。一千万ユーロでヤコブの魂を買うための手付金として持って来たという。そのとき、クレッチャー夫人がコーヒーを持って診察室に入って来る。彼女は目の前の大金を見て驚く。アウワーバッハはその金が、ヤコブの魂を買うためのものだと言う。ヤコブは、どんなに大金を積まれても、自分は魂を売るようなことをしないと言い張る。クレッチャー夫人は自分の魂を買ってくれとアウワーバッハに迫り、アウワーバッハは彼女の魂を数千ユーロで彼女の魂を買いたたく。アウワーバッハは、自分が「悪魔の代理人」ではなく、「悪魔そのもの」であると主張する。
ヤコブはアウワーバッハのことを相談するために、教会の司祭ロベルトを訪れる。司祭が「神」と名乗っていたアベル・バウマンを知っているかもしれないと思ったのである。ロベルトは、アシスタントのエファと一緒に、クリスマスの飾りつけをしているところであった。ヤコブがバウマンの名前を口に出すとロベルトがいきなり興奮する。
「おれは、酒は飲む、煙草もドラッグもやる、アシスタントのエファと肉体関係もある、しかし、神を信じる気持ちは誰にも負けない。そう大司教のバウマンに言え。」
ロベルトはそう叫ぶ。大司教も偶然バウマンという名前で、彼は、ヤコブのことを大司教の派遣したスパイだと思ったのだ。そうでないと分かったとたん、ロベルトは大喜びをし、ヤコブとロベルトは教会で、ワインを飲み始める。
その日の午後十時、ロベルトはリッツ・カールトン・ホテルの「六六六号室」を訪れる。そこは真っ暗で、緑色の目玉のようなものが漂っていた。そこに悪魔が現れる。ヤコブは心臓が止まると思われるくらい怯える。しかし、それは、悪魔に扮装したアウワーバッハと、それをビデオに撮っていた助手であることが分かる。ヤコブは、アウワーバッハに、自分のカウンセリングを受けるように勧める。
ホテルから出たヤコブがアパートに戻ると、前にモースマンが立っていた。モースマンはヤコブに拳銃を突きつける。
「俺の妻を寝取った男に復讐してやる。」
とモースマンは言う。ヤコブはヴァレリーが実はズザンネという名前で、モースマンの妻であることを知る。ヤコブはモースマンを行きつけの寿司屋、タカハシに連れて行き、確かに自分はヴァレリーを知っているが、自分も騙されていたのだと話し、モースマンから拳銃を預かる。
モースマンから逃れてアパートに戻ると、ヴァレリーがいた。
「おまえのついた嘘のせいで俺は殺されかけた。」
とヤコブは彼女に、出て行くように言う。一度は出て行った彼女だが、また戻って来て、自分は真剣で、ヤコブと付き合うためには、どうしても嘘をつかなくてはならなかったと言う。ヤコブはその夜やヴァレリーと寝る。
翌朝、日曜日、夫のモースマンがヤコブに携帯から電話を架けてきて、アパートの前にいるから、会いに行きたいという。アパートにはもちろんモースマンの妻ズザンネ、ヤコブにとってはヴァレリーがいる。ヤコブはヴァレリーお機転で何とか難を逃れる。ヤコブは、事態が自分の都合のよい方向に展開するのは、誰からの筋書きに踊らされているのではないかと感じ始める。
その日の午後、ロベルトがヤコブに電話をしてきて、至急会いたいという。慌てて教会に出向いたヤコブに、ロベルトはクリスマスの飾りつけを見るように言う。そこにはキリストの生誕に駆け付けた東方の三人の王の像があった。その一人がヤコブと同じ顔をして、目から血の涙を流していた。そのとき、鍵の掛かっているはずの教会の玄関の扉を何者か開けたのが見えた。ヤコブは慌てて玄関から外に飛び出す。そこにはアウアーバッハがいた。アウアーバッハは偶然そこを通りかかったのだと取り繕う。ヤコブは、アウワーバッハの腕に、エレンの「元彼」がしていて、エレンが別れる時に取り返したという高価な時計を見る。
その日の夜、ヤコブはエレンを食事に誘う。エレンはアウワーバッハとホテルで出会い、付き合い始めたと告げる。そして、自分がアウワーバッハの子供を産む決心をしたと告げる。ヤコブは手の甲と、額、足の甲が赤くなっているのに気付き、そこに痛みを感じ始める。
翌朝、ヤコブが診療所に出勤すると、見慣れる美女がいる。横見るとそれは、アウワーバッハに魂を売った金で美容院に行き、着るものを買った、クレッチャー夫人であった。夫人は、ヤコブの皮膚が赤くなっているのを見て、背中を見てあげると言って、ヤコブの服を脱がせる。そして、自分も上半身裸になって、ヤコブの肌に触る。ふたりが診療室でまさに事に及ぼうとしたとき、モースマンとヴァレリーが入って来る。モースマンは、セラピーに自分の妻も連れて来たと言う。ヤコブは、クレッチャー夫人にどうして自分を挑発したのかと尋ねる。クレッチャー夫人はアウアーバッハに頼まれたと答える。
ヤコブは午前中の仕事をキャンセルして、ロベルトを訪れる。ロベルトは、ヤコブの皮膚を見て、それは「スティグマ」であると言う。「スティグマ」とは、イエス・キリストが磔にされたとき、釘を打たれた足と手の甲と、棘の冠をかぶせられた額に出来る傷のことであった。ロベルトはヤコブ自身も悪魔に取りつかれていると断言し、「エキソシスム」、悪魔祓い必要だと言う。
ヤコブはアウワーバッハを訪れる。アウアーバッハはエレンと食事をする準備中であった。ヤコブは、自分に飲み物に混ぜた薬を飲ませ、皮膚病を引き起こしたと非難する。しかし、アウアーバッハはそれを否定する。
ヤコブの手足と額の傷を次第にひどくなり、血が滴るようになる。おまけに、ヤコブは、母親が手紙と一緒に送って来た線香を、茶と間違って飲み、気分が悪くなる。深夜に救急病院に行こうとして外に出たヤコブだが、気分が一層悪くなり、雪の降る中、気を失って道路に倒れる。
ヤコブが目を覚ますと、タカハシの店に寝かされていた。雪の中に倒れていた彼は、早朝に出勤してきたタカハシに発見され、店に運び入れられたのだ。タカハシの店で眠り、茶を飲み、ヤコブが元気を回復する。ヤコブは寝ている間、ラテン語、ロシア語、スペイン語などの言葉で寝言を言っていたとタカハシは証言する。それらはヤコブが普段は喋れない言葉であった。
診療所に戻ったヤコブをモースマンが訪れる。モースマンは、妻のズザンネ、つまりヴァレリーが、ヤコブの歓心を得るために、悪魔、アウアーバッハと契約していたと言い、その契約書を見せる。ヴァレリーは昨日、ヤコブが秘書のクレッチャー夫人と裸でいるのを見て、一層ライバル意識を掻き立てられているという。モースマンは、
「妻はあなたのものだ。俺は諦めた。」
と言う。
ロベルトは、どうしても悪魔祓いが必要だと主張し、そのための七つ道具を鞄に詰めてアウワーバッハの泊まるホテルに向かう。その中でも最も重要なものは「聖人の足の指」であるという。ヤコブは、ロベルトが強引にアウアーバッハを拘束し、儀式を行うことに賛成できないでいる。ヤコブには、アウアーバッハが本当の悪魔ではなく、自分が悪魔であると思い込んでいる精神病患者であるという考えを捨てきれなかった。ふたりはリッツ・カールトン・ホテルの「六六六号室」を訪れる。意外にも、アウワーバッハは「悪魔祓い」に応じる。しかし、儀式はアウワーバッハの演技に翻弄されて、失敗する。大事な「聖人の足の指」も鶏の骨と一緒に捨てられてしまう。しかし、その後、ヤコブの手足と額の傷は、跡形もなく消える。
ヤコブが家に帰って風呂に入っていると、エレンがやってくる。エレンは、ロベルトとヤコブが、本人の意思に反して、アウワーバッハをベッドに縛り付けて悪魔祓いを行ったことを批難する。そこにロベルトから電話がかかる。
「アウワーバッハを誘拐した。」
ロベルトはそう言う。ヤコブとエレンは教会に駆け付ける。果たして、ロベルトは教会の地下室の鍵の掛けられた鉄の柵の向こう側で、アウワーバッハを祭壇に縛り付け、悪魔祓いの儀式をしていた。エレンが警察に連絡し、警官が駆けつける。警官隊が地下室に突入し、アウワーバッハは救助され、病院に運ばれる、しかし、ロベルトは忽然と消えていた。ヤコブはロベルトのアシスタントであり愛人であるエファと話し、彼女がロベルトの子供を身ごもることを条件に、アウワーバッハに自分の魂を売る契約をしたことを告げる。また、三人の王の像のうち一体をすり替えたのは自分であるという。そして、彼女は、自分が妊娠していることを告げる。
ヤコブは病院にアウワーバッハを見舞う。アウワーバッハは
「地獄をちょっと覗いてみないか。」
とヤコブを誘う。ヤコブとアウワーバッハは病院のエレベーターに乗る、エレベーターはどんどん降下する。そして、扉が開いた。そこは地獄であるという。しかし、そこは空調の効いた、普通のオフィスビルのようだった。アウワーバッハは、そこは地獄の管理部で、罪人の処置などは全て「アウトソーシング」されていると説明する。そして、その「アウトソーシング」先にはキリスト教会もあるという。アウワーバッハはロベルトも一時的に地獄へ連れられて来ていると言う。そして、ヤコブをロベルトに引き合わせる・・・・
<感想など>
前作の続編として書かれているが、前作と同じように、「ご都合主義」を凌駕する軽快なタッチで書かれている。
前作でもそうであったが、「神」あるいは「悪魔」と名乗る人物が、ヤコブに色々と不思議な、超現実的な体験をさせる。それは一見「奇跡」であるように見えるのだが、それが「トリック」、「手品」であるという別の解釈の可能性も常に残されている。例えば、ヤコブはアウワーバッハに連れられて「地獄巡り」に出かけるが、その前に、アウワーバッハに勧められて、シャンペンを飲み干している。つまり、そのシャンペンに何か薬物が入れてあって、その結果ヤコブは夢を見せられたという可能性も示唆されているのである。(しかし、この物語の登場人物、やたらシャンペンを飲む。)
私はこの本を、まず、朗読、オーディオブックで聴いた。ヨハネス・シュテックという人が朗読していたのだが、アウワーバッハには語尾の「R」を強く発音させており、どこか外国人というイメージを聞く者に与えている。また、司祭のロベルトは、完全にイタリア訛りのドイツ語である。この辺り、普通のドイツ人が、「悪魔」、「カトリックの司祭」から受けるイメージのステレオタイプを知ることができて面白い。
前回は「神」をテーマに、今回は「悪魔」をテーマに書かれたのである。日本人が想像する以上に、「悪魔」「サタン」が、キリスト教国では「神」と対をなすものとして定着しているということを、改めて知らされた。確かに聖書にも「サタン」が登場し、キリストを誘惑する。しかし、悪魔はあくまで「チョイ役」に過ぎない。しかし、その後、カトリック教会により、「悪魔」、「魔女」、「アンチキリスト」が宣伝されたのだろう。
ロベルトがアウワーバッハに対して、「エキソシスム」、悪魔祓いをする場面がある。一九七三年に「エキソシスト」というオカルト映画あった。(この映画と、「十三日の金曜日」、「リング」が、私が見た怖い映画のベストスリーであろうか。)ロベルトの儀式の場面は映画のパロディーである。聖水が身体に当たると音を立てて蒸発したり、口から液体が出たり、ベッドがガタガタ揺れたり。しかし四十年経って覚えているくらい、あれは怖い映画であった。しかし、「聖人の足の指」を「鶏の骨」と混ぜて捨ててしまうというのには笑った。
落語に「地獄八景亡者戯」というのがあるが、地獄の話だが全然怖くない。それどころか、上方落語では一番笑える作品かも知れない。この本も、「悪魔」、「地獄」をテーマにしているものの、読んで「アハハ」と笑う「お気楽な」物語なのである。登場人物の殆どが、自分の願いを叶えるために、悪魔と契約をしてしまっているという、ドタバタ喜劇。喜劇に余分な解説は不要ということで、これくらいにしておく。
(2015年6月)