紐と十字架
原題:Knots & Crosses
Ian Rankin
1987年
<はじめに>
スウェーデンのおしどり推理作家、シューヴァル/ヴァールーの新聞記事を読んでいたところ、イアン・ランキンについてのコメントがあった。彼等の「マルティン・ベック」シリーズがなければ、マンケルの「クルト・ヴァランダー」シリーズ、ランキンの「ジョン・リーバス」シリーズも現れなかったろう、というような内容だった。その記事に興味を持った私は、早速そのランキンのシリーズを読み始めた。ランキンはスコットランドの作家、珍しくドイツ語ではなく、英語での読書となった。
<ストーリー>
スコットランド。男は少女の首を絞めて殺す。その横にはマッチ棒と紐、封筒が用意されていた。
エジンバラ。亡くなった父親の墓参りの後、刑事ジョン・リーバスは海辺に住む兄のマイケルを訪れる。マイケルは催眠術師をしており、舞台で観客に催眠術をかけるというショーを見せていた。ふたりの兄弟はそれほど親しくない。誘拐されて殺された少女のことがふたりの話題となる。
リーバスが警察署に戻ると、手紙が着いていた。そこには紐で十字に結ばれたマッチ棒と、
「ヒントはどこにでもある」
とタイプライターで書かれた紙が入っていた。彼はそれを無視する。上司に呼ばれた彼は、自分も「少女誘拐事件」特別捜査班に組み入れられたことを知る。
リーバスの同僚の刑事キャンベルは、パブで新聞記者のジム・スティーブンスに出会う。スティーブンスは、エジンバラにおける麻薬組織の取材をしていた。キャンベルは同僚のリーバスを話題に乗せる。スティーブンスはリーバスに非常に興味を持つ。リーバスは昔陸軍にいたが、その時代のことを決して話さない。そのことをキャンベルも、他の同僚も不思議に思っていた。
メアリー・アンドリュースという名の少女に続いて、更にサンドラ・アダムスという少女が誘拐され殺される。エジンバラ警察署長のワラスは警察官全員を集め、警察の威信をかけて総力を挙げて犯人を捜すという決意を述べる。リーバスとモートンは過去の事件を調べ、その中からよく似たケースを探す係りとなる。二人は徹夜で過去の事件のファイルを読む。
疲れたリーバスは、休憩室で女性警官のキャシー・ジャクソンに声を掛ける。リーバスは数年前、妻と別れた後独り暮らしであった。彼には、サマンサという十歳の娘がいる。キャシーは週末に彼女の家で行われるパーティーにリーバスを招待する。リーバスがアパートに戻ると
「時間の間を読む者へ」
というメモとともに、紐でくくられたマッチ棒の入った封筒が届けられていた。リーバスはそれも無視する。
殺された少女達は、性的な暴行を受けることなしに絞殺されていた。また住んでいる場所も、通っている学校も別で、彼女達を結びつけるものが見つからない。それだけに捜査は困難を極める。
スティーブンスは、リーバスの兄、マイケルが麻薬組織と関係していることを調べ上げていた。スティーブンスは、マイケルを尾行し、彼が金と引き換えに大量の麻薬を受け取っているシーンを目撃する。
独身生活を続けるリーバスは、自分の周囲にボチボチ女性が必要だと感じ始める。リーバスはキャシーのパーティーに出る。そこで彼は、同じ警察官で報道担当のジル・テンパーと知り合う。彼女から、少女がまたひとり誘拐されたことを知る。意気投合したふたりはリーバスのアパートに戻り、ベッドを共にする。
ジルと親しくなったリーバスは彼女に、自分の過去について語る。陸軍を去ったリーバスは、警察に入るまで神経症で悩んでいた。休暇中に教師をやっていたローナと知り合い、サマンサという娘を設ける。しかし、ローナとは数年前に離婚していた。リーバスは優秀な兵士であった。除隊後、彼は軍隊時代の悪夢に悩まされ、その記憶を自分の心から消し去ることにより、何とか精神的な平衡を保っていた。
その翌日、リーバスは自分の娘サマンサと会う。彼女は分かれた妻、ローナと一緒に住んでおり、リーバスは数週間に一度娘と会うことになっていた。リーバスは他のエジンバラの女の子を持つ親と同じように、自分の娘が誘拐犯の次のターゲットになるのではないかと心配していた。サマンサは、母親に新しく若いボーイフレンドが出来たことを告げる。そのボーイフレンドは、リーバスの上司、アンダーソンの息子であった。リーバスがサマンサと別れ家に戻ると、切手の貼っていない封筒が届いていた。また紐で括られたマッチ棒と
「おまえの行くところはどこにもない」
というメッセージを添えて。リーバスはそれを自分の過去と結び付けようとし始める。
少女連続殺人の取材のために、エジンバラの街には大勢の報道陣が詰めかける。警察は総力を挙げて犯人を捜そうとするが、犯人への糸口は容易に見つからない。唯一の上位方は、青いフォード・エスコートがどの誘拐現場の近くでも目撃されていることであった。
記者会見の席にスティーブンスもいた。彼は、兄のマイケルと弟のジョン・リーバスが「ぐる」になっていると疑い、リーバスをしばらく追いかけてみることにする。スティーブンスはジルに近付き、リーバスは陰のある男であることをほのめかす。ジルはそれを聞いて動揺する。
エジンバラ図書館。ホームレスの溜まり場になっている。そこへ母親に連れられたサマンサも来ていた。そのサマンサを観察するひとりの男がいた。
よそよそしい態度のジルに腹を立てたリーバスは、飲みに出かけ、兄の催眠術のショーで出会った中年の女性の部屋に泊まる。しかし、彼女と関係しようとしたとき、突然過去の出来事のフラッシュバックに襲われ、意識不明となり病院に運ばれる。入院中のリーバスをジルが見舞いに訪れ、ふたりはまた友好的な関係を取り戻す。
リーバスが病院からアパートに戻ると、またもやクロスしたマッチ棒とメッセージが届いていた。今回のメッセージは
「おまえにはまだ分からないのか?見当も付かないのだろう。そして、もう終わろうとしている。後になってどうして俺にチャンスをくれなかったのだと言うなよ。」
というものだった。ジルはマッチ棒とメッセージに興味を持つ。そして、その送られてきた日付と、少女達が誘拐された日付が一致するのに気付く。事件との関係を確信したジルは、自分の上司のアンダーソンにその手紙について話す。
警察には次々と市民からの情報が送られてくる。リーバスが電話を取ると、通報者はクロスワードパズル好きの大学教授からであった。その教授は、殺された四人の少女の名前に、妙な関連があることを告げる。
Sandra Adams.
Mary Andrews,
Nicola Turner,
Helen Abot,
彼等のイニシャルを繋げると、「SAMANTHA」サマンサとなる。自分の娘が次のターゲットであることを察知したリーバスは、慌ててローナとサマンサの家に向かう。
リーバスがサマンサとローナの住む家に入ると、ローナとボーイフレンドは殴り倒されており、サマンサは連れ去られていた。ローナは何とか命を取り留めるが、ボーイフレンドであるアンダーソンの息子は死亡する。
リーバスは、狙われているのは自分であり、四人の少女の誘拐、殺害は、自分の娘を誘拐するための序奏に過ぎなかったことを知る。捜査班の責任者の息子が殺され、そのメンバーの娘が誘拐されたことで、マスコミは益々騒ぎ、世間は益々騒然としてくる。
自分の娘が誘拐されたことにショックを受けるリーバスを慰めるために、ジルは兄のマイケルに電話をし、リーバスを訪ねるよう依頼する。マイケルはリーバスを訪れ、そこにジルも加わる。ジルはこの事件の背景はリーバスの過去、陸軍時代にあると考える。しかし、リーバスは何も思い出せないという。リーバスはマイケルの催眠術によって、リーバスの心の中にある過去の出来事を見つけ出すことを提案する。マイケルも承知し、リーバスに催眠術をかける。
リーバスの口から、軍隊時代の恐るべき出来事が語られる・・・
<感想など>
確かに、ヴァランダー・シリーズと設定が似ている。リーバスは四十一歳の中年男。離婚暦がある。十二歳のひとり娘がいる。離婚暦と一人娘、このあたりはヴァランダーと同じである。しかし、彼は警察の中では今のところ単なる刑事であり、ヴァランダーのように警視という指導的な位置にはいない。捜査班でも単なる一メンバーで、過去のファイルの調査や、聞き込みをやらされている。私生活では、そろそろ女性が欲しいと思う余りエロチックな夢を見、たまに娘に会うのを楽しみにしている。
彼の過去は断片的に語られる。警察に入る前、優秀な軍人であった。しかし、神経症を発病して退役。現在も時々悪夢に悩まされている。その原因については、時々過去の「フラッシュバック」が語られるだけで、詳しくは述べられない。同僚達も、彼を追う新聞記者達も、リーバスに過去に興味を持っている。
舞台はエジンバラ、スコットランド人とスコットランドの文化について知ることができる。しかし、スコットランド人はスコッチウィスキーの本場だけあって皆酒飲みである。刑事達も昼から仕事中に平気で酒を飲んでいる。同時に敬虔でもある。リーバスも常に「教会にいかなければ」と考えている。
このストーリーの展開を追っていて不思議に思ったのは、人間の過去の記憶に「蓋をする」ことは果たして可能なのかということ。この物語の中では、記憶に「蓋をしてしまう」と、自分でも思い出せなくなるということになっている。この辺り、作者のランキンはかなり多くの深層心理学の文献を参考にしていることが、後書きによって知ることができる。まさにこの部分が、物語のキーとなる部分である。
その作者のイアン・ランキンであるが、作家になる前に色々な職業についている人である。彼はスコットランド人でありエジンバラ在住である。つまり自分の周りの風景を舞台にしているのである。物語から受けるエジンバラのイメージは暗くて、寒いものである。筆者も何度かスコットランドを訪れたが、気温は低く、雨が多かった。自然は美しいであるが。
「誰もが洋服ダンスの中に骸骨を隠している。」という一節がある。(31ページ)「誰の家の庭にも、死体のひとつやふたつが埋められている」とこちらでは良く言われる。一見平和そうに見えるどの家庭にも、ひとつやふたつ、触れられたくない秘密があるということであろう。この物語のテーマを敢えて一言で表現しようとすると、この言葉に行き着くのではないであろうか。
(2011年10月)