社会主義の残り香
ヴロツワフの小人は、きっと、中世の童話かなんかからだと思っていた。ところが、実は結構歴史が浅いものだった。以下は、インターネット百科、ウィキベディアからの引用である。
「ヴロツワフの小人とは、ポーランドのドルヌィ・シロンスク県都ヴロツワフ市に設置されている観光者向けのアトラクションである。一九八〇年にポーランドの政党『オレンジ・オルタナティブ』が、当時の共産主義政治に対してのデモ、『オレンジ・オルタナティブ運動』の為、風刺的にヴロツワフ旧市街地に”お父さん小人”を設置したのが始まりである。二〇〇一年夏、芸術大学の学生によるプロジェクトの為、新たな小人が街に設置されたのをきっかけに、二〇〇四年には芸術家トマス・モツェク氏が十二体の小人を制作した。小人はそれぞれが特徴的で、個々に名前とその小人に纏わる伝説などがあるとされている。二〇〇九年には九十五体が設置され、現在では二百五十体以上の小人が市内並びに郊外に設置されている。市内では小人ガイドツアーや小人マップ等も提供されている。」
ポーランドはかつて「東側」、ソ連をリーダーとする社会主義国家の一員であった。かつての東側の国も今では大部分が資本主義になり一部はEUのメンバーにもなっている。今、それらの国を訪れると、かつて社会主義国であった痕跡は殆どない。ただひとつちょっと違和感を受けるのが、市電、地下鉄など、公共交通機関を利用したとき。走っている車両を見ると、あきらかに、英国、フランスやドイツのものと違う。一言では、実用本位、デザインに凝っていないということだろうか。ハンガリーのブダペストでも感じたが、社会主義政権時代に作られた地下鉄や市電の車両は、直線的で丸みがない、いかつい。旧西側の車両は丸みがありスマートな感じがする。その日の朝も、街を走っている路面電車を見て、
「社会主義の香りがする。」
と感心したのだった。
旧市街のカラフルなパステルカラーの建物を楽しんだ後、オドラ川の岸辺へと行ってみる。観光案内所でもらった地図によると、川の畔に「見所」という印が沢山ついていたからだった。地図で見ると、オドラ川に中州のような形で島が形作られている。
「これは『ミニ・シテ島』だね。」
と僕はつぶやいた。ノートルダム寺院のあるパリのシテ島のような感じ、島の中には沢山の教会があった。ポーランド人は信心深いのか、本当に街に教会が多い。二本の尖塔のある大聖堂のある島には、青い色で塗られた、鉄骨作りの橋を渡る。その橋の欄干には、無数の「錠前」が結び付けられている。それは、海岸の岩に密着したムール貝にも似ていた。おそらく何十万個という数、その重量だけで何トンもあると思う。ドイツのフランクフルトにもそんな橋があった。カップルがその橋に鍵を結び付けておくと、永遠に離れることがないという。
大聖堂の中を見る。ヴロツワフは十八世紀以降約二百年に渡り、ドイツ、プロイセンの領土であった。当時は「Bleslau」(ブレスラウ)と呼ばれていた。第二次世界大戦後、ポーランド領になったが、大戦の末期、街ではソ連軍とドイツ軍の激しい戦いが繰り広げられ、街の大半が破壊されたという。今見ることが出来る町は、戦後ポーランドの人々によって、復元されたもの。大聖堂の中には、尖塔が崩れ落ち、壁だけが残っている戦後間もないころの写真が掲げてあった。