カントリー・ロード・テイク・ミー・ホーム
チャイナタウンの「美食中心」でこれから夕食を取る、若い夫婦。
チャイナタウンを歩く。歩き回って喉が渇いている。とにかく冷たいビールを飲んで、一息つきたい。しかし、イスラムの国とは不便なもので、どこでもビールが飲めるわけではないのだ。昨日までは、台所の冷蔵庫を開けると、冷たい「タイガービール」が入っており、僕はそれを勝手に飲んでいたのに。今日はビール一杯の為に歩き回らねばならない。
チャイナタウンの雑踏をしばらく歩くと、白人の若者がビールを飲んでいるバーがあった。そこに入り、ビールを注文する。汗をかいた後なので、冷たいビールが美味い。立て続けに二杯飲む。それでやっと気持ちが落ち着いた。
そのバーで、僕は入り口に近い席に座っていた。横で、僕の息子や娘くらいの歳のバックパッカーの若者が酒を飲んでいる。
「スミレも東南アジア旅行中は、こうして、旅行中の若者ばかりで群れて、一緒にビールでも飲んでいたのだろうな。」
そんな想像をする。彼等若者は、宿代や交通費はケチるが、ビールは別勘定みたい。結構カパカパと飲んで騒いでいる。
僕は自分に周囲を観察できる余裕ができたのに気付いた。夕方六時を過ぎ、身体にネットリ張り付くような暑さも幾分和らいできた。僕は大きく溜息をひとつついた。
夕食は何にしようかと迷う。とにかく、道の両側にずらりと中華料理店が並んでいるのだから。しかし、僕は結局マレーシア最後の夜の食事を、フードモール、「美食中心」で食べることにした。屋台の一つで、チャーシュー麺を注文し、席に着く。飲み物の注文を取り気にた兄ちゃんに、「タイガービール」をもう一本注文する。「美食中心」にはジョン・デンバーの「カントリー・ロード・テイク・ミー・ホーム」(「故郷に帰りたい」)が流れている。その歌を一緒に口ずさみながら、
「僕は、どうして今こんなところにいるんだろう。」
と一瞬考えてしまう。人間、時々自分の意思と関わりなく、とんでもない場所に身を置くことがあるものだ。それもよし。社会経験。
帰り道、パサール・セミ駅の券売機と自動改札は、奇跡的に全て稼動していた。やればできるんだから。
ホテルに戻る、食事とビールで心に余裕ができると、窓のない部屋も全然苦にならない。シャワーを浴び、テレビをつける。BBCの国際ニュース、アメリカの東海岸は大雪のようだ。「世界の天気」によると、ロンドンの気温は三度。明日は無事帰れそうだ。そう思いながら、九時には眠り込んでしまった。
十二月二十八日。二時ごろに目が覚める。
「どえりぁあ早う目が覚めたでよう。」
と何故か名古屋弁で感心してしまう。別に今日は寝不足でもよい。飛行機の中で眠ればいいのだから。BBC国際ニュースでもう一度ロンドンの天候を確かめる。六度。結構暖かい。雪の心配は全くなさそうだ。
マレーシアは食べることに関して、全然苦労しない国だった。何時でも何処でも安く美味しく食べられた。