メイドのいる生活
これが「バクテやさん」の看板。漢字だけでも日本人には普通に理解できる。
僕らの座っている横で、中国人の一族が十人ほどで朝食を取っている。それはそれで微笑ましい光景なのだが、その中にひとり膚の色が浅黒い、ピンクのTシャツを着た若い女性が混ざっている。チズコが言った。
「彼女がアマさん。」
「ええっ、尼さん?」
「こっちでは、メイドのことを『アマ』って言うの。彼女はおそらくインドネシア人ね。メイドは一緒のテーブルに座らせてもらえないことが多いんだけど、彼女は一緒に座っているわ。でも、ご飯は全然食べてないでしょ。」
なるほど、彼女の前には食器が置かれていない。
ジェイソン・チズコ一家にも、通いのメイドさんがいる。「メイド」、「サーバント」、「召使」、そんな言葉は人件費の高い日本やヨーロッパでは死語になりつつある言葉が、アジアの国々では生き続けている。最近日本では、「メイド喫茶」なるものがあり、女の子にフリフリの格好をさせているが、あれは一種のゲーム、本当のメイドはもっと地味なのだ。
「メイド」を斡旋するエージェントがあるという。そこに頼むと、インドネシアやフィリピン、カンボジアなどからの女性が紹介されるという。多分エージェントが、ビザの申請費用や旅費などを立替え、その元が取れるまでパスポートなんかも取り上げてしまうんだろうな。一種の人身売買のような気もするが、「メイド」として働くほうが、売春よりは健全で道徳的かも知れない。
「でも、メイドが逃げ出したケースもよく聞くわ。中国人って人使いが荒いからね。」
とチズコ。
「そうして、多分、そんな逃げ出した娘達が売春組織に囲われるんだろうね。」
とジェイソンが言った。
朝食後、ジュディスのパーティーに向かう。ジェイソンは来ないという。それでチズコとふたりで車に乗る。途中ショッピングモールに寄り、カメラ屋に立ち寄り、カメラのレンズを買う。実は昨日、昼食の後車から降りるとき、カメラを落としてしまった。いつも必ず首にかけるようにしているのに、昨日は疲れていたのだと思う。それをしなかった。本体は大丈夫そうだが、レンズのオートフォーカスが効かなくなっている。
カメラのレンズを買った後、ジュディスの家に向かう。市街を離れ、郊外のジャングルの間の道に入る。本当に木と木の間の密度が濃い。それが熱帯を感じさせる。
「ジェイソンが来ないから、僕があなたの夫だと思われたらどうしよう。」
と僕がチズコに言う。
「そう思う人もいるでしょうね。モニカが来たとき、冗談で『前の夫との間に出来た娘』だって紹介したら、殆どの人がそのまま信じて、冗談にならなかったわ。」
と彼女は言った。
レストランには専用の料理を作るスタンドがいくつかある。彼等は店子だという。