エビータと海老蔵
京都南座、顔見世興行の「まねき」。
昼過ぎ、マユミが起きてきたので、ふたりで父の家に向かう。マユミはずっと寝ていたので、まだ父には会っていなかったのだ。父の家で、マユミは確定申告のための、父と母の医療費の領収書の計算を頼まれている。彼女は「ソロバンの先生」なのだ。
父も、永年事務をやっていたのでソロバンは得意だった。しかし、もう高齢で上手くできないという。父の算盤を見せてもらう。第二次世界大戦従軍中に、軍隊の備品として手に入れ、使い始めたものだという。それを七十年近く経った今でも使っている。「ソロバンの専門家」のマユミの目から見ても、しっかりして使い易いソロバンとのこと。
第二次世界大戦中の物がまだ使われている。
「お父ちゃん、ほんまに『物持ち』がええなあ。」
と感心する。しかし、実は僕もまだ旧日本軍の備品を使っているのだ。父が中国から復員するときに包まっていた軍隊毛布を、僕は書道で条幅を書くときの下敷きに使っている。
父の家を辞して、バスで祇園へ向かう。イズミとサクラと祇園で食事をする約束をしていたからだ。英国で、日本の新聞をインターネットで見ているが、ここ数週間、市川海老蔵のスキャンダルの話ばかりが載っていた。昨夜、マユミと「海老蔵スキャンダル」の話をしていた。そこから始まって、歌舞伎の南座での「顔見世」、南座の正面に掲げられた「まねき」が話題になった。それをマユミに見せてやりたくて、わざと東大路通りのバスではなく、河原町通りを通るバスに乗る。途中、「五十九番」のバスとすれ違う。高校へ通うとき、いつも乗っていたバスだ。懐かしい。
四条河原町でバスを降りる。四条大橋を渡ると南座。「まねき」がかかっている。怪我をして出演不能になった「海老蔵」の名札は取り去られていた。
「Don’t cry for me
Argentina〜」
と思わず唄ってしまう。
「どうして。」
自分でも考え込む。「エビータ」、「海老蔵」、全然関係ないやん。
しばらく歩くと、花見小路通りの角に一力茶屋がある。忠臣蔵の七段目で、大星由良介が敵を欺くために遊び呆けた場所だ。よく見ると、全然看板が上がってない。看板がなくても知る人ぞ知る。
祇園石段下で、サクラ、イズミ、ユメと待ち合わせをする。昔高校生のときよく来た名画座、「祇園会館」がまだあるのがうれしい。高校生の間、ここを最低百回通って、三年で三百本以上の映画を見た。友人のG君なども一緒よく一緒だった。偶然にもそのG君の好きな、「オーケストラ」というフランス映画が掛かっていた。
少し早く着いたので、石段下から、花見小路に向かって歩いてみる。すごく寂れている感じがする。時間が早いからだろうか。昔は、忘年会シーズンの花見小路通り、真っ直ぐ歩けないくらい人が出ていたと記憶しているが。「雑居ビル」の入り口に並んだ「あけみ」などという女性の名前の店の看板が、何となく侘しさを煽っている。
祇園花見小路、一力茶屋の前で。