「檻の中の女」

原題:檻の中の女(Kvinde I brete

ドイツ語題:慈悲(Erbarmen

2007

 

 

ユッシ・アドラー・オルセン

1950年〜)

 

 

<はじめに>

 

二〇一〇年代、ドイツで、ベストセラーを連発している作家、ユッシ・アドラー・オルセン。特に人気のある「特別捜査班Q、カール・メルク」シリーズの第一冊を読んだ。ベストセラー作家の人気に迫る。

 

<ストーリー>

 

暗い部屋に閉じ込められている女性。脱出の方法を考えるが、その術がない。しかし、いつかは出られる、希望を捨てないでおこうと決心する。

 

二〇〇七年。初老の男、カール・メルクはユトランド出身のベテラン刑事である。彼は二十五年間コペンハーゲン警察に奉職している。彼は妻のヴィガに去られて、独りで暮らしている。彼は自分の顔の傷跡を触ってみる。顔に銃弾を受けながら命を取り止めたことは奇跡に近かった。しかし、その際、彼は部下のアンカーを亡くし、もう一人の部下のハーディは病院に入ったままであった。

その日、カールとふたりの部下は、隣家から死臭がするという知らせを受けて、アマガーに赴いた。三人が現場に着くと、ひとりの老人が、自動釘打ち機で、釘を頭に打ちこまれて死亡していた。そこへ、銃を持った男が入って来る。その男は三人の警官に発砲し、アンカーはその場で死亡、カールとハーディは病院へ運ばれる。そして、ハーディは首から下が麻痺した状態で入院を続けることになる。

コペンハーゲン警察、凶悪犯罪部長のマルクス・ヤコブセンは、次長のラース・ビョルンと話していた。警察は、何件もの凶悪犯罪を解決できずに窮地に立っていた。国会でも、野党側が、警察の無能について政府を攻撃し、警察の改革案が審議されていた。それらの案は、現在の警察の幹部にとっては、非現実的で、迷惑なものばかりであった。更に、ヤコブセンとビョルンには頭の痛い問題があった。それは、カール・メルクの復職であった。優秀な捜査官ではあるが、組織を顧みないカールを、警察幹部は持て余していた。ビョルンは、カールを、新しくできる課の責任者にすることで、他のメンバーから遠ざけることを思いつく。ハーディの見舞いから署に戻ったカールは、「特別捜査課Q」の責任者に任命されたことを告げられる。その課の役割は、これまで迷宮入りした事件を再調査し、別の角度から光を当てることを目的としていた。カールはしぶしぶ引き受けるが、課員は自分一人、事務室は地下室、車もなしと知らされる。それを実質的な左遷であった。

 

二〇〇二年。メレテ・リュンガールドは環境問題を専門にする女性政治家だった。マスコミ対応の良い彼女は、記者たちにも好かれていた、ある日、彼女はトレンチコートを着た男性が、車から降りた自分にカメラを向けているのを見つける。しかし、カメラを向けられることに慣れて彼女は、それを無視する。

メレテが家に戻ると、弟のウッフェがテレビを見ていた。メレテが十七歳、ウッフェが十三歳のとき、雪の日、ふたりは父親の車の後部座席でふざけていた。後ろに気を取られた父親は運転を誤り、車は道路脇に転落、車は大破し、ウッフェは頭に重傷を負い、精神障害の後遺症を持っていた。

メレテは、午前中環境保護団体の陳情を受ける。その陳情団の中に一人の男がいた。その男は、ダニエル・ハレと名乗った。普段は、他人と一緒に食事をしないメレテだが、その日はキャンティーンでダニエルと一緒に食事をする。それ以降、メレテはダニエルと個人的に会うことになる。

 

二〇〇七年。カールはヤコブソンと交渉し、車を一台と、アシスタントを一人得ることになる。地下室のオフィスには机やコンピューターが運び込まれ、仕事場としての体裁が整えられた。カールは、家で息子のイェスパーと、下宿人のモルテン・ホランドと一緒に暮らしていた。イェスパーは、妻のヴィガと一緒に家を出たが、ヴィガが新しい男性と暮らすようになり、またカールのところに舞い戻ったのであった。モルテンはカールの家の家事一切を引き受けていて、「第二の妻」と近所の人間に呼ばれていた。彼は三十三歳で、もう十三年間大学に通っていた。カールはハーディの入院している医者から呼ばれる。ハーディが、カールだけに話したいことがあるという。病院に駆けつけたカールに対してハーディは、

「俺を殺してくれ。」

と懇願する。カールはもちろんそれを拒否する。

カールの依頼していた秘書が現れる。若い女性を期待していたカールの前に現れたのは、浅黒い顔のカールと同じくらいの年齢の外国人の男性であった。その男は、ファフェツ・エル・アサドと自己紹介する。アサドは外見に反して働き者で、引越しの終わったばかりの事務所はあっと言う間に片付き、カールには濃すぎたが、コーヒーも淹れた。

カールは、自分の前に積まれた、未解決の事件のファイルを読み始める。それらの事件は、三種類に分類できた。

@     動機は分かっているが、犯人が分からない殺人事件

A     動機も犯人も分からない殺人事件

B     誘拐され、殺されたと想像される事件

アサドが、それらのファイルを見てもよいかと尋ね、カールはそれを許可する。アサドは、その中の、二〇〇二年に起こった「メレテ・リュンガールド事件」に興味があるという。

 

二〇〇二年。メレテが家に戻ると、家政婦が、誰かが置手紙をしたという。その手紙を開いてみると、「気を付けてベルリンに行っておいで」とだけ書かれていた。メレテはウッフェを専門医に見せるために、翌日からベルリンへ行く予定をしていた。翌朝、メレテはウッフェを連れてドイツのプットガルテン行のフェリーに乗る。彼女は、何者からかの手紙をデッキから海に捨てる。それを見ていたウッフェは自分のかぶっていた野球帽を同じように捨ててしまう。それを取り戻すために身を乗り出したウッフェを引き留めるために、メレテは弟の頬を殴る。驚いたウッフェは彼女に殴り返す。その様子を二人の男が見ていた。

 

マルクス・ヤコブセンは、司法大臣から、新しい部署「特別捜査班Q」はどんな事件を取り上げたのかと聞かれる。それを、答えられなかったマルクスは、カールの部屋にそれを聞きに来る。まだ何を捜査するか決めていなかったカールだが、そのときファイルを手にしていた「メレテ・リュンガールド事件」に決めたと答えてしまう、それは、政治家で国会議員のメレテ・リュンガールドが、デンマークのレドビューからドイツのプットガルテンへ向かうフェリーの中で行方不明になった事件で会った。彼女の知的障害のある弟が、姉を海へ突き落した容疑者として逮捕されたが、その後釈放されていた。

「デンマークの海にはサメはいない。海に落ちた溺死体はどこかに上がるはず。」

とアサドは言うが、その死体はどこにも見つかっていなかった。

 当時の「リュンガールド事件」捜査したのはバクのチームだった。カールとアサドは、大量の当時の捜査資料を借り出す。その中に、メレテが国会で演説している様子を撮ったDVDがあった。ひとつは二〇〇一年十二月のもの、もうひとつは失踪直前の二〇〇二年二月のものだった。メレテはもともとカメラ映りのよい女性であったが、後のものには明らかに、女性としてのオーラが感じられた。

「彼女はこのとき、恋をしているか、妊娠をしている。」

アサドがつぶやく。カールはメレテの弟ウッフェが収容されている施設に電話をするが、責任者は、ウッフェは強いトラウマが原因で喋れないので、会っても無駄だという。カールは次に、当時「リュンガールド事件」を担当していたバクを訪れる。バクは、今捜査中の「公園自転車殺人事件」で忙しいという。唯一犯人を目撃したと思われる証人の女性が、自殺を企てという。カールは、最初の犠牲者から切り取られていた耳は、おそらく、自殺した証人の家で見つかるだろうという。

 

 フェリーの上で、トイレに行こうとしたメレテは、背後から何者かに襲われる。その後、気を失っていた彼女だが、寒さと暗闇の中で目覚める。彼女は、一辺が五メートルと八メートルくらいのコンクリートの壁で囲まれた部屋に、自分だけがいることを知る。

 

 翌朝、車で迎えに来たアサドとともに、カールはメレテの弟ウッフェが収容されている施設へ向かう。そこは、私立の、金のかかりそうな施設であった。所長は、メレテによって設立された「リュンガールド基金」から、毎年支払いがあるという。所長は、ウッフェは事故で言語中枢をやられている上、その際のトラウマも原因で、言葉を話せないと説明する。最初、カールをウッフェに会わせることを拒んでいた所長だが、カールが基金の不正使用を匂わせることで、面会を認める。ウッフェはカールの存在を完全には認識していないようだった。しかし、担当の看護師は、彼が突然笑い出すこともあると言う。

 次のカールとアサドは、かつてのリュンガールド邸を訪れる。現在の住人は、メレテが行方不明になった後、売りに出された物件を買ったもので、メレテや弟を個人的には知らないという。しかし、メレテの時代に、この家で家政婦をしていたヘレ・アンダーセンがまだ働いているという。間もなく仕事にやってきたヘレに、カールはかつての様子を語らせる。ウッフェは穏やかな性格で、暴力を振るうようなことは決してなかったと、家政婦は証言する。行方不明になる前日、メレテの帰りが遅く、ヘレはメレテに電話をして早く帰るように言ったという。その時、メレテは秘書が予約したレストラン「カフェ・バンケロート」で誰かと会っていたようだったが、ヘレには相手が誰かは分からなかった。また、家政婦は、その日の午後、身なりの良い、三十代の男がメレテ宛の手紙を持ってきたこと、メレテは帰って来てからそれを読んだと証言する。カールが家政婦に、

「あんたはその手紙を読んだだろう。」

と水を向ける。家政婦はしぶしぶそれを認め、「気を付けてベルリンに行っておいで」だけ書かれていたという。カールは、何故そのような短い手紙が、個人的に届けられなければならかったのかと、推理を巡らす。カールは、全身麻痺で入院中のハーディ―に、この件で意見を聞こうと思い立つ。

 

暗闇の中で、寒さと空腹に苛まれているメレテは殆ど時間の感覚を失っていた。そこへスピーカーを通して女性の声が聞こえる。ふたつの容器を差し入れるという。一つには食べ物が入っており、もう一つはトイレ用だという。

「何故私をこんな目に遭わせるのか。」

メレテの問いに、声は答えようとしない。そして、それから毎日、暗黒の中で、容器がふたつずつ交換されていった。食事は毎日同じものだった。メレテが気付いてから百十九日目に突然照明が点いた。余りの明るさに、メレテはしばらく目を塞いでいた。スピーカーの声が、今日はメレテの三十二歳の誕生日であることを告げた。そして、メレテは、かつての罪を償うためにここに入れられていることを告げ、その罪とは何であると思うかとメレテに問う。メレテは答えられない。声は、更なる罰のために気圧を上げるという。メレテの耳が痛くなる。

 メレテは気圧の上昇と、耳の痛みには間もなく慣れた。照明はずっと点けられたままだった。一年後、三十三歳の誕生日に、また同じ質問を受ける。メレテは答えられない。更に気圧が上げられ、照明が消されて暗黒が戻る。

 

翌朝出社したカールに、「公園自転車殺人事件」の証人で、自殺を試みた女性のアパートから、被害者から切り取られた耳が発見されたという知らせが同僚から伝わる。カールは、

「その女性の子供か、母親の周辺を洗ってみろ。」

とその同僚に伝える。アサドは、メレテが行く不明になった前日にいたというレストランの支払いが、メレテの口座に残っていないことを突き止める。別の人間がいて、その人間が支払ったことが想像された。

カールは、五年前の捜査の際作成された記録を読む。カールにとって、それはまさに警察側の失態の連続で、メレテが前日誰と会っていたかも明らかになっていなかった。カールは、メレテがバレンタインデーに電報を受け取っていたことに注目する。それは、インターネットを利用した、オンラインメッセージであった。カールは、アサドに、メッセージを受け付けた会社に連絡し、依頼者が誰であるか突き止めるように命じる。

 カールは更に、捜査記録を読み進む。ウッフェは、フェリーの港からかなり離れたドイツ側で発見された。ウッフェは、直前に姉と争っていたところを目撃されていたため、容疑者として逮捕されるが、六か月後に釈放されていた。カールは、容疑者のリストを作る。

1.    ウッフェ

2.    手紙を持ってきた男

3.    レストランでメレテと会っていた男か女

4.    党の同僚

5.    物取り

6.    性的関係の相手

カールは突然、ヤコブソンに呼ばれる。そこは「公園自転車殺人事件」の捜査会議であった。カールの予言通り、証人、アンネリーゼ・クヴィストは「証言を撤回しなければ子供を殺す」と脅されていたという。バクの説明によると、殺されたのはロックバンドのメンバーで、証人のアンネリーゼは彼の顔を知っていたという。カールは何故深夜、アンネリーゼが深夜公園にいたのか、アンネリーゼが自殺を図ったときに飲んだ薬の瓶が家の中にないことに注目すべきだという。

カールはヤコブセンの部屋に、五十代の自分好みの女性がいることを見つける。新しく配置になった、モナ・イプセンという犯罪心理学者だという。カールは、彼女に魅せられてしまう。

カールの事務所にコピー機が届く。彼は、アサドに、リュンガールド事件の書類を全てコピーし、病院のハーディのところへ持っていくようにアサドに命じる。

バクは「公園自転車殺人事件」の容疑者として若い男を逮捕する。しかし、カールはその男が犯人であるとはなから信じていなかった。カールは、ウッフェを担当した、当時の福祉事務所の職員、カレン・モルテンセンに電話をする。カレンは、ウッフェの存在をメレテは誰にも知らせず、知っていたのは福祉事務所の職員のみであったと話す。また、もし、メレテが船から海に落ちたなら、ウッフェの行動パターンとして、彼もそれを追っていた海に飛び込んだはずだという。カレンは、ウッフェにとって姉のメレテは、単なる遊び相手であり、彼が本当に慕っていたのは死んだ両親だと述べる。カレンが、一度ウッフェを訪れたとき、彼は砂利の上に道を作り、両親の死んだ交通事故のシミュレーションをしていた、彼は事故のときのことを覚えているはずだと、カールに語る。

バレンタインデーにメレテに電報を送ったのは、同じ国会議員だが、左翼急進党のターゲ・バゲセンという男であることが分かる。カールはメレテの属していた民主党に電話を入れ、当時メレテの秘書をしていた人間について問い合わせる。ゼス・ノルプという女性だという。彼女は既に党を辞めていたが、カールは彼女を探し出さねばならないと思う。

 

メレテの三十三歳の誕生日、照明が消され、気圧が上げられる。彼女は外部からの覗き穴に人影が見えたような気がする。その人影は、日に日に明瞭さを増す。三十五歳の誕生日には、二人の影が見えたような気がした。それは、彼女の意識下の何かをえぐるようなものだった。

 

カールは、民主党でふたつのアポイントを取る。ひとつは副党首で、かつてメレテの上司であったビルガー・ラーセンであった。

「メレテに敵はいたか?」

というカールの問いに、

「敵のいない政治家はいない。」

とラーセンは答える。しかし、仕事一筋のメレテに、周囲の人間は少なからず信頼と尊敬は持っていたという。ラーセンはメレテの私生活については殆ど知らず、かつての秘書、マリオン・コッホに尋ねるのが一番良いと言う。そしてマリオンは、現在はラーセンの秘書であった。マリオンは、メレテが行方不明になる前に、解雇されていた。その理由について、

「メレテの私生活に立ち入ろうとし過ぎたからではないか。」

とマリオンは答える。そして、マリオンは、メレテに熱を上げている国会議員がいたという。それは、ターゲ・バケセンという、左翼急進党のスポークスマンをやっていた男であった。しかし、メレテは特定の男に興味を示すようなことはなかったという。

 カールは同じ議員会館で、バゲセンと会った。バケセンは、メレテに興味を持っていたこと、バレンタインデーにカードを送ったことは認める。

「メレテを殺したのはあんたか?」

というカールの単刀直入な質問に、バゲセンは本当に驚いているように見えた。彼は、

「彼女が自分に興味のないことは知っていた。しかし、自分に生きる意味を与えてくれた人間をどうして殺すことができるのか。」

と言う。そして、メレテには政敵はいたが、その政敵からも愛されるような人物であったと証言する。

 カールは、メレテが行方不明になった時点で、彼女の秘書をしていた、ゼス・ノルプを探し出す。彼女はかなりすさんだ生活をしていた。

「メレテは暴君で、とんでもない上司だった。」

とノルプは言う。メレテは妊娠していたかという質問に対して、そんなことは絶対ないとノルプは答える。その前に、生理用品を彼女に買いに行かせたという。行方不明になる数日前にある「代表団」の陳情を受けてから、メレテの様子がおかしかったとノルプは証言する。メレテは誰かに花束を貰い、カフェで誰かと会おうとしていた。その約束の相手にについて、ノルプが問うと、メレテは顔を赤くしていたという。そして、メレテは、行方不明になる前日、議員食堂で、その代表団の中の男と話をしていたという。

 警察署に帰ったカールは、バクに食って掛かる。

「代表団やその中の男のことを、何故報告書に書かなかったんだ。」

バクは答える。

「その男はダニエル・ハレという男で、事件当日は国外にいたし、数日後に交通事故で死亡している。そんな男が犯人であるわけがない。」

 アサドの持ち込んだ食べ物で、警察署中が、異国の料理の匂いに包まれている。カールは、メレテの両親が死亡し、ウッフェが障害を負った、交通事故についての報告書を読み始める。それは、一九八六年のクリスマスイブのことであった。その日は、路面が凍結し、朝からあちこちで事故が起こっていた。メレテの父の運転する車は、道路から外れ、街路樹に激突した。母は即死、父は胸に木の枝が刺さった状態でしばらく生きていた。ウッフェはそれを見ていた、通りかかったカメラマンの撮った事故直後写真では、意識不明の姉とそれを見つめる弟が写っていた。

 カールは突然、上司のラース・ビョルクに呼びだされる。会議室には、かつての同僚が集まっていた。新たな殺人事件が起きたという。ふたりの若い男が、車の修理工場で、死体で発見された。そして、その際、自動釘打ち機が凶器として使われていた。しかも、殺された若者のひとりはアマガーで殺されていた男の甥であるという。そして、今回は目撃者がいるという。カールはアマガーで撃たれた際、その男が赤いシャツを着ていたことをかすかに覚えているが、今回も、赤いチェックのシャツを着た男が目撃されたという。ラースはカールに現場に行くように命じ、カールもしぶしぶそれに応じる。

 殺人事件のあった現場を管轄しているソレ警察署で、カールは四人の警察官と会う。ひとりが、カールに、赤いチェックの服地のサンプルを何枚か見せる。今回の目撃者は、洋服を販売する店で働く男で、洋服の模様については、商売柄、目撃したシャツのパターンについては、詳細に記憶していた。刑事はカールに、カールが見たシャツの柄はどれだったかと尋ねる。カールは撃たれる前の記憶を手繰り寄せ、思い出そうとするが、どれも同じに見えて答えられない。

カールとアサドはダニエル・ハレが交通事故で死んだ場所を訪れる。ほぼ直線の草原の中の見通しのよい場所であった。ハレの車がぶつかった壁には衝突の跡がまだ残っていた。ハレの車は、センターラインを越え、対向車線を避けようとして、道路わきの壁に激突したということであった。草原の中で、ちょうどその場所だけに壁があった。

「事故ではなく、自殺かも知れない。」

とアサドはつぶやく。

 カールは民主党の幹事長、ビルガー・ラーセンを通じて、当時メレテと働いていたメンバーに召集をかける。まず、メレテが行方不明になる数日前に、「ベーシックゲン」という会社のビレ・アントロフォルスコフが率いる代表団に会っていることが分かる。そして、そのメンバーのダニエル・ハレという人物とメレテは懇意になり、議員食堂で、その男と話し込んでいたという。何人かは、メレテが男に興味を示すのを初めて見たと証言する。メレテは予定を手帳に書き込んでいたが、その手帳は彼女の去った後、オフィスを片付けたときには見つからなかったという。

 署へ戻ったカールは、犯罪心理学者であるモナ・イプセンとのアポイントを取り付ける。カールはモナに一目惚れしていた。カールは自分の担当している事件、自分の感情を、少し誇張をもって話をする。モナは、それに気付き、

「真実を言わないなら、こんな機会を持っても意味がない。」

と言い、セッションを中断して帰ってしまう。

カールは遺伝子医学の研究所の社長であるビレ・アントロフォルスコフをオフィスに訪れる。

「国会陳情を行ったとき、ダニエル・ハレはどのような役割を担ったか。」

というカールの質問に対し、アントロフォルスコフは、数日前に、突然、陳情団に入れてくれと依頼された。それにより、彼を加えただけで、それまではメールを交換していたが、会ったことはないと答える。そして、ハレが世界中を飛び回っている人物であったと言う。

カールは次に、ハレの働いていた会社、「インターラブ」を訪れる。ハレは創業者の息子であった。秘書はハレが同性愛者であったことを明かす。カールは、会社のパンフレットに載っているハレの写真を持ち帰り、アントロフォルスコフにメールで送る。

「こんな男は一度も見たことがない。」

それがアントロフォルスコフの返事であった。

 

三十五歳の誕生日、照明がまた点く。覗き穴の向こうに現れていた人影は消える。また気圧が上げられ、メレテは絶え間ない耳鳴りに悩まされるようになる。メレテは自殺を考え始める。彼女は食事を拒否する。監視している女性は、気圧を更に上げる等の脅しをかけるが、死を覚悟しているメレテにとっては意味のないことであった。そんなとき、メレテは口の中に痛みを感じ始め、その痛みは日に日に激しくなる。おそらく、歯が化膿しているようだった。スピーカーを通じて、男と女の声が聞こえてきた。

「何とかしなければいけないが、今、扉を開けて気圧を突然下げたら、あの女は破裂してしまう。とりあえずは、ラッセが、戻ってくるまで待つしかない。」

そのようない会話であった。メレテの中に復讐心が頭を持ち上げる。生き延びて復習してやろうと考える。

「歯が痛くて、食事ができないのだ。」

と彼女は訴える。すると、錆びたペンチが送られてきた。

 

国会陳情の代表団に加わり、メレテに会ったのは、本当のダニエル・ハレではなかった。メレテが前日カフェで会ったのは一体誰か。また本当のハレの死は本当に交通事故死なのだろうか。カールはアサドにもう一度メレテとウッフェの家で働いていた家政婦に会うように命じ、自分は病院のハーディの所へ向かう。

ハーディは、アサドから、事件の詳細を聞かされていた。ハーディはカールに、

「政治的な動機を考えたか。」

と問う。そして、党のスポークスマンや、ゴシップ紙の記者と話すことを勧める。カールはソレでも、アマガーと同じように、自動釘打ち機を使った殺人があったことをハーディに話す。カールはその名も「ゴシップ」とい新聞社を訪れる。そして、ハーディに紹介されたペレ・ヒュテステッドという記者の元に向かう。カールは記者に金を渡し、何とか証言を得ようとする。

「あの女は、もっと前にそんな目に遭っているべきだった。」

とアントロフォルスコフは言う。当時新聞社は、専属のカメラマンを付けてメレテを追っていたという。カールはアントロフォルスコフに更に金を払い、そのカメラマンの居場所を明かさせる。

カールは、そのカメラマン、ヨナス・ヘスのアパートを探し出して訪れる。散らかり放題の部屋の中に、昼間から酔いつぶれている男がいた。その男がヘスで、彼は当時、メレテに対して、密着取材を試みていたのであった。カールはヘスの撮った写真を見る。メレテが国会の階段で、一人の背の高い男と話している写真があったが、後ろ姿で顔は見えない。また、行方不明になる直前、メレテが車で家に帰るシーンがあった。その時、メレテは確かに書類かばんを手に持っていた。

夜、カールは眠れない。赤いチェックのシャツが目の前にチラつき、その模様を思い出そうとするが思い出せない自分に苛立っていた。翌朝、カールはバクをヤコブセンの前に呼び出し、罵倒する。

「どうして、ダニエル・ハレと名乗る男が本人でないことが分からなかったんだ。写真は見せたのか。メレテが家に持って帰った書類カバンはどこにあるんだ。」

バクは黙って部屋を出ていく。

カールはハレの死んだ「交通事故」について考える。ハレの車は対向車線にはみはみ出して、対向車を避けようとして、道路脇の壁に激突した。しかし、もし、その直前に、突然誰かがハレの来る前の前に飛び出し、それを避けるためにハンドルを対向車線の方に切らせたならば、それは殺人である・・・カールはその対向車のドライバーの証言を聞こうと考える。しかし、その対向車の、当時二十七歳のドライバーも事故の直後に死亡していた。自殺だという。

アサドが何と、行方不明になっていたメレテの書類カバンを見つけてきた。彼女の住んでいて家の、玄関の間にある、暖房のためのラジエターの向こう側に落ちていたという。アサドは、家政婦から、当時メレテは、書類カバンを居間、寝室などのある奥には持ち込まなかったという証言を聞いた。彼女は玄関の間で、コートやブーツを脱いでいたという。そうすると、書類カバンは玄関のどこかに置かれていたことになる。彼女がコートを掛けていたハンガーから手の届く距離に、暖房があった、その後ろに書類カバンが落ちていたという。またしても、当時の捜査班の大失態である。

カールは、カバンの中に、何枚かのメモを見つける。それは、ターゲ・バゲセンからであった。彼は、メレテに面会を求め、

「あなたの知っていることを公表されると身の破滅となる。公表しないでくれ。」

というメモを残していた。カールがバゲセンに電話を入れるが彼は不在、彼は、民主党のスポークスマン、クルト・ハンセンに電話をする。ハンセンは、メレテが行方不明になってすぐに、セス・ノルプの指示で、メレテのパソコンの内容が、完全に消去されていたことを告げる。カールは、次に、メレテのアドレス帳を見る。その中で、「H」の項に書かれていた名前と電話番号が、上から消されていることに気づく。彼は、鑑識で、消された名前と番号を解読できないかと考える。カールは家に帰り、同居人のモルテンから、プレイモービルの人形を数体借りる。

カールはハレの死んだ事故の際、対向車の運転をしていて、その後、大量の薬を飲んで自殺したと考えられているデニス・クヌドセンの家を訪れる。そこには、デニスの姉という女性がいた。姉は、弟のデニスが、自動車が好きで、アマチュアレースのドライバーであったが、無謀な運転をする人間ではなかったし、ましてや薬物に手を出すような人間ではなかったと主張する。ただ、孤児院出身のアトモスという男に出会い、その男から色々と悪い影響を受けていたという。カールは、デニスと、その家族の写真を借り受ける。そこにはアトモスが写っているものもあった。

カールは、ウッフェの収容されている施設に向かう。彼は看護師長と一緒に散歩をするウッフェに対して、プレイモービルの人形を使って事故を再現しようとする。ウッフェは余り関心を示さない。しかし、カールが何枚かの写真を見せたとき、ウッフェはその中に写っている男を見て動揺、叫び出す。

 

メレテが監禁されてから四年が過ぎようとしていた。メレテがペンチで歯を抜くことに成功する。彼女はその際の血で、覗き穴を塞いでします。監視役の女は怒って、メレテに腐った食べ物を差し入れるようになる。痛みは徐々に引く。彼女は、懐中電灯と、ペンチを使って、食物を差し入れる扉の下を掘り下げる作業を始める。彼女は、妊娠しないピルを飲みながら、ウッフェと養育されていた家族の家を抜け出したことを思い出していた。

ある日、スピーカーからいつもの女性と、別の男の声が聞こえてくる。女性は、

「スイッチが壊れて、こちらの声があの女に筒抜けになっている。」

と別の男に苦情を言う。その男が、ラッセという元締めらしかった。

「気にするな、どうせ後数日なんだから。」

と男は答える。メレテは覗き穴の血を拭いて、外を見る。そこに映っていた姿を見て、メレテは愕然とする。彼女はその男に見覚えがあった・・・

 

この小説は、ドイツで映画化され、2017年に公開された。

 

<感想など>

 

ユッシ・アドラー・オルセンの名前は、今年(二〇一八年)ドイツに行ったとき、書店でベストセラーとして横積みになっているのを見て初めて知った。デンマークの作家であるという。一冊だけではなく、シリーズが何冊もベストセラーになっている。シリーズの第一作、「Erbarmen(慈悲)」という本を買って帰った。ドイツ語訳で四百ページを超える長編である。

読んでいて、正直辛い面があった。密室に閉じ込められた女性の話である。私は強度の閉所恐怖症である。自分が狭い場所に(例えば飛行機の三つ並んだ真ん中の座席)に居ることを考えただけで気分が悪くなってしまう。そんな私は、その女性の状態を想像しただけで、やはり気分が悪くなってしまった。

主人公のカール・メルクは、上司も手を焼く「はみだし刑事」である。彼の人物設定を知って、「またか」と思ってしまった。ヘニング・マンケルの描くクルト・ヴァランダーに始まり、ヨー・ネスベーの描くハリー・ホーレで頂点を極める、「組織を嫌う」、「一匹狼」、「単独行」、これらの特徴を備えた警察官の主人公。それは、模倣に模倣を重ねられ、今では新しさがない。カールは、妻に逃げられたばかりというのは、ヴァランダーと同じ。カールは、前回の出動で、同僚の一人を殉職させ、もうひとりを重度の身体障碍者にしている。つまり、過去の失敗を背負っている。しかし、同僚の失敗、失態は相手の人格を傷つけるほど、責め立てる。彼が単独で事件を解決するなら、「またか」で終わり、この小説の新鮮味、斬新さというものは、大いに削がれていたであろう。

陳腐化した主人公の人物設定を救っているのが、彼の「秘書」のファフェツ・エル・アサドである。中近東出身の回教徒、髭面の中年男。自称、シリア出身で政治亡命申請中。警察で働きたくて、副所長に猛アタックをかけ、カールの秘書に滑り込んだという。カールは当然、女性秘書を期待していたのだが。しかし、アサドは、テキパキと仕事を片付けるだけでなく、清潔好きで掃除も得意、コーヒーも淹れる。料理も振る舞う。(警察署内に、その匂いが充満する強烈なものだが。)それだけではなく、観察力、推理力も尋常ではなく、ナイフまで扱えるという人物。おそらく、出身国では、警察、諜報組織にいたのではないかと想像してしまう。優秀な反面、車の運転はしたことがないし、デンマーク語も今ひとつ。要するにエキゾチックで、奇妙で、謎を含んだ人物なのだ。しかし、物語の魅力の中で、彼の占める割合は大きい。また、かつての同僚で、今は病院で寝たきりのハーディも、捜査へのヒントをカールに与える。

並行して三つの事件の捜査が進む。ひとつは、五年前に起きた女性国会議員、メレテ・リュンガールド失踪事件、もうひとつは、公園で起こったサイクリスト殺人事件、さらに数か月前に起こり、殺人事件の現場検証中に、カールを含む捜査員のふたりが負傷し、ひとりが死亡した、アマガー事件である。メインは、もちろん、「メレテ・リュンガールド事件」であるが、カールは同僚のバクの担当する「公園サイクリスト殺人事件」にも、要所要所で、捜査進展のきっかけになるような助言を与える。三つの事件が、結末で、全て解決するのか、と言うところが、読者の興味となる。

この物語を読んで考えてしまったこと。それは五年間、密室に監禁されるメレテ・リュンガールドが、そのような仕打ちを、罰として受けるべき人物だったのかということだ。彼女は、交通事故で父母を失い、弟が身体障碍者になってから、忙しい職務の傍ら、弟を献身的に介護している。国会議員としても、若いながら、党の中で重要な役割を果たし、政敵からも一目置かれているという設定になっている。しかし、自分の弟には献身的だが、事故の際の相手の車の被害者には、ずいぶん冷たい気がする。そもそも、彼女が後部座席でふざけ過ぎて、運転していた父親の注意が削がれたというのが事故の原因だと、暗示されている。自分勝手な人物はいる。私のかつての同僚に、

「俺は歩く自分勝手だ。」

と公言している男がいた。そんな人物はまだ可愛い。私のこれまでの人生で、一番手に負えなかったのは、

「自分は自分勝手でない。他人のことを考えている。」

と思いながら、実は自分勝手で、他人のことを考えていない人物だった。メレテは、監禁された最初のころ、

「これはお前が過去にした罪に対する罰だ。その罪が何か分かるか。」

と問われて答えられなかった。そのような人物像を被害者に選んだ作者の深慮に、感嘆を覚える。

北欧のミステリーは、日本語に翻訳されることが少ない。しかし、例外的に、カール・メルクを主人公とする「特別捜査班Q」シリーズは、七冊が全て日本語に翻訳されていた。デンマークでベストセラーになったことはもちろんだが、ドイツの書店で、彼の作品が山積みされていたように、ドイツで特に人気のある作家とのことである。

この本の著者紹介には以下のように書かれている。

「ユッシ・アドラー・オルセンは、一九五〇年、コペンハーゲン生まれ。オルセンの『特別捜査班Qカール・メルク』の一連のスリラー、『アルファベット・ハウス(Alfabethuset.』、『ワシントン判決(Washington Dekretet)』、『そして彼女は神々に感謝した(Og hun takkede guderne)』などの小説は、国際的なベストセラーに名を連ねている。数々の賞を受けた彼の本は、四十か国以上で翻訳され、映像化もされている。」

結構長く、読むのに忍耐が必要だが、それが報いられる作品である。

 

201811月)

 

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