この世の楽園
シロー、ラニ夫妻の無人売店。値段が書いてない。
土曜日の午後、SさんKさん夫婦の知り合いで、同じく有機農場を営んでおられる友人たちの家を二軒訪れた。二家族とも、Sさんの家から車で十分ほどの、ナティモティという集落に住んでおられる。
一軒は、シロー、ラニ夫妻の家であった。車がやっと一台通れる、舗装していない道を進んでいく。道の脇に、ご夫妻の家で作った農作物を売る、小さな無人売店があった。リンゴや、プラムが袋に詰めて「売って」あるが、そこには値段さえ書かれていない。買った人は「自分が正しいと感じた」額のお金を払っていくのだろう。その売店から脇道に入り、納屋の前に車を停めて、花の咲き乱れる小道を進む。そこで僕はビビッと感じるものがあった。
「この雰囲気、どこかにあったぞ。でも、どこだったっけ。」
間もなく僕は思い出した。ガダルカナル島の、パンピリアの村に足を踏み入れたとき、同じような戦慄が走った。その村は地面が一面クローバーで覆われ、熱帯の花が咲き乱れていた。その時僕は「この世の楽園」という言葉を思い浮かべた。
これまで、色々な画家が、「エデンの園」、「パラダイス」等を絵にしている。そんなとき、画家たちは、どこかの光景をイメージして、描いたに違いない。
英国の僕の家には、定期的に「エホバの証人」の人たちがパンフレットを持って来てくれる。そこに描かれている、「永遠の命」を得た人たちが住む場所の絵が、こんな風だった。
僕が仮に画家で、
「パラダイスの絵を描け。」
と誰かに命じられたならば、これまではパンピリアの村の風景を思い起こして描いていただろう。しかし、この庭を見て、僕は将来、「この世の楽園」という言葉から、この場所をイメージとして思い浮かべるのではないかと思った。
小道を五十メートルほど進むと、木で出来た家があった。シローとラニの家である。彼らスイス人で、二十二年前からこの土地に住んでいる。シローは長期間にわたって不在中、ラニも来客中だったので、「勝手知ったる」Sさんが、庭を案内してくれた。後で聞いた話だが、二十二年前、ここは何もない牧草地の斜面だった。そんな場所を、自分達でコツコツと整地し、家を建て、木を植え、果樹園を作り、農園を作ったのだった。
電気は引かれていなくて、最低必要な電力は、何と家の後ろにある水車が発電している。直径二メートルくらいある大きな水車が、ノンビリと回っている。トイレは家の外にある。排泄物がコンポストとなるような仕掛けになっているらしい。トラクターや芝刈り機などの機械類は一切使わず、サイスと呼ばれる、「死神」の持っているような鎌で、草刈をやっておられるとのこと。
家の後ろの「ツリーハウス」がある。娘さんのアーラが自分のために作ったという。ちなみにこの家の人たちは菜食である。無数の花が咲き乱れ、無数の虫が飛び交っていた。この、シローとラニの家は、滞在中、僕のお気に入りの場所になった。
「この世の楽園」のような場所で回る水車。悠久の時の流れを感じさせる。